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仏教議論スレッド98

1 :神も仏も名無しさん:2014/05/04(日) 18:14:27.56 ID:FWQC22V+
仏教に関すること全て扱います
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仏教議論スレッド97
ttp://ai.2ch.net/test/read.cgi/psy/1398306944/

Wikipedia ― Category:仏教
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2 :しんしょー君 ◆IHSXPiND6Q :2014/05/04(日) 19:33:34.73 ID:abkdBQ70
2

3 :神も仏も名無しさん:2014/05/04(日) 19:52:11.16 ID:a11vFckl
じゃあー 3

4 :アートマン U:2014/05/04(日) 21:02:31.79 ID:q7U9y4kr
対機説法
世の中は多種多様だから、相手に応じて説く必要があるのだろう。
しかし説法のベースは一貫していなければならない。
ここまでは当たり前、我々だって相手に応じて話し方を加減する。
 
これだけでも気を使うが、悟りへの道を説く場合はさらに微妙である。
悟りへの道が一直線ではないからである。そのうえ、巧みに話したところで、
相手の知らない果物の味を伝えることはついに不可能である。
相手に体験させないと伝わらない。
どうやって? 体験する方法を教える以外にない。
後は相手のヤル気なのだが・・・ヤル気のない相手だったら・・・

5 :アートマン U:2014/05/04(日) 21:38:40.99 ID:q7U9y4kr
空論者に用意されている落とし穴 〜 増長慢
 
悟りにおいては「空」を洞察することが欠かせない。
しかし、世間を空であると観じることは、世間でしか生きられない以上、
自分自身が空であることも意味している。
 
自分が空であること、無であることに同意する人間は通常いない。
自分には生きる価値があると思うから生きている。
では空論者は、自分の、いったいどこに価値を見出すのだろうか。
かれらは、空であることと、生きる価値という矛盾を解消してくれる、
「空という真理に通じたこと」に存在意義を見出す。

6 :アートマン U:2014/05/04(日) 21:55:54.80 ID:q7U9y4kr
空論者に「増長慢をやめろ」と言っているのではない。
むしろ逆、増長や慢心、おおいにけっこう。
そうやって、いずれ破綻することで無明を突破でき、悟りが可能になる。
悟りとはそういったものなのですね。
 
空と言うのは、苦楽を相対化し、心に余裕を作ってくれる。
その余裕で、空を世間で実践すればいい。
世間では空など通用しないから、何年もしないうちに必ず破綻する。
そうしたら念願の「真の悟り」に到達できる。
それでも悟りたいか。そう思うなら、本当に悟ってしまうだろう。

7 :ブラフマン X:2014/05/04(日) 22:13:14.69 ID:xsBGIZmQ
いやあ、ためになるねぇ子供の頃、見たはずなんんだがw
ttp://www.youtube.com/watch?v=FJMyezjAYCA

8 :神も仏も名無しさん:2014/05/04(日) 22:29:00.29 ID:Vbyr9CvY
これ、なかなかいいよ
ttp://myanmarbuddhism.info/wp-content/uploads/2013/06/forgiveness.pdf

9 :神も仏も名無しさん:2014/05/04(日) 22:41:07.17 ID:4NTXrNFK
「増上慢」な。

10 :神も仏も名無しさん:2014/05/04(日) 23:10:39.52 ID:Vbyr9CvY
最近、若い人が簡単に自分の言うことを信じるんでなかなか怖いわ
逆に姿勢が正される
これが子はかすがいか、自分の子じゃないけど

11 :神も仏も名無しさん:2014/05/04(日) 23:17:35.58 ID:Vbyr9CvY
別に宗教の勧誘での話じゃないからね
勧誘などしたこともない、ビビリなんで

12 :神も仏も名無しさん:2014/05/04(日) 23:18:29.55 ID:VhjkzjNr
>>5
空とは何か?何のことを空だと言っているのか?
空を洞察とか尤もらしく言うが、空とはそんなに難しいものでは無い

そして用語は正しく使わないとコンセンサスの難易度が上がって無駄になる

増長慢では無く、正しくは「増上慢」である

>>6
空は苦楽の相対化の事ではない
「有」と言う現象も「無」と言う現象も、「有無」と言う現象も
存在としては「有によって無が認識でき、無によって有が認識できる」となり
この存在としての理のことを「空」と表現するのである
しかも、その「空」という表現も、仮の名称であり真理とかではない

13 :アートマン U:2014/05/04(日) 23:35:17.55 ID:q7U9y4kr
>>8
流し読みしたが、わかりやすくていい話だった。
  
ただ、許しの問題はそう簡単ではない。この問題は愛の構造に関係する。
人間は愛されることで愛を知る。許されることで許すことを知る。
潜在的に持っている愛を、形にして表現できるようになる。
 
しかし、家庭的に不幸だと、愛を知らない大人になってしまう。
愛されなければ愛せないのに、大人を愛してくれる存在などどこにもいない。
この事情があるから、釈迦やイエスは究極まで行ってしまう。
悟り、あるいは、神に出会うことで愛を知る。

14 :神も仏も名無しさん:2014/05/04(日) 23:45:20.79 ID:VhjkzjNr
お外道さんは心の事にご執心で何も解ってないのね
それじゃあ仏教が遠い話になるのも無理ない話

15 :アートマン U:2014/05/04(日) 23:49:34.89 ID:q7U9y4kr
>>8
一休さんね。性に執着して、死にとうないと言ったとか。
>>9 
増上慢だったね。使い慣れない言葉だったのでスマン orz
>>12
同じく増上慢だった。スマン orz
 
>この存在としての理のことを「空」と表現するのである
実質、唯物論のように感じるのは気のせいか。

16 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 00:18:46.23 ID:EWE1nXno
>>13
リンクはまだ読んでいないが、イエスやクリスチャンのいう「許し」とは、
「自分は正しく、相手が間違っている」という「思い上がり」を前提とする。
本当の「許し」とは、「自分が間違っていた」と認めることでなければならない。

17 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 00:23:57.87 ID:JXIULiUJ
 
仏教議論スレッド97
//ai.2ch.net/test/read.cgi/psy/1398306944/920-921 の続き

//home.att.ne.jp/delta/myrobalan/mulama.html
第十八章 自己と実在物の考察
5.
行為〔カルマ〕と苦悩(煩悩)が消滅したところに涅槃がある
行為〔カルマ〕と苦悩は概念的思考から生じてくる
これは心的に作り出されたもの(戯論)に由来するのである
作り出されたものは空性によって消滅する

18 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 00:36:04.86 ID:u2kJJtq6
>>15
何を以って「唯物論」と捉えるのか、視点の問題かと
仏教では「心」と呼ぶ現象を副次的に捉え、それは結局
肉体と言う物理的機構が物理的に機能して織り成して「心」と呼ぶ
事象を感覚に感じさせてるに過ぎないと観るので、唯物は否かは問題にならない
何故なら、唯物論も結局「心」のもとに思考で考え出された理論に過ぎないからだ
この世界は物しかないのが真実、どこに「唯物」などと言う戯論があろうか

19 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 00:44:09.31 ID:u2kJJtq6
因みに仏教の各教説も所詮は戯論なのである
人間は戯論を用いねば考察が出来ないので、仏教も戯論を用いて
この世界の真実を悟る、その道筋を正して示したのが仏道となるのである
要するに涅槃では仏道も教説も寂滅する、と言う事実を気付く事が
端的に言えば悟りである

20 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 01:04:10.25 ID:oHS2a0gn
涅槃も、一歩まちがえれば創設者の煩悩であり我欲でもある、お経も聞く人がきけば音楽になるから五戒のうちの一つの違反になる、人の考え方っていうか文明自体もぶっ壊して退化させ、考える必要のない世界を構築すればいい

21 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 01:06:29.97 ID:nrtcTSC2
>>18
唯物論は思考で考え出された理論(戯論)である。
>>19
仏教各教説は思考で考えだされている戯論である。

戯論を用いてこの世の真実を悟るのが仏教。

ならば、仏教以外、例えば唯物論も戯論を用いてこの世の真実を悟る。

しかし、仏道の道筋の、この世界の真実は、涅槃に行きつくものであり、
涅槃は仏教も各教説(考察で考え出された理論=戯論)
も寂滅するという事実があり
その事実に気付く事が、悟り(この世界の真実)である。


まず、ここまで、これでよいか?

22 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 01:10:36.23 ID:JXIULiUJ
 
> 仏教も戯論を用いて、この世界の真実を悟る

//home.att.ne.jp/delta/myrobalan/mulama.html

第二十四章 四つの聖なる真実(四聖諦)の考察
8.9.10.
世俗諦〔せぞくたい〕・勝義諦〔しょうぎたい〕

この二つの間に引かれた区分を理解しない者は
ブッダの深遠なる真実をも理解しないであろう

〔例えば、仮に
  心的に作り出された(戯論)に由来するものは、空性によって消滅する、という〕
重要性を理解することなしに解脱(涅槃)は達成され得ない

23 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 01:18:56.34 ID:1/MjIsyA
真実なるものは存在しない。

24 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 01:22:35.37 ID:1/MjIsyA
>>21
>仏道の道筋の、この世界の真実は、涅槃に行きつくものであり、

涅槃は通過点でしかない。

25 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 01:22:42.80 ID:oHS2a0gn
対極な存在は常にある、暗い明るい、悲しい嬉しい、善悪。戒律によって修行を行い煩悩を封じ片方を消す事でもう片方の存在意義や意味がなくなり最終的には自分が何者なのかもわからなくなってしまうんじゃないのか、悪を知る悪を食す事ももしかしたら必要だと思いました

26 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 01:23:07.49 ID:LWdO3wVv
空てそこらの坊主も仏教学者も説明できへん
だれが思いついた概念かしらんが

27 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 01:31:28.32 ID:JXIULiUJ
 
> 戯論も寂滅するという事実があり
> その事実に気付く事が、悟りである

(実践したことはないけど↓教学としては)

//ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%AD%A3%E9%81%93

止(サマタ禅定)・観(ヴィパッサナー智慧)

「正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定」の七種の正道によって

真実の認識(如実知見)に至るための必要条件が達せられて

正見によって「縁起・空・無我の観察をする」

ということであるらしい

28 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 01:38:36.55 ID:nrtcTSC2
>>24
涅槃(ニルバーナ)=寂滅=悟り、
これが通過点でしかないとしたら、着地点がある。

ここまでよいか?

29 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 01:40:16.34 ID:1/MjIsyA
>>21
>戯論を用いてこの世の真実を悟るのが仏教。

まだ、こんなことをいっているw

これだと思考で考え出された理論(戯論)を用いてこの世の真実を悟るのがキリスト教、ユダヤ教、
イスラム教などの信仰宗教だとも定義できる。

「この世の真実」は各宗教によって無数有り得ることになる。
仏教でなければならない必然性はない。

30 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 01:43:48.44 ID:1/MjIsyA
>>28
>着地点がある。

着地点は無い。

31 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 01:50:46.17 ID:JXIULiUJ
 
(これも実践したことはないけど教学としては↓こんな感じであるらしい)

チベット・ゲルク派の場合は
//rdor-sems.jp/index.php?%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%81%AB%E4%BA%8B

「空」の意味を知るには
中観自立派と中観帰謬派の見解の僅かな差を吟味する必要があります
なぜなら、その僅かな差こそが、中観哲学の最も微妙な部分だからです

中観自立派と中観帰謬派の見解の差異は、世俗の次元での自相(自性)の有無です

中観自立派は
「火を火たらしめている本質的な要素は、熱さや燃焼作用である
  それは、火自体の側にある固有の要素だ」
という自相を、世俗の次元では承認します
熱さや燃焼作用が火の自相として認められる・・・ということです
これは、私たちの常識的な考え方に近い立場でしょう

(これに対して)
中観帰謬派は、そのような自相を、世俗の次元でも否定します

32 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 01:52:19.23 ID:3hp0FQin
>>29
>「この世の真実」は各宗教によって無数有り得
>仏教でなければならない必然性はない

「この世の真実」は複数あっていい。
仏教以外を軸にする道があってもいい。

ただ、仏教は「えくぼもあばた」(≒一切皆苦)というスタンスであるわけで、
そこを、えくぼありあばたあり(≒人生楽ありゃ苦もあるさ)にグレードダウンさせちゃ駄目。
それだけのこと。

33 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 01:58:54.29 ID:nrtcTSC2
>>22
手段として空性の体得は、四聖諦を観、悟りを達成するには、必要不可欠だ。

ここまで よいか?

34 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 02:01:45.98 ID:nrtcTSC2
>>30
通過点はあるが、着地点はない。

ここまでよいか?

35 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 02:03:46.19 ID:u2kJJtq6
>>21
まあ、そんな感じ、道端の石ころに「思い」や「戯論」は無い
しかし人にはエゴがあるので「石ころと人間は同等では無い」と言う思い込みが事実として起こる
そのエゴを超克した所に涅槃故の悟りが厳然とする
これは増上慢のものは絶対に受け入れられない事実である、
何故かと言うと、人の凡その哲学的・宗教的想定が全て崩壊してしまうからで
認めるわけには行かなくなるからである

>>27
「衆生を引導するが故に、仮名の空を以って説いた [中論観四諦品第二十四]」

「業報有りて而も作者なし、この陰滅し已わりて、異陰相続す」

>>28
説明上は「涅槃(ニルバーナ)=寂滅」だが
実際は全ての戯論が滅し已わるとそれが「涅槃」

>>29
>理論(戯論)を用いてこの世の真実を悟るのがキリスト教、ユダヤ教、イスラム教などの信仰宗教だとも定義できる。

仏教の涅槃は目の前に見えてる、見えてるが涅槃にならない、心が寂滅して無いから
自分も含めた事物一切が既に涅槃に有って、しかし心が有る故に涅槃では無い事実を如実知見する
それが悟りであり、煩悩解脱の最初の一歩となる

36 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 02:04:17.56 ID:E5IHiu6a
欲望を捨てる!

以上だ

37 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 02:07:04.48 ID:1/MjIsyA
>>33
>手段として空性の体得

『万法ともにわれにあらざる時節、まどひなく、さとりなく、諸仏なく衆生なく、生なく滅なし。』(道元)

これは『心不可得』(金剛般若経18)と同趣旨。
心不可得なのに悟りなど有り得べくもない。

ゆえに『しかあれば、参学の雲水、かならず勤学なるべし、容易にせしは不是なり、勤学なりしは仏祖なり。
    おほよそ心不可得とは、画餅一枚を買弄して、一口に咬著嚼尽するをいふ。』(道元 正法眼蔵 心不可得より)

38 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 02:08:31.06 ID:3hp0FQin
>>34
逆だろw

着地点(涅槃)はあるけど、通過点(順位)はない、と。 (´∀`)b

 *(通過“点”なんて、どう線引きするんだ?
   お酒は二十歳になってから、なんて宣伝もあるが、時間(期間・歴史)の区分なんて恣意的だ。
   当人が通過点だと見做せば(区分、ラベリングすれば(→意識、自覚、直感すれば))そこが通過点だw)

39 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 02:11:09.42 ID:1/MjIsyA
>>34
>通過点はあるが、着地点はない。

『心不可得』(金剛般若経18)なのに涅槃も夢の如くなり

40 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 02:11:29.58 ID:E5IHiu6a
自分は心じゃないから悟る!

欲望を捨てる!

41 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 02:14:52.15 ID:mw/7JyXV
集団的自衛権に戸惑う自衛官 「撃ったり撃たれたりする覚悟をせずに入隊した」
http://fox.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1399206242/

42 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 02:15:41.71 ID:u2kJJtq6
>>37
仏法は無我にて候、故に心も最初から実在してない
最初から実在してないんだから不可得も何も無い

心で得ようとする事に対して「心不可得」なのである

悟りが無いのは涅槃であり、我々が悟るのは智慧である
この紙一重が中々超克できずにお悩みの諸兄が多い事もまた事実

何もない世界(涅槃)に実際に行くのが仏道の目的なのではない
戯論と言うものがこの世界に実は実在してない事を悟るのが目的なのである
つまり、仏道の根本目的は「涅槃を証する事」これに尽きるのである

増上慢のものは絶対にこの真理を受け入れられない(法華経方便品)

43 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 02:18:00.92 ID:nrtcTSC2
>>27
空性を体得するには、止観=精神を集中し縁起・空・無我を観察する。

これでよいか?

44 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 02:19:54.02 ID:E5IHiu6a
涅槃はない!

欲望を捨てる!

45 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 02:23:45.44 ID:JXIULiUJ
 
> 手段として空性の体得は、四聖諦を観、悟りを達成するには、必要不可欠だ

(これも実践したことはないけど、チベット・ニンマ派の場合は↓こんな感じであるらしい)

チベット・ニンマ派
//www.tibethouse.jp/culture/37_04.html

3)仏法の本質

煩悩障と所知障を取り除くための方便を示すのが、仏法です

障害のなかでも基本となるのは
煩悩の障害(煩悩障)と智慧の障害(所知障)です

戒律・禅定・智慧を修して
様々な障害を浄化したところで、滅諦へと到るのです

滅諦(苦の滅した状態、涅槃にまつわる真理)
道諦(涅槃にいたる修行の道にまつわる真理)

四諦(したい)苦集滅道

46 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 02:28:37.37 ID:1/MjIsyA
>>42
>仏法は無我にて候

『万法ともにわれにあらざる時節』(>>37

>仏道の根本目的は「涅槃を証する事」これに尽きるのである

「涅槃を証する事」も夢の如くなり

47 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 02:36:26.24 ID:JXIULiUJ
 
> 空性を体得するには、止観=精神を集中し縁起・空・無我を観察する

仏教議論スレッド97
//ai.2ch.net/test/read.cgi/psy/1398306944/920-921

>>17 >>22 >>27 >>31 >>45

//www.onedhamma.com/
14/4/29 日本の禅を全体の文脈のなかへ
山下良道(スダンマチャーラ比丘)法話

 ↑ この人の法話も参考して下さいませ よろしく

48 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 02:39:34.51 ID:EWE1nXno
>>31
>中観帰謬派は、そのような自相を、世俗の次元でも否定します

「人間」にとっては、そのような自相は「有る」のだよ。人類は、その
発生以来、五感の知覚により「有無」を「一義的に」区別することによって
のみ、生存してきた。これが、法の中の法である。中観帰謬派は、己が
「人間」という動物の一種属に過ぎないことをすっかり忘却するという倒錯に
陥っている。ただただ、釈迦の勘違いに過ぎない「無」に合致させたい一心。
開祖の盲信極まれりである。中論は、物理現象や世間の一切の慣習を「無条件
の前提」としている。

49 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 02:41:57.20 ID:u2kJJtq6
>>46
>「涅槃を証する事」も夢の如くなり

道元は不可知論を説いてない
『万法ともにわれにあらざる時節』これ自体が無我であり仏法の正体
これを智慧によって体得して初めて「眼横鼻縦」の真の意味を悟れる

50 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 02:43:20.35 ID:E5IHiu6a
人間は動物の1種属ではない!

欲望を捨てる

51 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 02:52:42.16 ID:nrtcTSC2
>>31
中観帰謬派は、火の燃えかすからたなびく煙さえ
煩悩の燃えかすのごとく、それさえ断じてしまえ。

>>45
悟った釈迦がはじめて説いた実践の理想、
四(聖)諦=苦集滅道

チベット・ニンマ派では、煩悩障・所知障 この障害を除き、断ぜよ。

・・・・
みなありがとう。 おやすみ。

52 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 03:27:02.78 ID:JXIULiUJ
 
> 此の陰滅し已らば異陰相續する
> (我愛を断滅することせざるがゆえに
>   此の蘊を捨て己(おわ)っても異蘊相続して
>   また次の、この世の生に戻り来る)

因と縁の依存によって
無明の暗闇に覆われて
渇愛によって「ある・ない・肯定・否定」と誤ったあり方を掴んで、固執/掴むこと(取)も生じて
五蘊(色受想行識)の仮和合の仮の状態が現れて(輪廻を繰り返して)いるかも

 … … …
 → 無明の暗闇に覆われて
 → 渇愛によって、誤ったあり方を掴んで離さないような、固執/掴むこと(取)も生じて
 → 五蘊(色受想行識)の仮和合の仮の状態が現れて
 → (この現世で肉体が滅しても)色即是空
 → 地+水+火+風 = 空
 → (また次の、この世に戻り来て)空即是色

 → 無明の暗闇に覆われて
 → 渇愛によって、誤ったあり方を掴んで離さないような、固執/掴むこと(取)も生じて
 → 五蘊(色受想行識)の仮和合の仮の状態が現れて

53 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 03:33:20.85 ID:EWE1nXno
>>52
> → 五蘊(色受想行識)の仮和合の仮の状態が現れて

と、「考えている」のは、釈迦の「我」www。

54 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 03:42:08.02 ID:JXIULiUJ
 
> 衆生を引導するが故に、仮名の空を以って説いた

//www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron03a.htm

中論觀四諦品第二十四

衆因縁より、生ずる法を、わたしは、即ち、是れは空だ!と説いた

何故ならば、衆縁が、具足、和合して、而も、物が生ずる

是の、物は、衆因縁に属するが故に、自性が無い

自性が無いが故に、空である

但だ、衆生を引導するが故に、仮名の空を以って説いた

55 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 04:00:08.68 ID:EWE1nXno
>>54
中論は、「執着すべき自性がないから『空』だ」と言ってるだけで、釈迦のように
「無我」「無」というアホなことは一言も言っていない。

中論は、「もろもろの存在は厳然たる実在だが、それが相互依存性・関係性・相対性
という抽象観念によって構成されている」と言っているだけ。現代の量子力学、相対
性原理そのまま。

「幻のような」は、「幻」や「無」ではない。例えば、「雲」は「幻のよう」だが、
「水滴の集まり」という厳然たる実在である。

56 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 04:18:18.09 ID:JXIULiUJ
 
>> 五蘊(色受想行識)の仮和合の仮の状態が現れて

> と、「考えている」のは、釈迦の「我」

龍樹(りゅうじゅ)は、バラモンと伝えられているらしので
バラモン由来の禅定(ぜんじょう)とか
釈迦(しゃか)由来の禅定とかによって

龍樹も「我・我所を滅させる因と縁の依存によって、無我・無我所を得て、智慧を決定した」かも

//www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron03a.htm

中論觀法品第十八

八聖道分を修習して、我・我所を滅する因縁の故に、無我・無我所を得て、智慧を決定する

(想受を滅させる為の)滅尽定を以って、第一と為し、終に、無余涅槃に帰する

//home.att.ne.jp/delta/myrobalan/mulama.html
第二十六章 十二の鎖の環(十二因縁/十二縁起)の考察
11.
無明の停止は
止(サマタ禅定)と観(ヴィパッサナー智慧)を通して生じるのである

57 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 04:35:28.18 ID:wrRSDZDD
>>55
無我ってバカなことなの?
なんで?教えて?

58 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 04:37:30.46 ID:wrRSDZDD
無自性なら存在論としては無我じゃないの?違う?

59 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 04:43:16.58 ID:wrRSDZDD
>>55
> 中論は、「もろもろの存在は厳然たる実在だが、それが相互依存性・関係性・相対性
> という抽象観念によって構成されている」と言っているだけ。

ん?相互依存や関係性が抽象がいねんってどういうこと?
あらゆる因果や法則は幻想だということ?

>現代の量子力学、相対性原理そのまま。

これもなんかずれてるような・・・

60 ::2014/05/05(月) 07:07:03.00 ID:UDqzv96h
また「空」ですか。。

釈尊は常見者を涅槃に導く際に「諸行無常」、「諸法無我」を説かれたそうです。
また断見を涅槃に導く際には「三世輪廻」を説かれたそうです。

と龍樹による釈尊の対機説法解説のご紹介も輪廻します。

61 ::2014/05/05(月) 07:13:20.21 ID:UDqzv96h
>>60
もし常見者に「三世輪廻」を説かれ、断見者に「諸行無常」、「諸法無我」を説かれたら益々固執したでしょう。

でもこの対機説法での特徴を知らずに、常見者は「三世輪廻」を主張し、断見者は「諸行無常」、「諸法無我」を
主張して言い争っているのが末法の世の現状かとも観じられます。

62 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 07:29:57.93 ID:cNbx2xq6
また自己陶酔キモい60 :○ですかw
消えろw

63 ::2014/05/05(月) 07:33:38.08 ID:UDqzv96h
>>61
>もし常見者に「三世輪廻」を説かれ、断見者に「諸行無常」、「諸法無我」を説かれたら益々固執したでしょう。

この龍樹解説『四悉壇』は法華経「如来寿量品第十六」の一節ともよく整合しているように思料します。

衆生見劫盡 大火所焼時 我此土安穏 天人常充満 (中略)
我浄土不毀 而衆見焼盡

まあ法華経は偽経で、大智度論は偽論だと断じる御仁には東風でしょう。

64 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 07:54:39.91 ID:2ID6jh29
我でなく、他でもなく、その両方でもないという様相というのは有る。
無自覚に勝手に物事が進んでいく様。例えば、爪が伸びる。
思いというものは無いといえば無いのだが心的作用と肉体作用は、
密接な関連があるのは否定される所ではない。
五感を所持するため気のせいでは済まされない様相に発展する場合もある。
無自覚に進んでいく物事にちょっと目をやれば新たな発見がある。
悟りスレに抑圧がどうのというのが昔いたが(今もいるのかな?)
目に見えないプレッシャーというのは確かにある。
試しにプレッシャーになりそうなものを一つ除いたら、解放感は確かにある。
普段、何かと忙しく無自覚であれば軽くスルーされてしまいそうな感じでもある。

趣味が高じてしまえば、欲望が行き過ぎてしまえば、常識に囚われてしまえば、
他人に何かを言われれば、肌寒くちょっと不快とか、
そんな所に目に見えないプレッシャーはゴロゴロ転がっている。
場合によっては目に見えないプレッシャーは肉体を押し潰す。

65 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 07:56:54.37 ID:cNbx2xq6
>まあ法華経は偽経

お前自体が偽書き込み佛教論だろうがw
ばかものw
お前に評論する資格はないw

66 :アートマン U:2014/05/05(月) 07:57:06.31 ID:Amve+3k2
>>16
>本当の「許し」とは、「自分が間違っていた」と認めることでなければならない。
 
サイトでは、相手の非を許すだけでなく、相手への非を謝罪することも説く。
前者も難しいが、後者はそれ以上に難しい。謝罪された方も困る。
目下なら「ドンマイ」になるが、目上なら「こっちこそ恐縮です。気にしないで
ください」になるだろうか。否。目下への「甘え」が見透かせるからだ。
口先で謝るのではなく、態度や行動で借りを返すのがスジではないだろうか。
自分の罪はそのままにし、心のトゲとして甘受すべきである。

67 :アートマン U:2014/05/05(月) 08:17:26.69 ID:Amve+3k2
>>18
>何を以って「唯物論」と捉えるのか
何をもって世界の第一原因とするか。物質にするのが唯物論、
心にするのが観念論である。
 
>この世界は物しかないのが真実・・・
命がある。人間は命と物質の矛盾を生きている。

68 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 08:25:53.83 ID:cNbx2xq6
またか○とポンコツマン2は同一人物かもな。
自己陶酔がキモいw

69 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 08:53:13.94 ID:cNbx2xq6
○とポンコツマン2の共通項は中途半端に理解した佛教知識を
当人の思いつきと自己陶酔で本来の仏教の知識の意味を改変し続けて
議論していると思い込んでおられる目出度い自己陶酔御仁w

70 :アートマン U:2014/05/05(月) 09:19:28.85 ID:Amve+3k2
フロイト、ユング、十牛図(悟り)、精神分裂(統合失調)・・・
これらを並べているうちに精神分裂の正体がおぼろげに見えてきた。
 
ユングは精神分裂を、感情記憶、言葉、イメージなどの連関作用が、
必要以上に緩んでしまったために統合を欠いている、と考えた。
〜 これはフロイトにおける意識の圧縮機能
 
ここで脳ミソの記憶がいかにしてなされるかを再確認しよう。
意識は経験したことを瞬時に判断して記憶する。
その見出しは、愛憎、善悪、苦楽などの判断基準である。
簡単に言えば、愛憎によって記憶は色分けされ、統合されている。

71 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 09:27:07.10 ID:2ID6jh29
形あるものいつかは壊れる
これが理解できていない者はメンテに余念がない
心臓に毛が生えているような者は軽くスルーしてしまうだろう。
メンテ自体が抑圧が形を変えて無自覚に発生したものである。
メンテは怒りとか中傷とか自己陶酔とかにも変形する。
抑圧とは苦と言い換えても差し支えはないだろう。
その基準は常に困る、困らないである。
抑圧が薄れれば、自然の流れで困るは薄まる。
個々の対象に限定すれば意図的に抑圧を薄くすることは可能。
消してしまえば忘却という形で意識にも昇ってこないだろう。

72 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 09:34:48.79 ID:hEt81boB
> 何を以って「唯物論」と捉えるのか、視点の問題かと
> 仏教では「心」と呼ぶ現象を副次的に捉え、それは結局
> 肉体と言う物理的機構が物理的に機能して織り成して「心」と呼ぶ
> 事象を感覚に感じさせてるに過ぎないと観るので、唯物は否かは問題にならない
> 何故なら、唯物論も結局「心」のもとに思考で考え出された理論に過ぎないからだ
> この世界は物しかないのが真実、どこに「唯物」などと言う戯論があろうか

ならば肉体そのものをしてその主張を有らしめよ。

貴公の主張の分だけ、貴公は心的であると墓穴を掘っているのだよ。
あまつさえ、それは物に過ぎず取るに足らず、煩悩ある路傍の石に過ぎぬとの主張。

呵々。

73 ::2014/05/05(月) 09:35:06.78 ID:UDqzv96h
>>62
>また自己陶酔キモい60 :○ですかw
> 消えろw

>>65
>お前自体が偽書き込み佛教論だろうがw
>ばかものw

『八不』に準拠すれば、『自己陶酔』、『お前』、『ばかもの』などどこにあろうか。
よってどうして『消えろ』と言えるのであろうか。

と龍樹風に語ってみます。
もし詭弁だと思うのであれば、『八不』が帰謬法に過ぎないからでしょうか。

74 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 09:39:58.74 ID:hEt81boB
>>29
般若智、直証(証悟)、信等の回復が【仏教】また、あらゆる宗教の基本である。
仏外・仏内の区分など、実存の表層に座す概念遊戯者の戯言にすぎぬ。

75 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 09:44:44.62 ID:cNbx2xq6
ポンコツマン2は自己愛性人格障害だから安心しろw

76 :アートマン U:2014/05/05(月) 09:45:28.14 ID:Amve+3k2
では統合が失われるのはなぜか。
愛と憎の判断基準に問題が生じているからに他ならない。
 
周囲から愛されないと、本来持っているはずの愛が活性化せず、
愛情不足から判断基準が十分に機能しない状態になる。
その状態が続けば、やがては統合されていた記憶まで崩れ始める。
 
愛憎という見出しを失えば、記憶は有機的な連関を失ってしまう。
これが精神分裂の正体である。

77 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 09:47:52.59 ID:cNbx2xq6
>『八不』に準拠すれば、『自己陶酔』、『お前』、『ばかもの』などどこにあろうか。
よってどうして『消えろ』と言えるのであろうか。


根本解釈が狂っている意見、○の自己陶酔外国語は意味不明ですなw
仏教語を、きちんと学んでから出直してこい!

78 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 09:53:47.83 ID:cNbx2xq6
ポンコツマン2のかまってくれw自己愛も○と同じく佛教知識の記憶を改変するぞw

79 :アートマン U:2014/05/05(月) 10:02:24.27 ID:Amve+3k2
この人に必要なのは周囲からの愛情なのだが、
いい大人を子供のように愛してくれるような人はどこにもいない。
逆に風変りを警戒され、常に冷たくあしらわれる。
 
集団で周囲から憎まれると悲惨なことになる。
10人の集団なら、10人が1回叩くと10回叩かれる。
50人なら50回叩かれる。
 
こうして愛される人はますます愛され、憎まれる人はますます憎まれ、
周囲によって、精神分裂が進行する方向へと誘導されている。
この病気も進行性も、周囲や社会によって生み出される。

80 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 10:04:49.05 ID:yJO1cfVP
>>8
ダンマパダの偈でおえつ泣してまいました
ありがとう

81 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 10:15:12.70 ID:cNbx2xq6
ぽんこつまん2は自己の精神を語り始めたのか・・・・。

82 :エイトマン U:2014/05/05(月) 10:15:23.14 ID:M+ct7nrD
仏教知識の披露ばかりでサーンキャ哲学と両方を学び対象対比して考察した人は、
ここにはいないようだw
だから全てを含むインド哲学を習得したのが、ここへ出てきて一休トンチで
みんなボコボコにされるw

83 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 10:22:01.62 ID:cNbx2xq6
82 :エイトマン U:2014/05/05(月) 10:15:23.14 ID:M+ct7nrD
仏教知識の披露ばかりでサーンキャ哲学と両方を学び対象対比して考察した人は、
ここにはいないようだw



おまえは中途半端佛教知識だけwwポンコツマン2w
ポンコツマン2の中途半端な仏教知識の垂れ流しはお断りだw

84 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 10:30:24.74 ID:JXIULiUJ
 
> また「空」ですか
> 八不

//repository.meijigakuin.ac.jp/dspace/bitstream/10723/816/1/culture5_79-93.pdf
チベットに伝わる心の訓練法(ロジョン)と現代
ゲシェ・チェカワ『七事の心の訓練法』
2 諸法は夢の如しと訓練しなさい
3 空性は防御の最上のもの

『中論』冒頭の帰敬偈において
不滅・不生・不断・不常・不一・不異・不来・不去
という八不によって仏陀が形容されている

〔何ものも〕滅することなく (不滅)
〔何ものも〕生ずることなく (不生)
〔何ものも〕断滅ではなく (不断)
〔何ものも〕常住ではなく(不常)
〔何ものも〕同一であることなく (不一義)
〔何ものも〕異なっていることなく (不異義)
〔何ものも〕来ることなく (不来)
〔何ものも〕去ることのない (不去)〔ような〕
〔また〕戯論 (想定された論議) が寂滅しており …

85 :エイトマン U:2014/05/05(月) 10:31:52.40 ID:M+ct7nrD
>おまえは中途半端佛教知識だけwwポンコツマン2w

という御仁の宗教哲学が唯一の仏教知識で中途半端よりはいいねー♪

86 :アートマン U:2014/05/05(月) 10:44:25.83 ID:Amve+3k2
命かつ物質の矛盾を生きているのが生物である以上、
精神が分裂する傾向を、本質的に内包していると言っていいだろう。
人間に顕著なのは、言語力や思考力が群を抜くからである。
 
軽い分裂程度なら、多くの人が何らかの違和感を自分に抱いている。
通常、貧病争が契機になるが、これらは宗教の土壌でもある。
キリスト教などの宗教は、神や仏を設定し、信者の苦悩を和らげ、
精神が分裂の深みに嵌ることを防いでいる。
 
宗教はアヘンだと言われるが、他に救いを提示できない以上、
むげに否定するわけにもいかないのかもしれない。

87 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 10:50:27.99 ID:JXIULiUJ
 
> サーンキヤ

//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%A4%E5%AD%A6%E6%B4%BE
プルシャは
プラクリティから様々な原理が展開してゆくことを観察するのみで
プルシャ それ自体は変化することがない、とする
人はプラクリティから展開した理性、自我意識などを主体であると思い込む錯覚に陥っているが
本来の自我であるプルシャに目覚めることで解脱が果たされるとしている
サーンキヤ学派はヨーガ学派と対になり、ヨーガを理論面から基礎付ける役割を果たしている

//ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98
世親は「唯識二十論」で
「世界は個人の表象、認識にすぎない」と強く主張する一方
言い表すことのできない → 実体がある ← とした

88 :エイトマン U:2014/05/05(月) 11:01:57.88 ID:M+ct7nrD
>>87
日本では、そちらにツーカーであるIARPの本山博氏やヨーガスートラの佐保田鶴治氏の
見解は出ないかと期待したが、
なーんだウェイキペィアで即席に調べたのかw

89 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 11:03:49.01 ID:ERQrP7Pt
>>57
無我を説いているのは、釈迦の我(生命)。釈迦はそのことをうっかり忘れていたw。
小学生にでも判る滑稽な初歩的論理矛盾、勘違い、誤り。

>>59
量子力学では、君の隣に横たわる彼女の裸体は、実は超高速で運動する粒子の関係的
集合体。つまり、中身スカスカ。これが空。しかし。君にとっては豊満な女体。

歩いている人間は、その歩くという動作を同時に二度行なうことは出来ないのだから、
もはや歩けない。しかし、静止している人間から見れば、明らかに歩いている。
二本の軌道の上を等速で同方向に走っている二両の電車を、一方の電車から見れば
他方の電車は停止している。しかし、一方の電車が停止すれば、他方の電車は動いて
いる。つまり、観測者の状態次第(相互関係)である。これが相対性理論。

もろもろの存在は、関係性という空間の上を漂う粒子の雲。中身スカスカ。しかし、
人間という観測者から見ると、固定した確固たる実在。例外は皆無。これが、中論の
「空」である。

90 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 11:06:01.04 ID:JXIULiUJ
 
//d.hatena.ne.jp/hotokenomichi2008/20091011/1255250353
(例えば「仮設としての」と言う意味で仮に)
有相唯識派
阿頼耶識は実有なるものとする派です

無相唯識派
阿頼耶識も縁起なるものとして空とし、その実体・自性を否定する派です

91 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 11:08:09.23 ID:JXIULiUJ
 
//ja.wikipedia.org/wiki/%E7%91%9C%E4%BC%BD%E8%A1%8C%E5%94%AF%E8%AD%98%E5%AD%A6%E6%B4%BE
瑜伽行唯識(ゆがぎょうゆいしき)

瑜伽(ヨーガ)の実践の中に唯識の体験を得て教理にまとめ
とりあえず心(識)は仮に存在すると考え
深層意識の阿頼耶識が
自分の意識も
外界にあると認識されるものも生み出していると考え(唯識無境)
最終的には阿羅耶識もまた空であるとする(境識倶泯)

//ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98
煩悩障(自己に対する執着)
所知障(外界のものに対する執着)
の二種の障害を根絶することによって
阿頼耶識が変化を起こす(転識得智=てんじきとくち)
これがすなわち、汚れを離れた領域であり、思考を超越し
それを得たものは解脱身であり
仏陀の法と呼ばれるものである(大円鏡智=だいえんきょうち)

92 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 11:19:46.55 ID:JXIULiUJ
 
> サーンキヤ と 仏教 の対比

>>87 >>90 >>91 の続き

//ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AB%E9%82%A3%E8%AD%98

睡眠中でも深層において働き続け

根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続ける

この深層的な自我心(末那識・我愛)を滅することによって、我々は初めて真の無我行を実践することができる
  _  _  _

//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%A4%E5%AD%A6%E6%B4%BE

人はプラクリティから展開した理性、自我意識などを主体であると思い込む錯覚に陥っているが

本来の自我であるプルシャに目覚めることで解脱が果たされるとしている

93 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 11:21:31.63 ID:hEt81boB
> では空論者は、自分の、いったいどこに価値を見出すのだろうか。
> かれらは、空であることと、生きる価値という矛盾を解消してくれる、
> 「空という真理に通じたこと」に存在意義を見出す。

ここにお前の龍樹批判のからくりがある。
まともな読解力がまずない。
空とは何も、生きる価値がないことを意味しない
価値における、交換価値と使用価値を混同している。

希少性が高くなければ無価値だというお前の考えこそは、
お前が物事を表層的にしか判断していない証左である。

【生において、ありふれているものは価値がない】
↑これでは仏教(宗教)を理解できる水準ではない。

※芸術品などに価値を見いだす観察眼とは別の話。



.

94 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 11:47:56.17 ID:ERQrP7Pt
己が「万物・万人との関係性の中に存在している」という自覚により、初めて、
精神の大いなる安定と平安が得られる。本当の意味での「悟り」と「無我」が
達成される。

意図的に無我を求めて幾ら修行しても、「自我意識」が増すばかりであり、
悟りも無我も永遠に得られることはない。

95 :エイトマン U:2014/05/05(月) 12:01:46.87 ID:M+ct7nrD
サーンキャ学

静かなる車軸をプルシャ=アートマン=ブラフマンと重ね合わせ、
躍動する車輪を輪廻するプラクリティ=人間的生存=『心』と
重ね合わせる基本的な思考の枠組
________________________________
現象世界=プラクリティ
自己(真)自我心(末那識・我愛)=アートマン
阿頼耶識=プルシャ

12縁起
 「これあればかれあり、これ生ずるが故にかれ生ず、
  これなければかれなし、これ滅するが故にかれ滅す。」

この深層的な自我心(末那識・我愛)を滅することによって、
我々は初めて真の無我行を実践することができる =ブラフマンにすぎない。

96 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 12:05:14.31 ID:cNbx2xq6
>我々は初めて真の無我行を実践することができる =ブラフマンにすぎない。



んなこと書き込んで自己陶酔ポンコツマンを養殖したいのかw?

97 :エイトマン U:2014/05/05(月) 12:13:33.65 ID:M+ct7nrD
ブラフマンとは宇宙の顕れ全ての神はブラフマンから生まれたという概念を当てはめただけだけどね
>>96=己こそフレッシュマンと妄想執着する御仁は全てがポンコツマンに見えるのもブラフマンw

98 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 12:19:21.70 ID:cNbx2xq6
教祖自己陶酔ポンコツマンぶりはキモいなあw
議論の基本すら無いのに自己陶酔うぃや自己顕示欲かもなwポンコツマンのw

99 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 12:44:51.43 ID:JXIULiUJ
 
//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%9E%E3%83%B3

偉大なるものは、実に、ブラフマンの中から湧き出て来た神々である - アタルヴァ・ヴェーダ

ウパニシャッドの哲学者は、ブラフマンは、アートマンと同一であるとする

ブラフマー(創造者)は三神一体の神々の1つであり
ヴィシュヌ(保持者)と、シヴァ(破壊者)とは本来同一とされている

//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%B3

アートマンは、意識の最も深い内側にある個の根源を意味する。真我とも訳される

仏教における解釈
釈迦によれば「我」は存在しないとされるため
仏教においてアートマンの用語は一般的ではないと思われる
無我を知ることが悟りの道に含まれる

関連項目
中観派
瑜伽行唯識(ゆがぎょうゆいしき)

100 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 12:54:35.95 ID:cNbx2xq6
ブラフマンがどうだのという是が非かはどうでもいいが、
佛教議論スレでブラフマンを力説するような異常な自己顕示欲はキモいなw

101 :エイトマン U:2014/05/05(月) 13:02:15.40 ID:M+ct7nrD
>釈迦によれば「我」は存在しないとされるため

>>95で示しているように
我は12縁起で滅したから存在せず12縁起で生じたから存在するが正しく
「我」は存在しないのでなく、存在不存在のどちらでもないのが無我(アナートマン)として正しい。

ヴェーダやヨーガは三界の骨組みで特に色界の心の科学にあって
ID:cNbx2xq6は最初から色界も無色界も飛ばして頭が真っ白けっけのフレッシュで
皆がポンコツマンに見えるのよねw

102 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 13:03:24.66 ID:JXIULiUJ
 
「我」 と 「五蘊の仮和合」 の対比

>>87 >>90 >>91 >>92 の続き

//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%A4%E5%AD%A6%E6%B4%BE
プルシャ それ自体は変化することがない、とする

//ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%91
〔バラモン(ヒンドゥー)とかの〕
我は、常住であり
他との何らの関係をもたないで単独で存在することができるものと考え
それは働きのうえで自由自在の力をもつとした
この我によって人間生存は根拠付けられ、支配されていると考えるのである

( - これに対して - )
釈迦はこのような実我観念を批判し
「我として認められるものはない」として、諸法無我と説いた
これを色受想行識の五蘊について説き
人間生存は無我である五蘊の仮和合したものであるから仮りの存在であると説いた

103 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 13:18:14.53 ID:4YSb9GH5
日本がおかしくなった原因
http://fox.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1399258131/

104 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 13:20:28.80 ID:cNbx2xq6
>ID:cNbx2xq6は最初から色界も無色界も飛ばして頭が真っ白けっけのフレッシュで
皆がポンコツマンに見えるのよねw


ヨガの味は知っているが、おまえの自己陶酔自己顕示欲の気持悪さは十分ポンコツマンだw

105 :エイトマン U:2014/05/05(月) 13:38:09.79 ID:M+ct7nrD
〔バラモン(ヒンドゥー)とかの〕
( - これに対して - )

この二つを合成した文にしてみよう。

我は、無我であり無常である。
「我として認められるものはない」として、諸法無我と説いた
無我とは他との何らの関係をもたないで単独で存在することができるものと考え
それは働きのうえで執着を解き自由自在の解脱をもつとした
これを色受想行識の五蘊について説き 、この無我によって人間生存に根拠付けられた
支配を免れると考えるのである。
人間生存は無我である五蘊の仮和合したものであるから仮りの存在であると説いた。

バラモン(ヒンドゥー)とかは カーストを守るため無常無我にはできなかったというとこかな。
どちらにもしても社会との和合は無理だよ、出家の傲慢によって出家の前面を強く在家に押し出してインドで
滅んだんだから。
布施どころか何もかも在家から取り上げたら、そりゃあもう、おしまい。
出家のサンガが傲慢になったのってマウリア王朝の権力と結びついたから堕落したんだろうな。

106 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 13:41:15.97 ID:cNbx2xq6
ポンコツマンは自己陶酔自己顕示欲の気持悪さを止められないかw
ポンコツだからなあw
佛教議論スレで書き込む虚しさを普通感じるものだがw自己顕示欲と自己陶酔で脳がオカシクなっているんだろうなw

107 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 13:44:19.43 ID:JXIULiUJ
 
「上座部である部派仏教徒の一部」 と 「大衆部」 の対比

>>87 >>90 >>91 >>92 >>102 の続き

//www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/6299/repo1.htm

上座部である部派仏教徒の一部は
五蘊(色・受・想・行・識)
十二処(眼・耳・鼻・舌・身・意の六根処と色・声・香・味・触・法の六境処)
などの法は存在するという「我空法有」を主張し、そしてその法は現在だけでなく
過去にも未来にも三世にわたって常恒であるという
説一切有部の「三世実有法体恒有」の思想を展開させたのである

( - これに対して - )
大衆部はこれに対し「現在実有過末無体」を唱えた
五蘊、十二処、などの法は
現在の一刹那のみが実有であって、過去と未来は実有はないとするのである
  _  _  _

五蘊の仮和合の仮に現れている状態なので
現在の一刹那のみも実有ではないとする

108 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 13:46:25.89 ID:cNbx2xq6
ポンコツマンの自己陶酔と自己顕示欲の気持ち悪さが、ブラフマンとかねw

109 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 13:47:57.89 ID:E5IHiu6a
要するに同じ事言ってるんでしょ。

釈迦は我はないで、バラモンの単独の存在は同じ事。

110 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 13:51:49.69 ID:cNbx2xq6
>要するに同じ事言ってるんでしょ。


残念だな、釈迦の方は物事の正確な把握にウェイトを置いている。

ヒンズーは神気分で、ラリっていたらいいだけさw

111 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 13:56:28.52 ID:psodnzsT
1スレで十分なのに98スレも同じ事を繰り返しているw
まさに輪廻〜くるくる同じ円状を回るだけで進歩が無い。

112 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 14:00:17.69 ID:cNbx2xq6
ポンコツ自己陶酔、自己顕示欲のエネルギーで運動がスレの流れの中心だからなあw、
ポンコツマングループが虚しいと自覚ができるのが正気の第一歩w

佛教だろうとヨガだろうともw
ポンコツ自己陶酔、自己顕示欲のエネルギー輪廻しているようじゃ所詮ww

113 :エイトマン U:2014/05/05(月) 14:00:29.08 ID:M+ct7nrD
>>110
>残念だな、釈迦の方は物事の正確な把握にウェイトを置いている。
>ヒンズーは神気分で、ラリっていたらいいだけさw

と間違って心がオシャカになったからポンコツに観えるんだねw

114 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 14:01:03.08 ID:wrRSDZDD
>>64
> 目に見えないプレッシャーというのは確かにある。
> 試しにプレッシャーになりそうなものを一つ除いたら、解放感は確かにある。
> 普段、何かと忙しく無自覚であれば軽くスルーされてしまいそうな感じでもある。

> 趣味が高じてしまえば、欲望が行き過ぎてしまえば、常識に囚われてしまえば、
> 他人に何かを言われれば、肌寒くちょっと不快とか、
> そんな所に目に見えないプレッシャーはゴロゴロ転がっている。
> 場合によっては目に見えないプレッシャーは肉体を押し潰す。

フロイト先生ですか

115 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 14:02:27.83 ID:cNbx2xq6
>と間違って心がオシャカになったからポンコツに観えるんだねw



自己顕示欲と自己陶酔でポンコツ化している自覚がないのかw?
やっぱりポンコツ輪廻エネルギーだなw

116 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 14:04:23.72 ID:wrRSDZDD
>>67
命また物理的な現象でしょう。

>>18
唯物論と唯心論を止揚したのが仏教的な世界観じゃないのかね

117 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 14:05:29.17 ID:13tjSu5l
現在ウパニシャッドを読んでいるんだけど、創造主はプラジャ=パティ神だよ。
インドラ神はプラジャ=パティ神の元で101年修行した。

118 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 14:10:20.39 ID:cNbx2xq6
ほんとwポンコツマンの自己顕示欲と自己陶酔で養殖しているなあw変なのがw

119 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 14:21:25.38 ID:JXIULiUJ
 
> 1スレで十分なのに98スレも同じ事を繰り返している
> まさに輪廻〜くるくる同じ円状を回るだけで進歩が無い

私自身本人が
無明の暗闇に覆われて
この現世において肉体が滅しても
誤ったあり方を掴んで離すことの出来ない、渇愛によって
輪廻を繰り返して
また次の、この世の生に戻り来る

//home.att.ne.jp/delta/myrobalan/mulama.html
第二十六章 十二の鎖の環(十二因縁/十二縁起)の考察
1.
無明の暗闇に覆われて
人はその者自身を未来の生へと
追いやることになる性質を持った
三種類の行為を行う(カルマを積む)
(身体的な行為、言葉による行為、心による行為)
6.
渇愛によって
誤ったあり方を掴んで離さないような、固執/掴むこと(取)も生じる
11.
無明の停止は
止(サマタ禅定)と観(ヴィパッサナー智慧)を通して生じるのである

120 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 14:23:43.35 ID:wrRSDZDD
>>89
> 無我を説いているのは、釈迦の我(生命)。釈迦はそのことをうっかり忘れていたw。

我って生命ってことじゃないでしょ。形而上の普遍性のことでしょ
> 量子力学では、君の隣に横たわる彼女の裸体は、実は超高速で運動する粒子の関係的
> 集合体。つまり、中身スカスカ。これが空。

空とそのことも関係ないでしょ?空というのは微粒子自体もそれ自身で存在するのではない、ということじゃないの?

> 歩いている人間は、その歩くという動作を同時に二度行なうことは出来ないのだから、
> もはや歩けない。

これも色々おかしい。二度同時に行えないから一度も起こっていない、ということにはならないよね
> 二本の軌道の上を等速で同方向に走っている二両の電車を、一方の電車から見れば
> 他方の電車は停止している。しかし、一方の電車が停止すれば、他方の電車は動いて
> いる。つまり、観測者の状態次第(相互関係)である。これが相対性理論。

異なる運動をしている主体にとって光の速度が同じであることが相対性理論の肝じゃなかった?あなたの言い方でいうとある光源から発せられた光を走ってる電車の中から見ても地上で立ち止まってる人が見ても同じ速さに見えるとかなんとか

> もろもろの存在は、関係性という空間の上を漂う粒子の雲。中身スカスカ。しかし、
> 人間という観測者から見ると、固定した確固たる実在。例外は皆無。これが、中論の
> 「空」である。

空というのはその微粒子そのものは空ではない、ということ?そうは言ってないでしょ。むしろ微粒子がかりそめに物質の形に集合していることにも縁起がある、ということを言ってるんじゃないのかね

121 :エイトマン U:2014/05/05(月) 14:30:50.56 ID:M+ct7nrD
伝統思想シリーズ2 ダルマと王権.pdf - 龍谷大学現代インド
マウリヤ朝の王権が庇護する宗教は仏教でした。北イン. ドの王都の中では、 ......
構造を明解に示されたのですが、サンガを保護することが王権の正統性を得ることだと説明されていました。
http://rindas.ryukoku.ac.jp/research/upfile/%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E6%80%9D%E6%83%B3%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA2%E3%80%80%E3%83%80%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%81%A8%E7%8E%8B%E6%A8%A9.pdf

122 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 14:35:05.26 ID:cNbx2xq6
ポンコツマンと自己顕示欲と自己陶酔の方が重要なテーマかもなw

123 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 14:36:46.87 ID:E5IHiu6a
バラモンの単独の存在を釈迦が勘違いしてたんじゃない?

この単独の存在を我だと執着している人がいっぱいいたから当時。

で、無我だけど、無我は無じゃない、我が無い。

124 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 14:43:52.19 ID:wrRSDZDD
>>123
我ってのはそのもの自体の本質、要するにイデア的なもののことでしょ?
科学的にはイデアはあると言えない、これが無我でしょ?

125 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 14:43:53.42 ID:cNbx2xq6
>バラモンの単独の存在を釈迦が勘違いしてたんじゃない?

この単独の存在を我だと執着している人がいっぱいいたから当時。

で、無我だけど、無我は無じゃない、我が無い。





それはあなたの空想の中の「釈迦」。

126 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 14:51:32.28 ID:wrRSDZDD
>>94
> 意図的に無我を求めて幾ら修行しても、「自我意識」が増すばかりであり、
> 悟りも無我も永遠に得られることはない。

我ってのを「自我」と誤解してるんじゃないの?我ってのはイデアであって、自我は自分のイデア。
つまり我ってのは自我も含むけどコップの我(イデア)とか枕の我(イデア)とか諸々のイデアが想定できる。自我に限らない。

そんで、そういった様々なイデア(自我も含めた)全てが実は無いよ、イデアなんて無いんだよ
というのが無我ってことじゃないのかな。

127 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 14:56:16.44 ID:ERQrP7Pt
>>120
「形而上の普遍性」とは一体何か。そんなアホなことを考えているのも、釈迦の
我(生命)。釈迦が死ねば、一切不可能。

微粒子を構成する素粒子も次々に発見されており、発見され続けるだろう。
つまり無限小=ゼロとなる。

128 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 15:02:19.26 ID:hb4rsI3p
>>127
地球や太陽に生命とやらがあるのか?
君が履いているパンツに我はあるのか?
そもそも生命やら我やらは人間が勝手に「有る・無い」と定義し考えたもの

釈迦はその次元で無我を言及して居ない

129 :エイトマン U:2014/05/05(月) 15:03:47.86 ID:M+ct7nrD
>>122 ID:cNbx2xq6=ヨガの味というフレッシュマンにいい話だなw

第十六章 悪魔の出現

その時ゴーダマにおかしなことが起った。
木の下で目をつぶり座禅をしているゴーダマの魂が宙に舞いあがったのである。
ゴーダマの肉体は木の下で座禅をしている。しかし、
ゴーダマの魂が宙に浮いて木のしたのゴーダマの肉体を見ているのである。
ゴーダマは喜んだ、自分の魂が肉体を離れたのである。これこそ幽体離脱である。
その時ゴーダマは目を開いた。目を開いた瞬間、肉体と魂は一体となった。
http://www1.clovernet.ne.jp/ponnpe/newpage10.html

130 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 15:05:15.21 ID:ERQrP7Pt
>>126
他人のイデアなど、その他人に成り変らなければわからないのだから、我の
知ったことではない。

131 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 15:06:58.70 ID:cNbx2xq6
127の北朝鮮隠居将軍様のチェチェ思想だから、
>地球や太陽に生命

はあるかもよw
全知全能のゴインキョー将軍様に不可能の文字はないw

132 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 15:07:47.35 ID:hb4rsI3p
>そんなアホなことを考えているのも、釈迦の我(生命)。

この上記の戯論が成立する為には、釈迦が「生命や我」を「有る」と言えば成り立つ
しかし、釈迦はこれらを根本問題とせず、敢えて「そんなものは最初から無い」と言う立場である
無い事を「想像」したのではなく、無いものを「無い」と言及したに過ぎない
無い事を思いで語った訳でもない、無いものを証言したに過ぎない

故に「釈迦の我」に執着しそれを目の敵に言うのは愚考と言わざるを得ない
外道は修行によって身をもって体現させる方法を知らない為、この愚行に陥って出てこれない

133 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 15:09:35.22 ID:cNbx2xq6
129ポンコツマンの止まらない自己顕示欲と自己陶酔の悪魔の心配しろよw

134 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 15:10:12.95 ID:wrRSDZDD
>>127
> 「形而上の普遍性」とは一体何か。そんなアホなことを考えているのも、釈迦の
> 我(生命)。釈迦が死ねば、一切不可能。

死ねば不可能だけど、死んでないよね。
で、「『形而上の普遍性』について考えてもそんなものあると言えないよ」という釈迦の発言内容は釈迦が死んでても死んでなくても関係なく成立するよね?
つまり釈迦の生き死には発言内容の真偽と関係ないから、
あなたが釈迦の生き死にを持ち出して発言内容を偽だと言うことは的外れじゃないのかな、ってこと。

> 微粒子を構成する素粒子も次々に発見されており、発見され続けるだろう。
> つまり無限小=ゼロとなる。

ん?素粒子が発見されたら素粒子はあるってことになるでしょ?で、その素粒子自体はあるんだけど、
どんなに物を細かく分解してみても素粒子まで分解しても素粒子のそのまた素にまでさらに分解しても、って繰り返しても、
その奥の奥からイデアがひょっこり転がり出てくる・・・なんてこたありませんよ、
なぜならイデアなんて無いんだから
というのが「空」じゃないの?

形而上の普遍性って、つまりイデア的なもののことね

135 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 15:13:25.09 ID:wrRSDZDD
>>130
> 他人のイデアなど、その他人に成り変らなければわからないのだから、我の
> 知ったことではない。

いや、あんたが知ったことか知らないことかにかかわらず、
あんたにも万物それぞれについてもイデアってものがあると言えない、ってことじゃないのかなと。

136 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 15:22:51.59 ID:wrRSDZDD
>>132
> 外道は修行によって身をもって体現させる方法を知らない為、この愚行に陥って出てこれない

修行しなきゃわからないってこともないと思うけど・・・ってか現代哲学かじれば誰でも辿り着くというか、現代哲学がようやく釈迦に追い付いてきたというか・・・
でもこれからは現代哲学の進歩おかげで釈迦の言わんとしてたことがかなり身近になるんじゃないかと思う。
現代哲学は釈迦の言葉や仏教用語を現代日常語に翻訳するツールになる、という気がする。そしたらこれからは(宗教としての仏教は別として)釈迦の言葉が現代人に受け入れられやすくなる。
すると職業坊主は廃業かもしれんが、それもまた縁起でしょうね。

137 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 15:41:26.13 ID:sT9usw6d
世界が存在するのは、完璧な対称からわずかにずれているから。

138 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 16:02:42.16 ID:E5IHiu6a
諸法無我なんだからイデアであろうが、すべて無我って意味じゃないの?
でもブラフマン=アートマンを発見した人たちが、それを我だと勘違いして執着していることを指摘していた。
空想しすぎてごめんw

139 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 16:08:43.73 ID:sT9usw6d
小林-益川行列の混合角がすべて0なら、宇宙の始まりには光子しか存在せず、それ以外の物質も質量も
存在しなかった。

140 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 16:12:20.50 ID:wrRSDZDD
>>138
> 諸法無我なんだからイデアであろうが、すべて無我って意味じゃないの?

諸法無我
つまり、全て「無我」、
つまり、全てにおいて「無・イデア」
要するに、全てにおいてイデアっつーか観念的なものっつーか普遍的な本質っつーか、とにかくそういう現実から離れた変わらぬ本質ってのは無いですよ、
という意味かな、と。

141 :エイトマン U:2014/05/05(月) 16:12:31.26 ID:M+ct7nrD
ま日本人が大乗経典を偽教と知ったのは明治時代に日本仏教の代表がヨーロッパへ行き
当時から仏教を論破するためにヴァチカンが仏教を研究していてヴァチカン関係者に指摘されてからだしね。
キリスト教が上座仏教の僧との論破合戦に破れてもキリスト教は大健在。
幾ら無いとか無明によって神があるとかいって否定しても無駄。
空海が大日如来と一体化という即身成仏を見せ釈尊が舎衛城でみせた千仏分身などで
異教徒を調伏した技術は煩悩解脱の法でなく三界・ヨーガの技だから。

142 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 16:33:03.64 ID:hb4rsI3p
>>136
諸行無常 諸法無我を解明できたのは仏教だけ
そしてそれは未だに論争が絶えなく、哲学思想如きでは解明できない
他の宗教・思想では絶対に解明できない
当の同門の僧侶さえ解明出来てないのが多いのだから仕方ない

>>137
甚深微妙の法の意味はその視点に無い
真の現実(仏法の視点)と娑婆の現実(凡夫の視点)の違いは
後者が前者にとって人の「思い」の分だけ誤謬が上乗せになってるって事
つまり、人間が勝手にこの世界の真の現実に対して妄想を抱き、誤謬の眼で見て
日常を送り、苦悩を繰り返している
その「思い」の分だけの誤謬を説明してやるには、相当難しく
説明された相手が増上慢だと、その者の想定がなし崩しにされる為に強烈な拒絶を起こす

これが甚深微妙にして難解難入なる法の意味となる

143 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 16:35:47.46 ID:E5IHiu6a
イデアをわかってなかったから調べたら、真我のことだよね。
アートマンのことをプラトンがイデアって言ったわけでしょ。
で、アートマン=ブラフマンは我だというのは間違いだ。
だから、我ではないっていうのと単独の存在はブレてなくない?
無ではなく、我ではないってことでしょ。

144 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 16:38:53.02 ID:3hp0FQin
>>143
だからと言って、
 “どこかに”「我」がある(いる)
とは限らない―いや、いる筈もなし―ってのが、諸法無我でしょ。

145 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 16:41:46.20 ID:hb4rsI3p
>>143
西洋哲学が好きなら何も仏教に首を突っ込んで挑む必要は無い
西洋哲学の限界は「観察者」は除外して考察する矛盾を回避できないところにある
それはデカルトの「我思う、ゆえに我あり」が示すとおり、自分自身の解明がそこまでしか出来ない事を意味する
仏教はそれより深い部分を考察では求めない、哲学は考察だけで求めようと苦心する
哲学と仏教を混ぜて考えてはならない、同時に仏教を宗教として考えてもならない

146 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 16:46:42.70 ID:E5IHiu6a
>>144
完全同意します。

147 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/05/05(月) 16:53:17.05 ID:cHk1iBps
>>137
これは「ゆらぎ」のことかな?

ドリップ式のコーヒーだと、その日によって味が変わる。
実はそういった「味の変化」というのを見極めることが一番大事で、
では見極めたら、最高の味を出すことを考える。

ところが、最高の味を出そうとして一生懸命になってても、上手くいかない場合がある。
そうかとおもうと、忙しい日で、無造作に入れたところが非常に美味な味が出たりする。
これは私じゃなくても、そういう経験のある方は多い。
一応はそういう世界で喫茶技術を究めた人はね。

気分がイライラしている時は、ほとんどがコーヒーを美味く抽出するのは難しい。
かといって、気分が高揚していても、必ず美味いコーヒーを抽出できることもない。

同じようなことの繰り返しが、
同じようなことになるのは、いたって難しいことなのだ。
大事なのは、全てをまったく同じ状態で再現し続けるということは半端ない労力を要する。
ということを知る。ってことだだろうね。
茶の湯にも通じる。

148 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 16:55:46.14 ID:wrRSDZDD
>>142
> 諸行無常 諸法無我を解明できたのは仏教だけ

その昔ヘラクレイトスは万物は流転すると言ったけど、
特に近代以降、カントは純粋理性を批判したし、科学では反証主義で形而上から離れたし、ニーチェは神の死を言ったし、かたや実存主義以降、かたやレヴィストロース以降の流れで構造主義が生まれ、
そういった色々が釈迦においての六師外道のように今後の西洋哲学に作用するんじゃないかな。
これらをもう少し進めて統合したら釈迦の思想というか言葉の理解に至るのじゃないかなあ。


> そしてそれは未だに論争が絶えなく、哲学思想如きでは解明できない
> 他の宗教・思想では絶対に解明できない
> 当の同門の僧侶さえ解明出来てないのが多いのだから仕方ない

149 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 17:05:20.15 ID:wrRSDZDD
>>145
> 西洋哲学が好きなら何も仏教に首を突っ込んで挑む必要は無い

現代西洋哲学と仏教(少なくとも宗教的な部分を除いた哲学的な部分の仏教)は親和するよ。

> 西洋哲学の限界は「観察者」は除外して考察する矛盾を回避できないところにある
> それはデカルトの「我思う、ゆえに我あり」が示すとおり、自分自身の解明がそこまでしか出来ない事を意味する

それは近代以前の西洋哲学。デカルトからはもう離れたところに来ている。

> 仏教はそれより深い部分を考察では求めない、哲学は考察だけで求めようと苦心する

科学哲学の発展で、西洋哲学の考察方法も科学的なものになった。信仰から離れたといってもいいかもしれない。ザックリ言うと存在論と認識論になった。
そういう意味では釈迦に近づいたとも言えると思うが。

> 哲学と仏教を混ぜて考えてはならない、同時に仏教を宗教として考えてもならない

宗教として維持されてきた側面もあるけど、それ以前に仏教の根本は存在論と認識論ではないのかな。

150 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 17:13:53.14 ID:ERQrP7Pt
釈迦や釈迦カルトがいくら足掻いても、「己の我を以って無我を説いた」と
いう釈迦の初歩的論理矛盾、勘違いは解消されない。小学生からも笑われる。
人前では言わないほうがよいw。

また、「苦楽」は相対的概念で、「苦あれば楽あり、楽あれば苦あり」で一発
でチャラ。「一切皆苦」は、釈迦の鬱病の症状以外の何物でもない。釈迦仏教とは、
釈迦の精神病の感染であるという病識を持つ努力をしよう。

151 ::2014/05/05(月) 17:22:13.61 ID:UDqzv96h
>>142
> 諸行無常 諸法無我を解明できたのは仏教だけ

>>150
>「一切皆苦」は、釈迦の鬱病の症状以外の何物でもない。

「一切皆苦」、「諸行無常」、「諸法無我」は常見者向けの対機説法だったそうですので
あまり固執して議論する必要はないでしょう。

もし、断見者向けに「一切皆苦」、「諸行無常」、「諸法無我」を説かれた仏典をご存じの方は
(大智度論への反論として)御紹介いただければ幸甚に存じます。
断見者にそのような説法をすれば、虚無論者に陥るかも知れませんね。

152 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 17:29:56.61 ID:E5u6ZitZ
36: おさかなくわえた名無しさん@転載禁止 [sage] 2014/05/05(月) 15:17:46.75 ID:EuDTucGj

お前ら宗教板の議論スレにでも行けよ。
この世界が妄想なら確かめようのないことは尚更大妄想だから。
それにお前みたいに頑張って仏教の知識だけつけても
いつも不毛な議論に時間を費やしてばかりってなるだけで
結局は何の実り無く、虚しい人生で終えるのがどうせオチなんだから
他人までを自分の下らん妄想に付き合わせて巻き込もうとするなよな。
迷惑なんだよ。

153 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 17:42:25.27 ID:psodnzsT
>>152
激しく同意するwww

154 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 18:28:13.53 ID:wrRSDZDD
>>150
> 釈迦や釈迦カルトがいくら足掻いても、「己の我を以って無我を説いた」と
> いう釈迦の初歩的論理矛盾、勘違いは解消されない。小学生からも笑われる。

「釈迦は己のイデアを根拠に万事にイデアが存在しないことを説いた」のではないよ。
完全に間違って理解してる。
デカルトは「人間は考える葦である」と言って、己のイデアから物事のイデアを考えようとしたけど、
現代哲学はイデアは論証できないことに気付いて今に至る。
釈迦はその遥か昔に既にそこにいた。イデアは論証できないからあると言えない。
つまり科学的に言えば「イデアは無い」
それが諸法無我
だと思う。

155 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 18:58:58.86 ID:13tjSu5l
「イティブッタカ」オススメだよ。
無我に拘るよりも、鼻孔下に意識を置いて入出息の観察をしたり、
身体の感官を感じ取ったり、一歩引いたところから感情・思い・考えを観察する。
さらには、感情・思い・考えの生起を観て捉える。
こうした事からやっていった方が良いと思う。
深い集中状態で心身が親和した状態になってから、色々気付く事ができて深い理解ができるんじゃないかな。

156 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 19:16:30.32 ID:ERQrP7Pt
>>154
「考える葦」はパスカル。

デカルトの「我思う、故に我あり」では、いくら自分で「我あり」と思っても、
共同体の不特定多数の成員が我の身体を知覚してくれなければ「我は無い」。
人間の共同体性の視点が完全に欠如している。西洋哲学の誤謬の根源である。

釈迦の「無我」は、デカルトの裏返しに過ぎない。尚悪いw。

157 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 19:27:10.05 ID:wrRSDZDD
>>156
> 「考える葦」はパスカル。

すまんwwwさっきパスカルのこと書いた本読んでたから間違って書いちゃったすまんパスカル

> デカルトの「我思う、故に我あり」では、いくら自分で「我あり」と思っても、

これこれ。

158 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 19:48:25.65 ID:wrRSDZDD
で、現代哲学はイデアを克服して構造主義が現れ今に至る。釈迦の無我に追い付いてきてる

159 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 20:20:15.21 ID:MlQh63Ni
どこで質問すればいいのかわかんないんですけど、ここでいいのでしょうか。
お釈迦様は偉大な方なんですが、お母様はマヤ夫人ではなくてブチャラーパティー様だと
思うのですが違いますか? 
あとスジャータさまは乳粥というか母乳をお釈迦様に与えてそれで悟りを開いたらしいんですが、
これも真実でしょうか。 いつもスジャータさまをたたえる歌としてコーヒーミルクの
スジャータのCMが有名ですが、これも日本沈没を促す歌として強く歌われているらしいのですが、
やはり真実なのでしょうか。

160 :コレ悟りかよ!?w:2014/05/05(月) 20:37:25.16 ID:m+eetlFF
>>159
俺もスジャータの母乳が飲みたいです。
すいません・・・想像したらちょっと興奮してきました

161 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 20:52:36.89 ID:MlQh63Ni
 
ブチャラーパティー様が手を結んだ悪神は相当に悪い連中であり、
ときにはスサノオ、あるときはアメノホヒ様かアメノホシオミミ様で
実はやはり悪神であるということらしいのですが。 偽ユダヤの総帥になっているともいわれている方だそうなのですが。
何か心当たりがあるかたがいらしたら、是非教えてください。 お願いします。

162 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 20:59:23.87 ID:ERQrP7Pt
>>158
構造主義も現象学も、むしろ中論ではないかな。

中論は、量子力学や相対性原理はもとより、ソシュールの言語学さえ先取り
している。ハイデッガーの「世界内存在」もそうだね。唯識は、フロイトの
先取り。

釈迦の無我が、西洋哲学にどんな影響を与えているのか判らない。サルトルは、
本質は認めないが、その前に実存を認めている。釈迦は、実存さえ否定する。

ニーチェは、仏教を「唯一の実証的宗教」として絶賛したが、これも大乗仏教
のことだろう。

163 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 21:44:26.40 ID:2ID6jh29
>>162
縁起があるから自性を否定してるだけで、実存は否定してないだろ。
意味・思考は必ず記憶映像に準ずる。つまり後付け。
肉体・精神はほぼ無自覚に動く。

164 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 22:12:17.02 ID:wrRSDZDD
>>162
>唯識は、フロイトの
先取り。

現象学とか実存主義は唯識に繋がるんじゃないかね

165 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 22:13:19.92 ID:2ID6jh29
自性がないから十二支縁起というものが成り立つわけで
自性があるなら十二支縁起というものは成り立つわけがない。
それがどうしたに繋がるが、
四諦が言いたいがためのように思う。

166 :ルパーン V:2014/05/05(月) 22:14:18.18 ID:M+ct7nrD
禅定による脳内メカニズム。

禅定によって脳内に高揚感ホルモンの
解脱物質と言われるエンドルフィンが分泌される。
そして分泌の揺らぎで高揚感が生起消滅し移り変わり無常を感じとる。
そして高揚感も消してゆく(エンドルフィンの分泌が抑止)されてゆく。
そして感受作用が断絶して滅尽定となる。

167 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 22:30:05.27 ID:wrRSDZDD
>>163
> 縁起があるから自性を否定してるだけで、実存は否定してないだろ。

存在論としては唯物論的、構造主義的だけど
認識論としては唯心論的で実存主義的な部分があるとおもう。
ただ、実存というと現実のしがらみから離れた自由な自分というニュアンスもあるからその意味では実存を否定したともいえるかも。

私としては存在論としては唯物論的構造主義的に存在するからその意味では存在は規定されており本来は決定論的に必然で世の中が動くけど
人間の能力的に決定論的必然を知り尽くすことができないから
認識論としては不完全な認識能力から未知が生じることで人は自由な気分実存の気分を味わえる、
また不完全な認識能力ゆえに人は未知に規定された主観を通じてしか物事を認識できず
ゆえに究極的には唯識論的にしか世界を認識できない、
ということになると思う。

168 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 22:34:27.21 ID:O9ii+pjQ
>人間の能力的に決定論的必然を知り尽くすことができない

謙虚なフリした傲慢だな。

169 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 22:43:39.75 ID:2ID6jh29
>>167
なるほど。私には少し難しいけど人体のカラクリは
そんなものの気がします。

ところで、空というのは無自性の現象=空という認識でいいでしょうか?

170 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 22:55:37.17 ID:eG7bb6cy
コレ悟は入院したことあるの?>>160

171 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 23:03:53.83 ID:2ID6jh29
>>160
確かにその発想は誠に稀有なことだと思うw
四諦即八正道な気がしてきたw

172 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 23:05:03.05 ID:wrRSDZDD
>>169
無自性な現象というか
存在が無自性である状態を指して空と言ってるのじゃないかな
色即是空でいうと
現実の個別の存在(色)が縁起に規定されているが故に(即是)無自性でありそのものだけでは存在し得ない(空)ような存在である、と。

173 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 23:07:19.73 ID:wrRSDZDD
>>168
傲慢ってなんで?まあ別に謙虚なつもりもないけど

174 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 23:14:47.82 ID:2ID6jh29
>>172
なるほど。ありがとうございます。
現象と書いたのは記憶映像や夢をイメージしてのものです。

175 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 23:48:40.56 ID:xTDk/dDi
>>171
八正道の「正しい」の具体的基準は一体何?「正しい」を八回も繰り返しながら、
「正しい」の基準は全く示されていない。「戯論」の典型ではないか。

176 :神も仏も名無しさん:2014/05/05(月) 23:59:14.86 ID:3hp0FQin
>>175
確かに、
岩波青のSnには、具体的には無いかもしれません。
もし、それしか読んでいなければ、
その人には、何も示されていないとしか思えないでしょう。


つまり、貴方が無知なだけだということです。 (右京さん口調で)

177 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 00:17:28.43 ID:QRUs6ORC
2章 禅と脳科学:その1
2.3 坐禅によって脳幹が活性化する
2.4 脳の三層構造と進化の歴史
2.8  ブッダが説く坐禅と呼吸 
2.9  呼吸法の意味と役割 
2.10  腹式呼吸と自律神経の調整
2.11  坐禅とセロトニン神経
2.12   腹式呼吸はセロトニン神経を活性化し精神を安定化する
2.16    禅と禅定の脳科学的解釈
2.17   「止観明静前代未聞」とAB神経系 
2.18   禅定と快感
http://www.sets.ne.jp/~zenhomepage/brainscience1.htm

178 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 00:36:59.54 ID:7eNnK+Sq
>>162
ニーチェが読んだのはスッタニパータです。

179 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 00:50:56.01 ID:mR5Cvr/R
色と空について
中観派は「色即是空」に軸足を置いてて
唯識派は「空即是色」に軸足を置いてるという理解はあってますかね?

180 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 01:10:33.05 ID:pr9g0RVw
>>149
>仏教の根本は存在論と認識論ではないのかな。

仏法は無我にて候、なので論など構えられる訳もありません
故に、仏教を哲学的に研究する事は可能でも、その奥義を
研究成果として研究から得る事は絶対に不可能です
仏法は「現生的なる法」なので、その場で証拠を見せられなければインチキとなります
あなたの言う「哲学」との融合、または親和性からの研究で得たものを用いて
私が今言っている「絶対に不可能」を破ってみてください、多分無理です
例えば、眼前にコップを一つ用意してください
そのコップに「存在論と認識論」を論じさせてみてください
旨く喋ってくれましたか?
研究如きでこの理は理解不能でしょう
これを体得するのが仏道なのであり、仏法の奥義はその先にちゃんとある訳です

181 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 01:29:43.73 ID:2PDjt5PF
>>178
>ニーチェが読んだのはスッタニパータです。

ヘー。スッタニパータの一体どこが「実証的」なのかね。ニーチェと釈迦との
共通点などあるのか。当時、独訳などあったのだろうか。

182 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 01:46:41.57 ID:7eNnK+Sq
>>181
>スッタニパータの一体どこが「実証的」なのかね。
ニーチェに聞け

>ニーチェと釈迦との共通点などあるのか。
共通点があると言うやつに聞け

>当時、独訳などあったのだろうか。
読んだのは英訳のようだ
あとショーペンハウアーの影響もありそう

183 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 01:57:59.67 ID:mR5Cvr/R
>>180
> >仏教の根本は存在論と認識論ではないのかな。

> 仏法は無我にて候、なので論など構えられる訳もありません

無我であるゆえに論を構えられない、というなら無我ゆえに釈迦は説法できなかったはずですよね。
>>150の人みたいなこと言ってしまうんですか?

>その奥義を
> 研究成果として研究から得る事は絶対に不可能です

神秘主義めいてきましたね。

> 私が今言っている「絶対に不可能」を破ってみてください、多分無理です
> 例えば、眼前にコップを一つ用意してください
> そのコップに「存在論と認識論」を論じさせてみてください
> 旨く喋ってくれましたか?

そういう抽象的な言い方で煙に巻こうというのは神秘主義に特有ですね。眼前のコップと私との間にも存在論や認識論を当てはめることはできますし、私とコップがともにそういった存在論や認識論で説明される系の中にありますよ。

> これを体得するのが仏道なのであり、仏法の奥義はその先にちゃんとある訳です

それはわかりますよ。理論として理解しても体感できなければ、というか体現したという感覚が無ければ、つまり自分がその理の一部に溶け込まなければ涅槃寂静には至らないということでしょう。
そこはもはや思想ではなく思想が現実のあり方としてリアリティーがあるかないかということですからね。
ただ、涅槃の手前までは哲学的理解で辿り着くんじゃないですか?
ということは哲学的アプローチも涅槃への道筋たり得るということでしょう。

184 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 02:08:39.53 ID:mR5Cvr/R
>>181
> ヘー。スッタニパータの一体どこが「実証的」なのかね。

形而上のことを否定したからじゃないの?

185 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 02:58:29.32 ID:pr9g0RVw
>>183
>というなら無我ゆえに釈迦は説法できなかったはずですよね

説法は道を示しただけなのであり、論として何かを主張した訳ではないでしょう

>そういう抽象的な言い方で煙に巻こうというのは神秘主義に特有ですね

カッコつけなくても良いと思います、解らないなら解らないと素直に言うべきです
要は、物としてのコップが論を構えてペラペラ喋ったりするか否か、と言ってるんです
仏道の目的は涅槃を証する事に尽きる訳で、涅槃とは出世間の境地の事であり
出世間の境地は無分別の境地でもある訳です
これは理論だけでは理解不能なのであり、神秘主義でもありません、現実の話です
目の前のコップが喋れない事が神秘主義ですか?違いますよね

あなたはもう少し、死者の沈黙について学ぶべきだと思います

186 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 02:58:40.48 ID:2PDjt5PF
>>184
考えてみると、ニーチェが仏教を賞賛したのは、「反キリスト者」においてである。
キリスト教批判の一環として、仏教を賞賛したのではないか。つまり、キリスト教
よりはマシだということ。

ニーチェの「生の哲学」と釈迦の「諦念の思想」とでは、肌合いが全く異なる。
ニーチェの哲学の中核である「生物学的要素」は釈迦には殆どないし、Snは
形而上そのものである。

ニーチェが竜樹を賞賛することは、十分にありうる。

187 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 03:15:22.71 ID:pr9g0RVw
>>186
無分別を如実知見する事が形而上そのものなんですか?

チャンチャラおかしい話ですねw
あなたは仏教を何も理解出来て居ないししようともして居ない
釈迦を下げれば龍樹の見解も成り立たない、この事実を
あなたはどうやって覆すのでしょうか?
また、覆したらそれは矛盾になり、龍樹教になってない事も説明せねばならないでしょう
龍樹とも有ろう人が、事もあろうか釈迦の名前を借りて論を展開したんでしょうか
龍樹の勝手論ではカッコが付かないから釈迦の名前に仮託して持論を展開したんでしょうか

そうでは無い事は明白だと思いますが
釈迦の教説あっての龍樹の論理展開、これ以外に正しさの証明は不可能になるのですよ

188 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 03:38:59.15 ID:2PDjt5PF
>>187
両者の思想「内容」は、世界宗教史上比類のないほど異なっていることは、
西洋の仏教学者たちの、ほぼ一致した見解(中村元「龍樹」参照)。

189 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 03:41:13.91 ID:5fpPeoCk
 
チベット・ゲルク派
//rdor-sems.jp/index.php?%E8%BC%AA%E5%BB%BB%E8%BB%A2%E7%94%9F%E3%81%AF%E3%81%82%E3%82%8A%E5%BE%97%E3%82%8B%E3%81%8B

色即是空
(因と縁の依存によって)物質には実体性が無く、仮に現れている状態である、ということを説いています

空即是色
(因と縁の依存によって)実体性を欠いた物質が、仮に現れている状態である、ということを説いています

受想行識亦復如是
心もそれと同様である、ということを示しているのです

190 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 03:43:58.26 ID:pr9g0RVw
>>188
>西洋の仏教学者たちの、ほぼ一致した見解

だとして、中村さんが正しいと言える担保は何ですか?
それを鵜呑みで信じるならそれこそただの妄信であり根拠にならないでしょう
それとも中村教はそうなんでしょうか?

191 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 03:47:37.41 ID:mR5Cvr/R
>>185
> 説法は道を示しただけなのであり、論として何かを主張した訳ではないでしょう

存在論や認識論だって世界の捉え方の説明であって、何かを主張してはいませんよ?あなたこそ哲学ことに現代哲学をなにか勘違いしてるんじゃないかな?


>そういう抽象的な言い方で煙に巻こうというのは神秘主義に特有ですね

> カッコつけなくても良いと思います、解らないなら解らないと素直に言うべきです
> 要は、物としてのコップが論を構えてペラペラ喋ったりするか否か、と言ってるんです

ははwwwコップに存在論や認識論を認めることはできるし存在論や認識論にコップを当て嵌めることもできる。
特に何か倫理的なものを主張せずにただ理解をするという風にね。
そういう存在論や認識論を現代哲学は身に付けようという段階にある。
現代哲学は倫理や規範命題と離れて解釈としての論理になってきている。

> 仏道の目的は涅槃を証する事に尽きる訳で、涅槃とは出世間の境地の事であり
> 出世間の境地は無分別の境地でもある訳です
> これは理論だけでは理解不能なのであり、神秘主義でもありません、現実の話です

涅槃に至ることは仏道つまり宗教としての目的であって、涅槃の手前までは哲学の論理で辿り着けます。
涅槃を体得するかどうかは、そのあとの話、涅槃を目指すかどうかはその前の話。結果とモチベーションの話です。
単に方法論として涅槃の手前まで哲学で辿り着けることを私は言っています。

> 目の前のコップが喋れない事が神秘主義ですか?違いますよね

もちろん違います。そういうもって回った言い方をするあなたが、です。

> あなたはもう少し、死者の沈黙について学ぶべきだと思います

こういうレトリックもね。
もしもあなたが専業坊主で、涅槃の手前までも辿り着けないでいるのなら、もう少し西洋哲学を学んでみてもいいと思いますよ。

192 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 03:49:18.09 ID:pr9g0RVw
>>189
実体性がないのは同時に永遠性を確保して居ないと言うことです
コップが永遠にコップであり続ける事は無い、と言う事です
縁によってコップと言う形を得て機能し、いつかは縁によってコップと言う形を失いコップの機能も失う
これがこの世界の道理の一部でもあるんです

空が理解出来ないとお嘆きの諸兄はみんな、この時点で躓いて堂々巡りを繰り返して無駄足です

あなたの事ですよ

193 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 04:00:27.74 ID:pr9g0RVw
>>191
>コップに存在論や認識論を認めることはできるし存在論や認識論にコップを当て嵌めることもできる。

誰がですか?あなたや観察者がそれを行うんでしょう?
コップ自身が存在論や認識論をペラペラ喋るとでも豪語しますか?
哲学関連の限界は必ず「観察者自身は度外視」して物事を思考で考える事に限界があるんです
そうじゃない、とあなたは言うでしょう

だとしたらお答えください

人間とはつまり何ですか?動物だの哺乳類だの生物だの、そう言うのはお腹一杯です
あなたと言う存在は何なんでしょうか? 仏教はそれに答えをちゃんと出しています
因みに空で逃げたりもしません

>もう少し西洋哲学を学んでみてもいいと思いますよ。

死者の沈黙も解らない御仁が何をか言わんかや、ですw
西洋哲学とやらで無分別をもう少し解読してみてください
何故それが一切の苦悩から救済される理由になるのか、これが解れば仏道の目標達成です

194 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 04:00:38.71 ID:mR5Cvr/R
>>186
>>184
> 考えてみると、ニーチェが仏教を賞賛したのは、「反キリスト者」においてである。
> キリスト教批判の一環として、仏教を賞賛したのではないか。

そういう面もあるかもしれないけど、永劫回帰しなきゃならないのが苦しみであって、なんとかその苦しみから逃れたい、というウパニシャッド哲学全体にある思想というか、それに共鳴した面もあるんでないの?唯物論的には永劫回帰せざるを得ないんだから。

> ニーチェの「生の哲学」と釈迦の「諦念の思想」とでは、肌合いが全く異なる。

そんなことないと思うけど。
仏陀はべつに諦念を悲観的に見てないし、ニーチェだって逆に永劫回帰は受け入れざるを得ない苦しみだと覚悟しなきゃいけないと言ってる。
と、まあ表現は違うけど必然は必然として受け入れましょうということでしょ。

> ニーチェの哲学の中核である「生物学的要素」は釈迦には殆どないし、

生物学的な要素って超人志向?書きながら思ったけど仏教とは違うウパニシャッド哲学なのかな、ニーチェは。
根本的な世界観が近いだけで親和性はあるが違うものと考えたほうがいいのかも。いずれにせよニーチェに仏教理解のヒントがあるだろうし仏教にニーチェ理解のヒントがあるだろう、という気はする。

> ニーチェが竜樹を賞賛することは、十分にありうる。

同意。

195 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 04:14:01.48 ID:pr9g0RVw
ウパニシャッド哲学に神が死ぬ(死んだ)概念は有りえません
ニーチェは相当思考を繰り返してその見解に到ったのでしょうが
結局そこから救済へ繋がる展開には至っていない
これが哲学の限界です
そうじゃない、と言う人は答えて見てください

「神は死んだ」と何故言い切れるのか、その担保は何か、そこから何が得られるのか

仏教にはちゃんとその答えがあります、しかしニーチェは用意してくれてるでしょうか

196 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 04:17:30.02 ID:5fpPeoCk
 
>>189 の続き

 … … …
 → 無明の暗闇に覆われて
 → 渇愛によって、誤ったあり方を掴んで離さないような、固執/掴むこと(取)も生じて
 → 五蘊(色受想行識)の仮和合の仮の状態が現れて
 → (この現世で肉体が滅しても)色即是空
 → 地 +水 +火 +風 = 空
 → 空即是色(また次の、この世の生に戻り来る)

197 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 04:18:28.43 ID:mR5Cvr/R
>>193

> 誰がですか?あなたや観察者がそれを行うんでしょう?

誰でもですよ。道理ですから。諸行無常や諸法無我をだれが感じるんですか、という質問とまるで同じです。

> コップ自身が存在論や認識論をペラペラ喋るとでも豪語しますか?

そういうすり替えが神秘主義者的なんだよね。コップに口がないから喋れませんってこととべつに、コップに存在論や認識論を適用できるといってるんだがwww
あなたの屁理屈を借りるなら、コップが諸行無常や諸法無我を認識しますか?ってなるwww

> 哲学関連の限界は必ず「観察者自身は度外視」して物事を思考で考える事に限界があるんです

必ずしも観察者自身を度外視しないよ?構造主義にしろ決定論にしろ観察者自身を構造の中のものとしているよ。

> 人間とはつまり何ですか?動物だの哺乳類だの生物だの、そう言うのはお腹一杯です
> あなたと言う存在は何なんでしょうか? 仏教はそれに答えをちゃんと出しています

人間とは人間以外のものによって人間と規定されるところのもの、私とは私以外のものによって私と規定されるところのもの
また人間とは人間以外のものを規定するものでもあり私とは私以外のものを規定するものでもあるんじゃないかな

> 因みに空で逃げたりもしません

逆に聞くが仏教では何になるの?

198 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 04:22:47.46 ID:pr9g0RVw
>>197
>コップに口がないから喋れませんってこととべつに、コップに存在論や認識論を適用できるといってるんだがwww

それはあなたの心が行おうとしてるのであり、コップが行う訳じゃない、解らないんですか?
私はコップに存在論や認識論を論じさせてみろ、と言ったんです
話を摩り替えてるのは寧ろあなたの方じゃないですか

仏法の究極の答えを今この場であなたは目の当たりにしてるんですよ?

>人間とは人間以外のものによって人間と規定されるところのもの、私とは私以外のものによって私と規定されるところのもの

自分自身で自分自身を説明できて居ないじゃないですか
全然哲学にすらなってません

199 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 04:23:58.17 ID:mR5Cvr/R
>>195
> ウパニシャッド哲学に神が死ぬ(死んだ)概念は有りえません

ニーチェが死んだと言った神というのは西洋的な神のことね。

> 「神は死んだ」と何故言い切れるのか、その担保は何か、そこから何が得られるのか

西洋哲学としては純粋理性の批判じゃないの?形而上の存在を論証しようとすると循環論証になるから神がいることは論証できない。
そこから、形而下の存在として世界の理を捉えようということになるでしょ。


> 仏教にはちゃんとその答えがあります

では御説をどうぞ

200 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 04:25:34.07 ID:pr9g0RVw
>>199
>では御説をどうぞ

出世間

201 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 04:28:03.63 ID:5fpPeoCk
 
>>189 >>196 の続き

//ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98

熟睡中は第六意識の作用は停止するが

第六意識の下に
末那識(まなしき)と呼ばれる潜在意識が想定されており
寝てもさめても、深層において働き続け
根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続けている

末那識(まなしき)の下に
阿頼耶識という根本の識があり
この識が、末那識(まなしき)・第六意識・前五識を生み出し
さらに身体を生み出し
他の識と相互作用して我々が「世界」であると思っているものも生み出していると考えられている

202 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 04:33:00.84 ID:mR5Cvr/R
>>200
それは答えになってない。
神が死んだというとき
出世間とは神が死んだ状態だから、なぜ神が死んだと言えるのかの説明になってないよ。

203 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 04:54:06.63 ID:fui2atLu
>>201
>〜前五識を生み出しさらに身体を生み出し
>〜も生み出していると考えられている

詰まる所これは、「生み出している」のは「実感」と言う認識の事ですよ、唯識哲学は悟り以前の事を検証してるに過ぎません
迷う心を迷いの思考でいくら考えても惑しか生みません、それが唯識の限界です
現にあなたは唯識に嵌って仏道を行じていないし、無我も理解出来て居ないでしょう
それがあなたにとっての全ての証左でもあり、現在に於ける限界でもあるんですよ

>>202
つまりそれは仏教を議論するスレのレベルにあなたは無いと言うことです
出世間は初歩レベルの用語です、これ知らないならニーチェ語るのに「神は死んだ」すら知らないレベルと同等になります
まあ、難し過ぎると言われるなら、そうですねとしか答え様も無い訳ですが
その程度で哲学云々していいのは中学生位まで、だとも思いますw

204 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 05:16:47.44 ID:mR5Cvr/R
>>198
> それはあなたの心が行おうとしてるのであり、コップが行う訳じゃない、解らないんですか?
だからあ、諸行無常や諸法無我にしたってコップがそれを理解すれわけじゃないでしょつってんの。仏教だけ特別じゃないのよ。

> 私はコップに存在論や認識論を論じさせてみろ、と言ったんです

だったらコップに諸行無常や諸法無我を論じさせてみろ、という話でしょ。

> 自分自身で自分自身を説明できて居ないじゃないですか

何言ってんですか?自分以外のもので説明しなきゃ説明にならないでしょ。自分自身を以て自分自身を説明するのは循環論証であって論理誤謬。何かを説明したことになりませんよ?

なる、というならやってみてください。
仏教で人間とは何かをあなたとは何かを説明してみてちょうだい

205 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 06:08:24.91 ID:mR5Cvr/R
>>203
> まあ、難し過ぎると言われるなら、そうですねとしか答え様も無い訳ですが
> その程度で哲学云々していいのは中学生位まで、だとも思いますw

御託は結構ですから神の死を論証してみてちょうだい
ハッタリかますのはその後でよろしいんじゃないですか?

206 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 06:29:24.57 ID:mR5Cvr/R
>>198

> それはあなたの心が行おうとしてるのであり、コップが行う訳じゃない、解らないんですか?
これも色々違うなあ。
もう一度いうと、コップに存在論や認識論を適用できるといってるんだ
適用するかどうかは私の心が決めるのでもいいが、適用できるかどうかは私の心が決めるのではないよ。私でなくとも誰でもいいんだから。
試してみなくてすらいい。そういう道理なんだから。
単にそこにそういう仕組みで存在があるということの理が存在論であり、その存在の認識のされ方はどうであるか、というにもまた理がある。
そういった理を解いているのが現代哲学。

> 私はコップに存在論や認識論を論じさせてみろ、と言ったんです

で、仏教でそれができるのかい?仏教を手品か超能力だと思ってんの?

207 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 06:41:29.44 ID:8+Bo2e8K
>>175
>八正道の「正しい」の具体的基準は一体何?

困る・困らないだと思います。抑圧・無抑圧、苦・無苦でもいいと思います。
コレ悟のスジャータの母乳がどうのというのは通常の人は所持していない。
所持するから困るわけで、所持してなければ何も困りません。

208 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 06:58:02.48 ID:8+Bo2e8K
何故、困るのかというとアンバランス、均衡が保てていない状態がそこにある
からだと思います。つまりは肉体が発信する危険信号のようなものかと。
普通は苦とくると逆は楽です。不快とくると逆は快です。
しかし楽も快も結局はアンバランスな為に浄化作用が自然に働き、必然的に
無に戻っちゃう仕組みになっていると思います。

209 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 07:15:36.02 ID:yym4A9A4
正見は、固定概念なくあるがままに見ることだったような。
上座部の比丘の方が説明されていた。
正命は、規則正しい生活も含まれていたような。

210 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 07:22:13.13 ID:8+Bo2e8K
私もそうですが、通常、人はメリットとデメリットを行ったり来たりして
いるように思えます。いっこうに無に落ち着こうとしないと。
どちらが生命として普通の姿かはわかりませんが、
怒り等の過感情は単に過反応だと思えます。
自然条件に合致する程度の反応があれば充分といえ、
そう考えるなら怒りの感情は持ってしかるべきとも思えますが、
発揮するのはそこ?と言えると思います。

211 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 07:28:45.70 ID:yym4A9A4
207さんの書かれていること、分かる気がします。
瞑想していて心身の親和と寂静を味わったことごあるのてが、
その後に聴く度に癒やされた好きな音楽を聴いたのですが、親和と寂静を味わった後ではその癒やしを苦だと感じました。

212 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 07:46:48.73 ID:yym4A9A4
変な文になってますね...

味わったことがあるのですが、
と打ったつもりがおかしな文になってました。
失礼しました。

213 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 08:11:25.69 ID:8+Bo2e8K
>>211
ご理解ありがとうございます。私もキーの反応悪く度々修正してます。

>>8を読んで愛情の不足って何やろな?と思っているのですが、
子供というのは環境に適応できないので必然的に困るを所持している
存在と言えると思います。通常は大人になるにつれて適応できるはずなのですが、
生殖や世の中の煩雑さから困るを脱却できない。愛情の不足としての困るは、
記憶の刷り込みと現状のすり替えの面もあると思います。
環境に適合できないから困るのは事実ですが、果たして適合する必要があるのか?
自然条件に対する適応能力、もしくは衣食住を満たす程度の適応能力さえあれば
いいのではなかろうか?という気がします。

214 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 08:11:50.86 ID:uU6Lh/K2
>>175
>八正道の「正しい」の具体的基準は一体何?

 縁起の(間接)現実=時空因果関係=一切を“正確に”「見る」こと←如理作意(中部2)。
これによって一切外妄想(狭義の戯論)を排除する(中部63、相応部35-23・70)。。
一切門であり、般若門透過への道である。

般若門では<正しい>そのものが問われる。

>>20
>正見は、固定概念なくあるがままに見ることだったような。
>上座部の比丘の方が説明されていた。

その比丘が、そのことばの矛盾に気がついていればいいのだが・・・
般若門との混同の疑いがある。

>>207
>困る・困らないだと思います。

これは世俗既成観念に捉われた概念構成でしかない。

腹が減って餓死すれば仏道はできぬが、困らないのか?
餓死教団といわれたジャイナ教を徹底すればまさにそうなるのだがw

215 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 08:16:20.63 ID:uU6Lh/K2
>>49
>「眼横鼻縦」の真の意味を悟れる

「眼横鼻縦」という無意味な言語ゲームに『真の意味』などありえない。

『(1)他(人)によって知られるのではなく、
 (2)寂静であって、 
 (3)戯論によって戯論されることなく、 
 (4)無分別であり、
★(5)種々の意味を持たない、──これが勝義の相である。』(龍樹 中論18-9)

還滅の相では、『眼横鼻縦』=『眼直鼻横』=『眼曲鼻斜』など、<無意味の(な)意味>となる。

仏法には中道にて候。

216 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 08:50:56.13 ID:SF7AVQPK
215 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 08:16:20.63 ID:uU6Lh/K2



ハッタリ禅迷道がw

217 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 08:51:53.22 ID:8+Bo2e8K
>>214
腹が減れば必然的に困るというか危険信号が出されます。
仏道ができぬから困るというのは錯覚です。
生命は苦を避けて無意味に生きるのが正です。
基準を持たないのが無意味な意味です。

218 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 09:01:03.34 ID:uU6Lh/K2
>>217

⇒『その比丘が、そのことばの矛盾に気がついていればいいのだが・・・
  般若門との混同の疑いがある。』(>>214

219 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 09:04:01.84 ID:8+Bo2e8K
>>218
どこに矛盾がありますか?般若門とは?日本語でおK

220 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 09:09:14.42 ID:SF7AVQPK
218は空想佛教だからなあw
リカチャン人形の着せ替えごっこが自慢なのよ。
>(2)寂静であって
>これが勝義の相である

なんて禅の次元では相手される話ではないのだが、
ま、リカチャン人形ゴッコで偉くなったつもりなんだろw

221 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 09:13:32.45 ID:uU6Lh/K2
>>220
>禅の次元

おやおや禅には次元とやらがあったのかw

そんなアホ禅には相手にしていただかなくていいよ。

222 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 09:25:01.07 ID:5fpPeoCk
 
> 無我も理解出来てないでしょう

般若経の解説
//www.dia.janis.or.jp/~soga/subindex.html

私自身本人が

無明の暗闇に覆われて
「誤ったあり方を掴んで離すことの出来ない」とされている、渇愛によって

凝り固まり、ありのままに変化を見ることに慣れていない
縁起を、空を、無我を見ることがうまくない

「縁起・空・無我」を観察する為の練習が必要だ

真実の認識(如実知見)に至るための必要条件に依存して
「解脱すれば仏だ」ということに

気づくまでは、気づくことは難しい

223 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 09:29:12.84 ID:uU6Lh/K2
>>219
>どこに矛盾がありますか?般若門とは?日本語でおK

いちいち書くのはめんどくさい。
たとえば議論スレッド73>>428あたりを参照。

咀嚼して紡ぎだしたことばだから
ヒント程度になればいい、ならなくともいい。
固定化はありえない。

224 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 09:34:55.53 ID:SF7AVQPK
221 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 09:13:32.45 ID:uU6Lh/K2
>>220
>禅の次元

おやおや禅には次元とやらがあったのかw

そんなアホ禅には相手にしていただかなくていいよ。




りかちゃんゴッコで黄門さまがでてきたんかw?
ノスの造語の世界で自己陶酔自己顕示欲爆発、キモいなw
非佛教クンたちと同じく、自己顕示欲だけは旺盛だからなあw

225 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 09:38:23.20 ID:uU6Lh/K2
>>219
 般若門は経験観察検証という<分別知>(一切門)をブレークスルーした<無分別智(般若智)>です。
 (直接)縁起の現観です。
 いわばあくまでも一切内の奥の門【般若門】です。
 
大事なことは、
★二項相対思考(如理作意)に捉われていたら、いつまでも解決はありえません。
→【般若門】を突破することです。

226 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 09:38:37.12 ID:SF7AVQPK
>おやおや禅には次元とやらがあったのかw


正しく認知できる奴とできない奴がある。
自己顕示欲旺盛な奴とそうでない奴がいるw

227 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 09:44:49.88 ID:SF7AVQPK
リカチャンゴッコで、ブレイクスルーで自己顕示欲旺盛の事かw
なるほどw

228 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 09:46:52.48 ID:uU6Lh/K2
>>226>>227

アホ禅無用

229 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 09:49:45.66 ID:SF7AVQPK
リカチャンゴッコ禅無用www

230 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 10:00:15.52 ID:8+Bo2e8K
>>225
なんとなく言いたいことはわかりますが、
例えば真冬に裸で歩く人はいません。
恥ずかしい以前に寒いです。だから服を着ます。
まぁ暖房の効いた部屋なら裸でもいいわけですが
これは現観も全く同じ。
苦という流動的な信号が基準点として内在するが
通常は意識にのぼってこないだけというものであり、
寒いなら服を着るも正、暖房つけるも正
反応もまた流動的というものです。

231 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 10:03:17.56 ID:mR5Cvr/R
コップ話術の手品師兼業坊主は結局逃げたのかよ
口ほどにもないwww

232 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 10:10:19.99 ID:SF7AVQPK
230の意見の方がまっとうだなw

233 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 10:19:27.74 ID:mR5Cvr/R
>>207
> 困る・困らないだと思います。抑圧・無抑圧、苦・無苦でもいいと思います。

困る、というのは困らないこととの対比で認識されるでしょう?
私の理解では
正しい認識というのは
「『困る・困らない』という内のどちらかだけを見るのでなく全体を見ること」で
それにより「困る」ということが浮き上がってこなくなる、ということだと思います。
例えばカレーライスの一皿のうち、カレーだけライスだけを食べてもカレーライスを食べたことにならない。逆にカレーライスを食べたらカレーとライスのどちらかを「食べた・食べなかった」ことにならない。
これを「苦・無苦」に置き換えると、苦・無苦を含めた全体を認識することで「苦も無苦もない」状態になる。
これが苦の消滅する理屈だと思います。
苦の対義語を楽だと思っているうちは苦も楽も生じてしまう。
「苦・無苦」あるいは「楽・無楽」が正しい対義です。すると苦も楽も消滅してただあるがままを見るってことになる。

234 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 10:36:20.38 ID:mR5Cvr/R
>>225
> 大事なことは、
> ★二項相対思考(如理作意)に捉われていたら、いつまでも解決はありえません。
> →【般若門】を突破することです。

相対する二項を併せ飲むことで価値(プラスにせよマイナスにせよ)が浮かび上がらなくなるってことですよね
それが無分別な認識ってことになるでしょ?

般若門とか言わずにそう言えば分かりやすいのに。

235 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 10:39:40.24 ID:SF7AVQPK
>般若門とか言わずにそう言えば分かりやすいのに。


ノスと同じで、俺は特別だという意識がリカチャンゴッコでタカマルんでしょうw

236 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 10:44:16.35 ID:8+Bo2e8K
>>233
なるほど。全体認識、つまり視野を広げて観るということですか。
その効用は確かにありますよね。
なんだそんなちっぽけなことで悩んでいたのか。みたいな
苦の解消は多種多様あっていいと思います。
私の場合は、寒いのが本当にダメなんです。暑いのは割と平気ですが。
恒温動物の性だから限界はあるでしょうが少しでも耐性をつけたいものです。

237 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 10:47:01.79 ID:mR5Cvr/R
>>230

> 寒いなら服を着るも正、暖房つけるも正
> 反応もまた流動的というものです。

寒いのは物理現象であって、服を着るかどうかは物理的行為の選択ですよね。
それが正しいかどうか、が価値判断のしどころ悩みどころですが、
「正・不正」の別を設けるから価値判断や悩みが生まれるのであり
寒いのは物理的現象で暖を取りたい服を着たいという生理的欲求も物理的現象でしょう。それは事実で価値判断をしなきゃ悩まなくてすむのでは?

238 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 10:50:18.81 ID:uU6Lh/K2
>>234
>相対する二項を併せ飲むことで価値(プラスにせよマイナスにせよ)が浮かび上がらなくなるってことですよね

却下

二項相対思考のままじゃんw

239 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 10:52:56.20 ID:8+Bo2e8K
>>237
すいません。そこは無理矢理のこじつけです。
単に流動的が書きたかっただけです。

240 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 10:54:38.43 ID:mR5Cvr/R
>>235
> ノスと同じで、俺は特別だという意識がリカチャンゴッコでタカマルんでしょうw

ノスって誰ですか?リカチャンはわかりますが鷹丸がわかりません

241 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 10:54:47.54 ID:uU6Lh/K2
>>235
>俺は特別だという意識

アホは無用。

242 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 10:56:16.08 ID:SF7AVQPK
りかちゃんごっこマニア閻魔w
自己顕示欲防衛線ww

243 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 10:56:22.49 ID:osgLCVdp
正しいか正しくないか何を基準にするのか?
言葉を変えれば、善なのか非善(悪)なのか何を基準にするのか?
コレも散々既出の指摘。
一言で言えば正、不正、善、悪などの観念は人間が作った人間の為のもの。
正(善)は人類が発展する方向性のものであり、不正(悪)はその発展にブレーキをかけるもの、
人類滅亡の方向性のものは不正甚だしく極悪w

極めて単純な事であり、全く問題にならない。

244 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 10:58:23.07 ID:SF7AVQPK
241の自己顕示欲が一番の奴は正しい有無よりも、
自己顕示欲にかなうかどうかで、リカチャンゴッコ遊びを繰り返すw

245 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 11:10:21.22 ID:mR5Cvr/R
>>243
> 正(善)は人類が発展する方向性のものであり、不正(悪)はその発展にブレーキをかけるもの、
> 人類滅亡の方向性のものは不正甚だしく極悪w

正義の味方、善い人よーって月光仮面じゃないんだから善悪なんて一様じゃないですよ。地球蓮舫軍とジオン公国軍のどちらが善か悪か、互いの立場で善を生じさせてるでしょう

善・不善/悪・不悪を判断基準で分けようとするから、善悪が生じて人は迷うんじゃないの?

246 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 11:18:20.12 ID:osgLCVdp
>>245
人類が滅んでも、この柴犬だけは滅ぼしてはならん。
柴犬命〜であるなら柴犬にとっての善、悪、正、不正であり特別にそのように(柴犬の正、不正〜)言う必要がある。
何も言わずに単に「正、不正、善、悪」という時、そう言っているのは人間であり無言に人間が滅びずに
生き永らえる事を前提としている。
こんな事を人から言われなければ理解できないという己のオツムを猛反省するべき。

247 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 11:32:29.29 ID:8+Bo2e8K
>>245
そこは善悪に対しての過反応だと思う。
猫はあれだが、犬ならある程度、ましてや人間ならでそこはそれほど…
元が電気信号だから問題は反応にあると思う。つまり過反応。
過反応の理由は先天的もあると思うが、多くは自己暗示面が強いと思う。
私の寒いが苦手も過去の記憶からの自己暗示のためと思われる。

248 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 11:33:56.81 ID:mR5Cvr/R
と、まあそんなわけで、明け方のコップ手品の兼業坊主はさておき、
西洋哲学からのアプローチも仏教理解に迫ることが可能であると思います。
苦を消滅させるのは割と雑作ないというとアレですが、物理的な痛みや生理的欲求が生じてもそこに悩みが生じてそれに煩わされることがなくなる、それは簡単です。

難しいのは、その上での社会適応のテクニックの方だと思います。
現実世界には結局物理的制限がありますが、まあその範囲でも結構広い。
物理的現象たる生理的欲求に従って、やれることは何でもありになっちゃう。それでいいならジャイアンみたいなもんですよ。母ちゃんに叱られなければ何でもする、みたいな。
理を頭だけで納得し頭だけ煩悩から解放されるとそうなるけど、逆に理を体感と体得し体から全ての煩悩を絶ったとすると生理的欲求をも断絶して死んでしまう。
その落としどころとして、まああまり極端にならずに静かにいましょうね、ってことになるのだろうけど、それは畢竟は社会適応のテクニックつまり処世術であって、苦悩からの解放とは別の話になりますよね。

249 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 11:36:50.56 ID:SF7AVQPK
善悪論か,感想は大事なものが抜け落ちているなあ。という感じかな。
ハッタリ禅以外は介入しない方針だからなあ、基本。

250 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 11:38:19.00 ID:mR5Cvr/R
>>238
> 二項相対思考のままじゃんw

え?
水割りを飲むということから水とウイスキーを取り出すことはできないでしょう?
併せ飲むとき、それは二項ではないし相対してないよ。
水割りは水割り。

251 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 11:58:14.86 ID:mR5Cvr/R
>>243
> 正(善)は人類が発展する方向性のものであり、不正(悪)はその発展にブレーキをかけるもの、

それだとただの形而上学でプラトンのイデア論と大差ないな。
そんなことじゃないでしょ。それは「人類のため」と前提条件をつけた限定的な正義にすぎない。
「人間・人間以外」という価値基準は必ずしも絶対じゃないでしょ。
それに人類のためったって方法論は一つと限らないから、方法論同士が対立する可能性もあるキリスト教とイスラム教の世界。

252 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 12:07:28.65 ID:osgLCVdp
>>251
人が知りようがない勝義諦を知ろうと努力するのは無駄。
世俗諦での解釈は>>243のとおりであり過不足なく説明されている。
人間の枠を超えた基準=勝義諦ww

253 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 12:12:49.86 ID:fui2atLu
>>205
ググれば直ぐ分かる単語読んで理解出来ない時点で
ハッタリかましてるのはあなたの方だとなるんですよ

>>206
あなたはそもそも先入観で全てを決定し、独善的な思い込みを払拭しようなどとも考えない
そんなんで哲学しようなどと考えてるからダメなんですよ
出世間や無分別など仏教ではイロハの基礎知識の類いです
それが解んないのか、お話にすらなりませんね

254 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 12:24:09.48 ID:8+Bo2e8K
>>252
勝義諦はいってみれば電気信号で無味無臭。考察に値しないと俺も思う。
反応を人類の共通項として捉えるのが世俗諦であるならば、
例えば怒りの場合、発揮するの?ここで?とか、今?
といった問題が生じるわけであり、反応に無自覚であることは
軋轢を生じさせるものと推察できる。

255 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 12:24:45.44 ID:mR5Cvr/R
>>252
なんだ、ただの形而上主義者か。
神秘主義は楽でいいね。「正しいから正しいんだ!その理由は人間は知らなくていい」だもんなwww

256 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 12:28:16.05 ID:mR5Cvr/R
>>249
> 善悪論か,感想は大事なものが抜け落ちているなあ。という感じかな。

あらゆる執着から離れるということは「大事・非大事」の別も無くなりますからね・・・
無分別とはよく言ったもので

257 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 12:29:10.24 ID:fui2atLu
>>251
眼横鼻直とあなたが言われて、「当たり前」とか思って小バカにする
それが先入観なのであり、正しい物の見方が出来てない事になる訳です

何の想いも思いこみにも歪められずに、見たままを見たまま知って理解する
正見・正思惟とはそう言う意味です
仏法で言う正しいにはちゃんと覆せない正しさのベクトルがあるんです
思い込みが激しい身勝手で増上慢な愚者にはそれが解らないだけです

258 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 12:34:09.96 ID:osgLCVdp
>>255
勝義諦は確かに形而上。
それを有るものとして祭り上げる立場が形而上主義者であり、神秘主義者であろう。
私は勝義諦を有るとか無いとか言ってはおらず、知ろうと努力するのが無駄〜と言っている。
人間以外まで拡大解釈した言わば普遍的な善悪、正不正基準など仮に有ったとしても語れず〜と言っている。
語れるのは人間基準の善悪、正不正基準=世俗諦だろう。

>>254
例えば怒りの場合、何故発揮させねばならないのか?ただ黙って観察するだけでは何故いけないのか?
が最初に起こる問題でしょうなw

259 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 12:46:44.96 ID:mR5Cvr/R
>>253
> ググれば直ぐ分かる単語読んで理解出来ない時点で

その言葉を使わずにその内容を示さなければ説明にならない、と言ってるんです。
「神はいないから神はいない」は神がいないことの論証になりません。ハッタリにもなりません。やり直し。

> あなたはそもそも先入観で全てを決定し、独善的な思い込みを払拭しようなどとも考えない
> そんなんで哲学しようなどと考えてるからダメなんですよ

決め付けはいらないから早く説明してちょ。仏教で「神は死んだ」「人間とは何かあなたとは何か」説明して。単なる仏教用語への記号的置き換えでなく、「説明」をして。

> 出世間や無分別など仏教ではイロハの基礎知識の類いです

基礎知識だから説明できないんですか?それじゃただの鵜呑みであって神秘主義の信仰と変わらないよ手品師さん。

>それが解んないのか、お話にすらなりませんね

いや、そういう欺瞞はいらないから早く説明して?

>>257
> 何の想いも思いこみにも歪められずに、見たままを見たまま知って理解する

それは西洋哲学でもできること。仏教に固有のことではない。根拠なく固有だとするのは傲慢無知形而上の神秘主義。

> 仏法で言う正しいにはちゃんと覆せない正しさのベクトルがあるんです

で、その正しさを説明できるの?早くしてくんない?できないならただの神秘主義。

> 思い込みが激しい身勝手で増上慢な愚者にはそれが解らないだけです

それこそ先入観なのであり、正しい物の見方が出来てない事になる訳です ブーメランになる訳ですwww

260 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 12:49:05.50 ID:8+Bo2e8K
>>258
所謂、仏教の三毒というのは防衛反応(自分のお城を守りたい欲求)と
条件反射の複合技の気がする。
防衛反応はいいとして条件反射は勘弁して欲しい。理由の見当もつかん。

261 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 12:54:33.30 ID:mR5Cvr/R
>>258
> 勝義諦は確かに形而上。
> それを有るものとして祭り上げる立場が形而上主義者であり、神秘主義者であろう。
> 私は勝義諦を有るとか無いとか言ってはおらず、知ろうと努力するのが無駄〜と言っている。

それだけなら形而上主義者でも神秘主義者でもない。それは私もそういう立場。

> 語れるのは人間基準の善悪、正不正基準=世俗諦だろう。

それをどう基準付けるか、というときに理由なく「正しさとは人類の生存にとっての有益さである」という条件命題をつけることが形而上の神秘主義だと言ってる。

262 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 12:56:01.30 ID:fui2atLu
>>259
教えてください、でしょう?

この世界を仏法者が観る場合、見たままを見たまま知って理解する
それが智慧の見解なのであり
そこで理解出来ないなら、それを智慧障と言うんです
哲学では最早理解不能でしょう

あなたは問答不能です

263 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 12:58:46.65 ID:XfKZNHkC
「善悪」や「正邪」をさかんに口走る宗教の開祖たちが、その具体的な定義も
出来ていない。宗教が戯論の典型であることの原因。

生物としての人間の究極の本質は「生命(生存本能)」であり、人間界は、
徹頭徹尾共同体である。人間は、独りでは生存できないからである。この二つ
の究極的要素から、私は、無能な開祖たちに代わって、善悪を次のように定義
する。善悪とは、共生のための技術概念に過ぎず、価値概念ではない。

「善とは、他者の生存を助ける行為。悪とは、他者の生存を害する行為」。

「行為」であることが重要。共同体においては、「内心の意思」など、他人の
知ったことではなく、問題にならない。

「正邪」の概念も、この基本原理から導くことが出来る。

264 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 12:59:09.42 ID:osgLCVdp
世俗諦は形而上ではなく形而下。
どう語ろうが世俗諦が形而上で神秘主義になる事は無い。
形而上で神秘主義は勝義諦。

265 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 13:07:05.45 ID:mR5Cvr/R
>>262
> この世界を仏法者が観る場合、見たままを見たまま知って理解する
> それが智慧の見解なのであり

だからそれは西洋哲学からのアプローチで私が言ってきたこととまるで同じじゃん。
あなたが勝手に仏教は特別だと言って、しかもその根拠を示さないだけ。

そして「神は死んだ」「人間とは何かあなたとは何か」について私は西洋哲学の立場から回答を提示したがあなたにはそれが出来ていない。
それが事実。だから

> そこで理解出来ないなら、それを智慧障と言うんです

これは中身のないレッテル貼りでしかない。

> 哲学では最早理解不能でしょう

これもただのレッテル貼り。
そして私が説明を提示できることをあなたは出来ていない事実から、これらのレッテル貼りはあなたが説明責任から逃れるための詭弁であるという推論ができる。

つまりあなたが問答不能なだけです

コップ手品師のニワカ兼業坊主ごときが神秘主義にかぶれるとこうなるという無能の見本市みたいな破れハッタリ、それがお前な。

266 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 13:20:15.35 ID:uU6Lh/K2
>>262
>この世界を仏法者が観る場合、見たままを見たまま知って理解する
>それが智慧の見解なのであり

却下

二項相対思考のままじゃんw

そもそも、お前には教える資格はない。
また、教え得るコトではない。
仏教系大学卒業者から数多くの「覚者」は出ているとは思えませんがw

267 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 13:28:49.81 ID:mR5Cvr/R
>>263
> 生物としての人間の究極の本質は「生命(生存本能)」であり、人間界は、
> 徹頭徹尾共同体である。人間は、独りでは生存できないからである。この二つ
> の究極的要素から、私は、無能な開祖たちに代わって、善悪を次のように定義
> する。善悪とは、共生のための技術概念に過ぎず、価値概念ではない。

それは畢竟「生存と共生の事実を維持するべきである」という規範命題であって、それを守るべき理由は結局形而上に求めるしかないのでは?
「生きることは苦しいから死にたいとか、こんな世の中どうにでもなれ」という人には無用の、他人の善悪に過ぎないんだから。
ということは結局は個々の人間の主観に還元されるわけで、共有する価値基準としての善悪にはならないんじゃないの?
善悪がテクニック的な概念にすぎない、というのは同意だけど、人によって望むことが違うなら誰にとって有益なテクニックかというのが問題になるじゃない。
主体によって有益なテクニックが変わるんだし、社会といったって何を有益とするかに一致が見られると限らない。社会とて一枚岩ではない。

268 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 13:32:45.55 ID:uU6Lh/K2
>>267
>世俗諦は形而上ではなく形而下

世俗諦は世間においての「真理・真実」(仮設&仮説)だから、
形而上も形而下も、一切内外を問わず、言語論理としてありうる。

>形而上で神秘主義は勝義諦

勝義は言語・論理不立(龍樹 中論18-9参照)だから、
形而上でも、神秘「主義」でも、諦(真理)でもない。

こーゆー基本的なところでずっこけていたら、仏法の直覚はありえない。

269 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 13:35:10.99 ID:mR5Cvr/R
>>264
> 世俗諦は形而上ではなく形而下。
> どう語ろうが世俗諦が形而上で神秘主義になる事は無い。
> 形而上で神秘主義は勝義諦。
いや、そういう言い方なら神の名のもとに人課された法も形而下のものになっちゃう。
世俗諦がなぜ規範命題であるかについての根本的な根拠は示せず根拠は形而上に求めるしかない。
形而下の人に課すにせよ、形而上の規範を持ち出すならば形而上主観だし形而上主義は神秘主義だよ。

270 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 13:45:55.28 ID:XfKZNHkC
>>267
>社会とて一枚岩ではない。

人間以外の生物の社会は、一枚岩なのだが。人間が生物の一種であることを
忘れているだけ。

書物からではなく、公園の小動物からでも、学ぶことだな。よほど有益。

271 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 13:46:00.63 ID:mR5Cvr/R
>>268
> 世俗諦は世間においての「真理・真実」(仮設&仮説)だから、
> 形而上も形而下も、一切内外を問わず、言語論理としてありうる。

「真理・真実」を担保するものを形而上に求めるなら形而上の規範。
形而下に求めるなら形而下の規範。
そもそも根拠が無いなら空論。
さてどーれだ?

> 勝義は言語・論理不立(龍樹 中論18-9参照)だから、
> 形而上でも、神秘「主義」でも、諦(真理)でもない。

形而下の言語・論理で完結しないなら形而上の論理。
形而上の存在を認めるのは形而上主義。形而上主義は神秘主義。

> こーゆー基本的なところでずっこけていたら、形而上・下への論理的な言及はありえない。

で、>>250についてはどうよ?

272 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 13:53:33.92 ID:XfKZNHkC
>>267
人間以外の動物は、生存に無関係な宗教・思想で、同じ種属同士で
殺し合ったりはしない。その意味で、特に宗教者は、文字通り「畜生
にも劣る存在」「欠陥生物」であることを、常に自覚すること。釈迦と
イエスが、その典型。

273 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 13:54:37.59 ID:mR5Cvr/R
>>270
> 人間以外の生物の社会は、一枚岩なのだが。人間が生物の一種であることを
> 忘れているだけ。

それは人間以外の生物は形而上に根拠を置く価値判断をしないからでは?
善悪でなく、現象を現象のままに受け反応のままに反応するからでは?
世俗諦とか無いからじゃないの?時々に対立したって殺しあったって奪い合ったって、欲を生じ痛みを感じたって、
そういうものをそういうものとして、受け入れるも受け入れないもなく単にそういう大きな運動体の中の存在として自然に存在するからじゃないの?

> 書物からではなく、公園の小動物からでも、学ぶことだな。よほど有益。

共生のためのテクニックが不要だということが学べるよね。

274 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 14:01:58.69 ID:mR5Cvr/R
>>272
>>273つまり、「生存と共生に有益なようにふるまうべき」なんてこともなく、○○すべしという規範命題から離れたところに共生というのがあるのであって、
だからといって、○○すべしの上に共生があり得るとは言えないよね

275 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 14:10:04.03 ID:uU6Lh/K2
>>271
>さてどーれだ?
>>269
>世俗諦がなぜ規範命題であるかについての根本的な根拠

共同幻想としての「文化」(人間が社会生活を営む上でかたち造る生活や行動の様式)が根拠。
「公共の福祉」(日本国憲法13条)ともいえる。
たとえば・「赤信号では止まる」は形而上とは関係がない。
    ・「売春」の違法合法も形而上とは関係がない。
・お盆には先祖の霊が帰ってくるというのは一切外の検証不能だ。敢えていうなら形而上だろう。

そもそも形而上云々という相対哲学類型で仏道を計るのが間違っている。
仏道では一切内か一切外か(相応部35-23・70)のほうが実践的だ。

>で、>>250についてはどうよ?

混ぜているだけで、二項相対には変わりがない。
もう一度、龍樹、
『(1)他(人)によって知られるのではなく、
 (2)寂静であって、 
 ★(3)戯論によって戯論されることなく、 
 ★(4)無分別であり、
 (5)種々の意味を持たない、──これが勝義の相である。』
                (中論18-9)

276 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 14:27:04.21 ID:XfKZNHkC
>>273
>価値判断をしないからでは?

生存本能からの「直接の指示」によって、実に見事な生存のための価値判断
をしてるよ。人間とは異なり、生存に無関係な同属同士の殺し合いをする
ことはない。だから「善悪」という人為的な共生技術概念は、必要ない。

この「生存本能からの直接の指示」が、閻魔氏のいう「直接現実」なのである。
その意味で、人間以外の動物は、すべて「悟っている」w。悟れないのは、
人間の宗教者だけ。生活者は、生存努力という「直接現実」にさらされる
ことにより、悟っている。

277 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 14:33:11.33 ID:mR5Cvr/R
>>275
> 共同幻想としての「文化」(人間が社会生活を営む上でかたち造る生活や行動の様式)が根拠。
人が「文化」に基づくべき、ということの根拠は?

> 「公共の福祉」(日本国憲法13条)ともいえる。

人が「公共の福祉」に基づくべき、ということの根拠は?

> たとえば・「赤信号では止まる」は形而上とは関係がない。

信号守らないと事故が起こるだろ?事故が起こっちゃいけないのはなぜ?

>     ・「売春」の違法合法も形而上とは関係がない。

売春したらダメなのはなぜ?罰せられるから、というのは規範があるから罰せられるのであって、規範がなぜあるのかの理由にはならないよね?

こういった質問に形而上のことを持ち出さずに回答できれば形而上のものでなく、神秘主義でもない。

> そもそも形而上云々という相対哲学類型で仏道を計るのが間違っている。

形而上・形而下は単に事柄の分類だから、仏道のものであれ、ある規範がそのどちらに分類できるかは自動的に決まる。

> 仏道では一切内か一切外か(相応部35-23・70)のほうが実践的だ。

それはそれで、そういう分類法もあるというだけのこと。

> 混ぜているだけで、二項相対には変わりがない。

混ざったままで相対していない。両者が一体となっている総体のままの状態を受けている。

278 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 14:41:32.43 ID:uU6Lh/K2
>>276
>この「生存本能からの直接の指示」が、閻魔氏のいう「直接現実」なのである。

ちゃいまっせw

<縁起の直接現実>
もう一度、龍樹、
『(1)他(人)によって知られるのではなく、
 (2)寂静であって、 
 (3)戯論によって戯論されることなく、 
 (4)無分別であり、
 (5)種々の意味を持たない、──これが勝義の相である。』
                (中論18-9)

『一切の執着を脱せんがために、ブッダによって空が説かれた。
 しかるに人がもしも空見をいだくならば、ブッダはその人々を「癒されない人」と呼んだのである。』(中論13-8)

>人間以外の動物は、すべて「悟っている」

「異類中行」(南泉禅師)の趣旨(であるわけがないがw)なら同意。

279 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 14:46:55.04 ID:mR5Cvr/R
>>276
> 生存本能からの「直接の指示」によって、実に見事な生存のための価値判断
> をしてるよ。

「価値判断」という語の定義が擦り変わってしまった。私の言うのは「形而上的是非の判断」という意味。あなたの言う本能から直接の指示は私は「物理的反応」と区別している。
その上で改めて言うなら
「人間以外の生物は形而上的是非の判断をしないからではないか?」

>人間とは異なり、生存に無関係な同属同士の殺し合いをする
> ことはない。だから「善悪」という人為的な共生技術概念は、必要ない。

それは「『生存に無関係な同属間の殺し合いをすべきでない』⇒『共生技術が必要である』」
という命題であるが、前提命題『生存に無関係な同属間の殺し合いをすべきでない』ことは論証の無いままに真として採用されている。
ここにおいて、その命題が真であることを形而下の根拠をもって論証できなければ、前提命題は形而上のものであり、
であるなら、全体の命題「『生存に無関係な同属間の殺し合いをすべきでない』⇒『共生技術が必要である』」も形而上のものであることになるよ。

280 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 14:50:27.99 ID:uU6Lh/K2
>>277
>基づくべき、ということの根拠は?

共同慣習と生活利益
山中での隠遁ならなんでもOK

>形而上・形而下は単に事柄の分類だから

分別前提のね→中論18-9

>両者が一体となっている総体のままの状態

それが分別といふ。<総体⇔固体>
なんか、基本が分かっておられないようで。

281 :280:2014/05/06(火) 14:53:05.28 ID:uU6Lh/K2
訂正
× <総体⇔固体>
〇 <総体⇔個体>  

282 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 14:55:16.67 ID:mR5Cvr/R
>>262>>265に答えないの?
「神の死」「人間とは何かあなたとは何か」について説明しないまま逃げちゃうの?
口ほどにもないwww

283 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 15:02:29.23 ID:mR5Cvr/R
>>280
> 共同慣習と生活利益

いや、だから「共同慣習と生活利益があるならば規範を守るべき 」とする理由は?


>>形而上・形而下は単に事柄の分類だから

> 分別前提のね→中論18-9

分類だからね。
一切内・外、も分類でしょ。

> >両者が一体となっている総体のままの状態

> それが分別といふ。<総体⇔固体>

総体のままの受容は個体を生じさせていないよ。便宜上いま仮に総体と呼んでいるだけで。

284 :280:2014/05/06(火) 15:09:31.15 ID:uU6Lh/K2
>>283
>規範を守るべき 」とする理由は?

いやなら守らなければいい。

>一切内・外、も分類でしょ。

相対前提の一切門だから当然。

>総体のままの受容は個体を生じさせていないよ

それが分別そのものですw
なんか基本がお分かりではないようで。

285 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 15:16:17.54 ID:mR5Cvr/R
>>284
> >規範を守るべき 」とする理由は?

> いやなら守らなければいい。
嫌とか嫌じゃないとかじゃなくて
「慣習と生活のために規範を守るべき」とする理由は?

> 相対前提の一切門だから当然。

つまり、単に分類法が違うだけだよね。

> >総体のままの受容は個体を生じさせていないよ

> それが分別そのものですw

だから総体という語は便宜上いま仮に使っているだけでそれそのまま、というところを敢えて無視しているねwww
水割りなら水割りそのままに何の対立が生じてるの?教えて?それに答えられなきゃあなたは逃げているだけ。

286 :280:2014/05/06(火) 15:32:41.17 ID:uU6Lh/K2
>>285
頭の悪い奴にはかなわんなあw
>規範を守るべき

「規範を守るべき」といっているのはお前だよ。
俺はいやなら守らなければいいといっている。
ペナルティは知らん。

>単に分類法が違うだけだよね。

単なる分類ではなく、仏道という実践だから機能的に考える。

>水割りなら水割りそのままに何の対立が生じてるの?

「水+α」という分別観念。水割り⇔非水割りという分別観念。
これでは、<水割りは水割りではない。これを水割りと名づける>にはほど遠い。

アホらしいので落ちます。

287 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 15:44:01.50 ID:mR5Cvr/R
>>286
> 頭の悪い奴にはかなわんなあw
> >規範を守るべき

> 「規範を守るべき」といっているのはお前だよ。

つまり規範じゃないってことじゃん。守るべきでないなら規範じゃないからね。頭悪いなあ。

> >単に分類法が違うだけだよね。

> 単なる分類ではなく、仏道という実践だから機能的に考える。

いや、機能的かどうかは聞いてないから。機能的かどうかは目的によるからね。

> >水割りなら水割りそのままに何の対立が生じてるの?

> 「水+α」という分別観念。水割り⇔非水割りという分別観念。
それは目の前の水割り一杯に対してお前が「水+α」を見てるから生じるだけだろ?
今目の前にある一杯の水割りを単なる水割りとして飲む私においては何の対立も生じてないよね、ってことを再三言ってるんだが?


で、捨て台詞吐いて逃げるのはお前の勝手だよ

288 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 15:50:38.27 ID:mR5Cvr/R
今目の前に水割りが一杯ある。
私はこのまま水割りを飲む。
この時、コップの中のウイスキーと水を飲んでいるのではなく水割りを飲んでいる。

目の前に水割りが半分残っている。
「半分しかない」でもなく、「半分もある」でもなく、半分の水割りがある。
そんなもんじゃないの?

289 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 16:14:30.51 ID:mR5Cvr/R
結局、朝の兼業手品師にしろさっきのやつにしろ、仏教に執着してるやつは仏教の専門用語以外で涅槃寂静を得られるのが嫌なだけなんだよな。
いや、仏教に執着している振りで、実際は単に仏教用語に執着してるだけか。
言葉は単にツールに過ぎないから仏教用語を使わなくても涅槃寂静と同じ境地に至ることは可能なはずで、
それができないとすると、そもそも漢字や日本語に訳すことすらかなわないわけだ。
なのに専門用語に執着する心はどこから生まれるんだろう。

290 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 16:17:55.76 ID:fui2atLu
>>265,266,282
出世間、これで理解出来ないならそれまでの話です、不毛な論争に意味は無いですからw
増上慢の人にはこの三文字じゃ納得も理解も出来ないでしょうけどw

仏教は観念論じゃないので論争する必要は無く、誤謬を指摘すればそれで事は済むんです

291 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 16:18:08.21 ID:osgLCVdp
>>269
>形而上の規範を持ち出すならば

持ち出しているのはアナタでしょう。私は知ろうと努める事が無駄だと言っている。
アナタが形而上の人間の範疇を越えた普遍的な善悪基準というものがあるに違いない。
それを説かなければ〜云々とw
アナタが形而上主義で神秘主義でしょう。私はバランスとしては唯物に近い。隠居先生寄り〜だw

292 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 16:20:41.77 ID:fui2atLu
>>289
増上慢のあなたが幾ら増上慢の頭で考えても身勝手で偏った答えしか出ないと思いますよw

293 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 16:27:54.57 ID:mR5Cvr/R
>>290
説明ということの意味すら分かっていないんだな。
説明できていない、それが事実。
増上慢はお前

294 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 16:34:55.56 ID:fui2atLu
>>293
出世間は私の持論でも勝手論でもありませんから
私があなたに説明する義務もありません
それを強要するあなたが増上慢だと申し上げてる次第ですw

295 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 16:39:17.77 ID:fui2atLu
>>288

これで敢えて言うなら

水割りは自己が半分である認識も無く、自己が水割りである認識も無く
コップは水割りを有している自覚も無く、コップ自身がコップである認識も無い

それを見ている>>288が身勝手に何かほざいている、それが現実

って感じですw

296 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 16:39:55.41 ID:mR5Cvr/R
>>291
>私は知ろうと努める事が無駄だと言っている。

私は、知ろうとすることは無駄であるし、それだけでなく形而上のことを論拠に規範を述べるとしたらそれも空虚なことだよ、と言ってる。

> アナタが形而上の人間の範疇を越えた普遍的な善悪基準というものがあるに違いない。
> それを説かなければ〜云々とw

いや、それ無しに「○○すべし」という規範を説明できるなら必要ないよ。だから
A守るべき規範があるとするならその規範の根拠を示してね、
でも、示せないなら
B守るべき規範は無いよね、
そう言ってる。
で、あなたは最初、守るべき規範があるとしながら、規範は守るべきと限らない、と主張を変えたよね。

> アナタが形而上主義で神秘主義でしょう。私はバランスとしては唯物に近い。隠居先生寄り〜だw

私は存在論としては唯物論に軸足を置いてるよ。でも人間の認識能力は有限だから認識論的には唯識論的な解釈もできると考えてる。

297 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 16:41:02.03 ID:mR5Cvr/R
>>292
と、増上慢が申しておりますwwwってやつか。

298 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 16:47:49.45 ID:fui2atLu
>>297
あなたは自己が思考を持つ人間、と言う先入観に捉われ緊縛されている
だから
>認識論的には唯識論的な解釈もできると考えてる

と考えがこし固まってしまい、そこから抜け出した超越的見解が想像すら出来ない

>認識論的には唯識論的な解釈もできると考えてる

この考えを路傍の石ころがするでしょうか?
人間と石ころとの違いを考えて見てみると良いでしょう
その違いによって煩悩をも生じさせ、それによって苦悩が起こる訳です
石ころより得だと思うなら増上慢です、石ころより損してるかも、と思えれば一歩前進です

解らないでしょうけどw

299 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 16:48:56.62 ID:osgLCVdp
>>296
>で、あなたは最初、守るべき規範があるとしながら、規範は守るべきと限らない、と主張を変えたよね。

主張を変えたのではなく、正、不正、善、悪の基準は人類発展の方向性であるか否かでしょう。
全く変えていません。 アナタが、>>251で言っている事は私の上の意見に >そんなことじゃないでしょ。と
前提条件無しの普遍的な基準があるに違いない〜と言っているようにしか見えないんだが?w

私はそんな普遍的なものは仮に有ったとしても語れず〜(>>258)と言っている。
アナタはどこで >形而上のことを論拠に規範を述べるとしたらそれも空虚なことだよ、と言ってる。と言っているのか?w

300 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 17:03:55.28 ID:mR5Cvr/R
>>299
> アナタはどこで >形而上のことを論拠に規範を述べるとしたらそれも空虚なことだよ、と言ってる。と言っているのか?w

271:神も仏も名無しさん2014/05/06(火) 13:46:00.63 ID:mR5Cvr/R (41)
>>268
「真理・真実」を担保するものを形而上に求めるなら形而上の規範。
形而下に求めるなら形而下の規範。
そもそも根拠が無いなら空論。

301 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 17:06:00.08 ID:mR5Cvr/R
>>299
> 主張を変えたのではなく、正、不正、善、悪の基準は人類発展の方向性であるか否かでしょう。

人類発展の方向なら正・善であることの担保は?というところから始まってる。

302 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 17:08:04.44 ID:mR5Cvr/R
>>298
> >認識論的には唯識論的な解釈もできると考えてる

> この考えを路傍の石ころがするでしょうか?
> 人間と石ころとの違いを考えて見てみると良いでしょう
> その違いによって煩悩をも生じさせ、それによって苦悩が起こる訳です
> 石ころより得だと思うなら増上慢です、石ころより損してるかも、と思えれば一歩前進です

バカだねお前。
石ころが物を考えないからってそれに比べて損も得もあるかよwww
比較するバカ。
苦悩が生じる?そんなところに損も得もあるかwww
苦悩が生じるなら生じるまでのこと。生じないなら生じないまでのこと。
生じさせたくないなら生じないようにしたらいいというまでのこと。

303 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 17:28:26.67 ID:osgLCVdp
担保という捉え方が誤。
担保に何の意味がある?
師が弟子に「お前の悟りは本物であると私が担保しよう〜」で何になる?w
担保に意味があるのは経済下で銀行屋さんが「アナタの家を担保に500万貸しましょう〜」
というような時にだけ。
宗教や精神世界下で「担保」なんて無意味である事は大前提だろ?w

304 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 17:30:29.63 ID:fui2atLu
>>302
>バカだねお前。

あなたは増上慢故にそう思ったまでの事
そんなんだからダメなんですよw

増上慢の者へ老婆親切に扇(奥義)を振舞ってみても
用い方が判らないんじゃ仕方が無いでしょうにw
それがあなたの

>バカだねお前。

の一言に現れてる訳です

305 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 17:38:57.65 ID:fui2atLu
>>303
担保が気に入らなければ普遍の根拠、でも良いですけどね

楽ってなんですか?
何を以って楽と言いますか?
それは何故そうだと言えるでしょうか?
御託を並べず一発解答してみてください

306 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 17:44:49.15 ID:osgLCVdp
>>305
一とは何か?
何を以って一と言いますか?
それは何故そうだと言えるのでしょうか?
御託を並べず一発解答してみてください

というに等しい問いかけだな。
あえて言えば「快楽」と「安楽」は「楽」の共通があるが両者は違い、快楽が肉体的楽であるのに対し
安楽は精神的、心理的楽と言え、仏陀が説いたのは前者ではなく後者である事は間違いないでしょうな。
愛欲などは苦(精神的、心理的苦)に違いないとして戒めた。

生きとし生けるものは全て精神的、心理的な安楽な状態であれ〜と希うのが慈悲の根本でしょう。

307 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 17:47:29.71 ID:fui2atLu
>>306
無知を晒して恥じる事が無いあなたは幸せかと存じますw

308 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 18:36:12.85 ID:osgLCVdp
担保に意味があるのなら仏陀は自灯明法灯明とは言わず、担保灯明と言ったでしょうなw

309 :四諦八正道:2014/05/06(火) 18:57:22.09 ID:0l+cF6Se
釈迦は「四諦八正道」を説いた、と言われている。
これについては、その意義が未だ曖昧なので私見を述べてみたい。
最初に、このスレでも議論されている八正道にしよう。
 
八正道の「正しさ」とは何か。結論を先に言えば、
求道者のレベルで答えなんか出せるわけがない。出す必要もない。
その人が考える「正しさ」を実践すればいい。
 
八つの正しい道? これもまったく気にする必要はない。
ひとつでもいいから実践し、試行錯誤を重ねることの先に、悟りがあり、
真の「正しさ」が姿を見せるのではないだろうか。

310 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 18:59:29.25 ID:fui2atLu
担保は根拠を見出す者がその分別に於いて価値的にを設定する
故に担保が灯明となり得ない事は自明の理

311 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 19:02:22.43 ID:fui2atLu
>>309
>求道者のレベルで答えなんか出せるわけがない。出す必要もない。

浅墓過ぎるなw
八正道に於ける心の正しさとは「如実知見」したありのままの事を正しいと看做す
故に、八正道は正見が根幹となる

312 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 19:04:55.91 ID:fui2atLu
訂正
心の正しさ×

真の正しさ○

313 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 19:15:01.78 ID:8+Bo2e8K
石ころどうのはLike a Rolling Stone かな?
ある意味において石ころも人間も変わらないという

314 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 19:16:46.45 ID:osgLCVdp
A氏の「ありのまま」とB氏の「ありのまま」が異なる事もありうる話ではあるが、
両者ともに正しい〜では話にならんですなw

つまり「正しい」か否かは個人的理由は根拠とならない。
A氏にとり正しい事とB氏にとり正しい事と人類にとり正しい事では人類にとり正しいか否かだけが
根拠となる。なぜなら個人的理由ではなく「人類」だからw

315 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 19:19:39.27 ID:kXWsidsv
石ころに増上慢は有り得ない
人は思いの分だけ我執があり増上慢になり煩悩も起こる
石ころに思いは無いので当然これらは有り得ない
この事実を体得出来れば涅槃を証した事になり
それが悟りとなる
悟りなどないと言う者は釈迦否定・仏法否定の不心得者以外の何者でもない

316 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 19:22:38.26 ID:kXWsidsv
>>314
「同じ空がどう見えるかは、心の角度次第〜だから〜」

仏法の如実知見はその「心」が判ずる以前をそのまま捉える為の術を言っている
それは仏道を行じなければ判らない

317 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 19:23:29.70 ID:osgLCVdp
中村元氏の言う「束縛や解脱があると思うのが束縛で、束縛も解脱もないと思うのが解脱」が正しい判断でしょう。
悟りをあると思う時点で一種の束縛状態にはまっている。悟りをないと思うのが悟りとはまさに仏教らしい矛盾ww

318 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 19:26:41.54 ID:kXWsidsv
>>317
思いが有る以上、悟りは厳然とあり
悟ったら悟りが無くなる
これは悟らなければ判らず、中村氏は仏道を行っていた研究者でもあるので
研究者にあるまじき語弊も残している事も事実
ただし、仏法者としては偉大な人であった事は変わらない

319 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 19:28:03.05 ID:osgLCVdp
>>316
>「心」が判ずる以前をそのまま捉える為の術

そう捉えるのは心ではなく何なのか?ww
瞑想で悟らねば分からない〜というのは昨晩寝て夢で見たから私は悟った〜
というに等しい。そんな変性意識下の状態などに価値は無いw

320 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 19:30:13.86 ID:kXWsidsv
>>319
>そう捉えるのは心ではなく何なのか?ww

智慧以外に有り得ない
智慧に心は無い

321 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 19:31:49.29 ID:osgLCVdp
>>320
その智慧はどこにある?

322 :四諦八正道:2014/05/06(火) 19:32:13.94 ID:0l+cF6Se
釈迦が最初から、今のような八正道を説いたかどうかは疑問である。
仏教教学として整理されたもののような印象を受ける。
なぜなら、「正しさ」も理解できない求道者にとっては無用の長物だから。
 
しかし、八正道のどれかか、八正道の趣旨に合う何かをすべきである。
八正道は、四諦・苦集滅道の肝心要「道」に当たるからである。
これで「苦」を滅するのだから、何をすべきかと十分に頭を使う必要がある。
 
その答えは四諦の苦集滅道にある。八正道を実践する段階では、
実際に「苦」があるのに、「集」〜苦の原因がまだわかっていないのだ。
ということは、「自分の何が悪いのか」という問いが八正道になる。

323 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 19:34:11.29 ID:kXWsidsv
>>321
この世界は人の思い以外は智慧に満ちていて、その実どこにも無い

これが判ればお主は智慧を悟った事になる、智慧も悟りの一つだ、がんばれ

324 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 19:35:59.77 ID:lHS0fP5L
このスレ見てるとやっぱ北伝仏教・中国仏教
って壊れた仏教だとよく分かるな
中国語・漢字翻訳時の情報の簡略化・捨象
が最大の原因かな

上座部の知識導入しないと当たり前の知識
すらも継承されないねこりゃ

325 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 19:39:01.07 ID:8+Bo2e8K
>>309
八正道とは四諦の末の、こんなん出ましたけどみたいな物と思う。
それは過反応かもしれないし、暇つぶしかもしれないし、
弟子におしえたろ〜と、張りきったものかもしれないし、
そんなものに振り回されるべきではないと思う。

326 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 19:41:31.73 ID:osgLCVdp
つまり「智慧」などあるのかないのか分からんようなものを引っ張り出さないと語れない
という事自体が無意味なのですよ。仮にあっても認識できず〜目の前のモノが智慧ならば、
認識できる以上智慧とは言えず〜つまり無意味以外のなにものでもないww

327 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 19:45:28.08 ID:lHS0fP5L
あのね、普通は八正道だけじゃなくて、
三十七道品なのよ
しかもこれ比丘の話だから、似非仏教たる
大乗仏教の在家があーだこーだ言っても
全く関係無い代物です

似非は似非らしく浄土教みたいに念仏
唱えといた方が潔いよ

328 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 19:46:11.06 ID:kXWsidsv
愚者は
「無いと言う事実が、仮に有ると様に言う事に匹敵して効果を成す」事が理解出来ない

329 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 19:54:16.79 ID:8+Bo2e8K
>>328
それ以前に何が言いたいかさっぱり理解できないのだが
賢者ならわかりやすくだな

330 :四諦八正道:2014/05/06(火) 19:54:56.37 ID:0l+cF6Se
八正道として「自分の何が悪いのか」と自問自答することは、
逆に言えば「正しさ」を追求していることになる。
これは反省であり、止観の観にあたる。これを常日頃継続して行う。
 
ものごとが順調に行かず、生きているのが嫌になれば、
八正道を知らなくても、自然に「自分の何が悪いのか」と考え始める。
そして考えに考え抜けば、自分の闇、無明が姿を見せる。
これがすなわち八正道なのである。
 
悟りは、世間で苦労して生きて行くことの中にある。
宗教書や難しい本の中にはない。

331 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 19:57:00.83 ID:osgLCVdp
>>315
>悟りなどないと言う者は釈迦否定・仏法否定の不心得者以外の何者でもない→明確にあると言っているw
>>318
>思いが有る以上、悟りは厳然とあり→あり〜
>>320
>智慧以外に有り得ない→智慧こそはまさにそれだという意味で、あり〜

>>328
「仮に」どころかあり〜あり〜のオンパレードなんですが?ww
あり〜あり〜言いながら、その本心は「無いと言う事実」ならばひねくれ過ぎた性格を治す事をお勧めいたしますw

332 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 20:05:36.95 ID:8+Bo2e8K
智慧ならウィキにあるよ
ないなら別あたりゃいいし
複数人に聞いてもいいし
それでもないなら諦めりゃいいし

333 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 20:19:04.63 ID:N3oJsDVZ
智慧は、理解力のことでしょう

334 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 20:31:10.49 ID:8+Bo2e8K
三人寄れば文殊の智慧というじゃろ

335 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 20:32:21.14 ID:utMZIYjD
真理の道に終わりは無い、修行を完成したと思っていることこそ、修行を完成してない証拠である。

byディーガ・ニカーヤ(長阿含宗)・アンバッタ経

336 :四諦八正道:2014/05/06(火) 20:33:20.19 ID:0l+cF6Se
次に苦集滅道の四諦だが、
これは仏教の目的が「苦の滅」であることを宣言している。
 
これはまた、原因結果の「因果関係」の重要性を教えている。
因果関係の理解が、人間関係を可能にし、過去や未来を推理させ、
病気の治療や、科学の発達、発明や発見などを可能にする。
 
因果関係は、原因と結果だから簡単だ、とは言えない。
既知のものを除き、原因から結果、結果から原因を見出すには、
インスピレーションが必要だからである。→ ex.コロンブスの卵

337 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 20:36:06.38 ID:iUb+is2i
>>278
>>この「生存本能からの直接の指示」が、閻魔氏のいう「直接現実」なのである。
>ちゃいまっせw

開祖・教祖の見解や教典のフィルターを通した現実は、分別による他人からの
借り物だから、直接現実どころか、間接現実、間接間接間接現実である。観念
語の羅列である教典は、戯論の塊。

直接現実は、生存努力においてのみ現れる。

無分別というが、自他の生存が奪われようとする時、無分別ならどうなるか。

しっかりしてくださいよ、禅者さんw。

338 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 20:50:54.83 ID:iUb+is2i
>>330
>悟りは、世間で苦労して生きて行くことの中にある。

その意味で、「出世間」を考えた途端に、悟りから遠ざかる。

339 :四諦八正道:2014/05/06(火) 20:56:02.68 ID:0l+cF6Se
四諦と八正道が同時に語られる意味は何か。
因果関係を、「自分の何が悪いのか」を考える時に使うからだ。
 
この時に、気づき、あるいは、インスピレーションが必要になる。
これを養うにはどうしたらいいだろうか。
そのために縁起の理法(六支縁起・縁起の空)がある。

340 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 21:13:07.23 ID:8+Bo2e8K
>>339
因果関係は逆観により問題追及するためのツールだよ。
生死の場合の根本原因は無明ということになり、
考えない、問題視しないという荒業解答を導き出す。

四諦は集の時点で情報がないと機能しないという欠点を持つ。

341 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 21:36:25.69 ID:N3oJsDVZ
どう足掻いても無理だから諦めて正しく生きろということでしょう

342 :四諦八正道:2014/05/06(火) 21:46:34.61 ID:0l+cF6Se
>>340
十二支縁起は使えない。意味不明な「無明」から始まるから。
それに支の並びが理解できない部分もある。
そのため、十二支縁起の順観と逆観はほとんど役に立たない。
 
六支縁起なら、逆観は止観の止(サマタ)の滅尽定(想受滅)になる。
・・・(@色A受B想C行D識E無明) 順観は止観の観
六支縁起では「無明」に焦点をあて、これを突破することを目的にする。

343 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 21:46:58.09 ID:qHetnXBg
意識する事は何も無い状態に何かを生み出してしまう。例として、朝の通勤で交通事故でなくなった奴が出勤してて昼まで会社の何人かは目撃してて仕事もやってある形跡があった
説明がつかない

344 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 22:05:01.18 ID:lHS0fP5L
すごいな
ここまでデタラメな知識で支離滅裂な
仏教曲解してる者は見たことない

345 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 22:19:58.48 ID:qHetnXBg
曲解で構わないんだが仏教と宇宙でググったら量子論と仏教がでてきて…
俺の中でお粗末な見解が生まれた、「意識する事で存在する」
超能力の説明がつくんだよなこの考えとり入れると、

346 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 22:40:02.06 ID:8+Bo2e8K
>>345
曲解で構わないんだが、「意識する事で存在する」は自己暗示。
やがて自分の中でお城を形成し、最後は確固たる事実にまでなる。
もちろん個人においての範疇に限定される。

347 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 22:40:22.82 ID:lHS0fP5L
>>345
いや、私が言ってるのはあなたの事じゃなくて、
上の方で仏教用語を独自解釈して講釈
垂れてる阿呆な人達のことね

348 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 23:03:17.07 ID:A2MgXvaR
なんか、紐君が再登場してるかの如き流れだなw

349 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 23:10:41.47 ID:qHetnXBg
仏教は全てにおいて人知を超えてるのに人類の必修課題として教育の場に取り入れられないのは何故だと思いますか?私は世界の上位の資本家からしたら拝金主義がくつがえされるのが怖いからなのでは?煩悩→物欲→労働→金 煩悩が無になったら全て無になるから…

350 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 23:19:59.54 ID:qHetnXBg
しかし結局全ての事柄はゼロに向かうから、仮に東森美和さんが「地震なんてないよ」と発言する事でスターに上りつめても、ちょっとしたスキャンダルで仕事がなくなるみたいな事なんでしょう。「空」とはいったいなんなんでしょう

351 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 23:26:02.27 ID:uU6Lh/K2
結局、この流れは対象化と相対理解の成りすまし範囲に留まっている。

「如実知見」と言おうが、「智慧」と言おうがw

352 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 23:28:46.49 ID:peDRJatX
自分が存在してるから宇宙も存在してる
自分が消滅したら宇宙も消滅する

これは真理です
間違いない

353 :神も仏も名無しさん:2014/05/06(火) 23:39:00.39 ID:qHetnXBg
人では計れない4次元とか10次元が在るらしく
宇宙の誕生の原因が未来に起きてもありだそうです
????

人自体原子の固まりに過ぎないから「死」とは「死」と言い切れるのでしょうか?もしかしたら宇宙とはどでかい奴の体内で我々は血流もしくは細胞の一部でしかないのかも

354 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 00:27:39.62 ID:RJ5K6RHc
>>351
『(1)他(人)によって知られるのではなく、
 (2)寂静であって、 
 (3)戯論によって戯論されることなく、 
 (4)無分別であり、
 (5)種々の意味を持たない、──これが勝義の相である。』(龍樹 中論18-9)

諸の煩悩及び業の滅するが故に心に解脱を得と名づく。
是の諸の煩悩と業とは皆憶想、分別より生じ、実有ること無し。
諸の憶想、分別は皆戯論より生じ、諸法の実相の畢竟じて空なるを得れば、諸の戯論は則ち滅す。
是れを有余涅槃を説くと名づく。実相の法は是の如し。

眼横鼻直は如実知見なので意味の無い事に意味があり、憶想・分別の外では意味を成さないのみ
意味が無いに固執するのも我執の現れであり、非有非無の如くが事実

355 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 01:12:10.62 ID:DaOqCmm6
魂を発見するのが悟りで、魂を完全浄化して再生しないのが解脱でしょう

356 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 01:36:17.00 ID:C/TtSWOZ
>>355
んなわけあるかw ┐(´ー`)┌


少なくとも、お釈迦さんの「悟り」「解脱」がソレでないことは明白。

357 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 01:37:50.15 ID:C/TtSWOZ
つか、“在家”だろ?w  >>355

358 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 01:38:17.73 ID:mqyeUULo
>>353
肉体は死ねば腐敗して原子に分解するが、生きている間は腐敗することはない。
生きてい間は、肉体の各器官は、絶妙な相互依存の関係で、肉体の動的平衡を
保っているが、死ねばこの平衡状態は破壊される。これは何故かは、誰にも判
らない。

肉体の神秘と驚異は、いかなる宗教といえども遥かに及ばない。この大宇宙を
認識し、存在たらしめているのも、一人ひとりの肉体に宿る生命の力である。
この意味で、一人の生命は、大宇宙をも越えているのである。生命を無明呼ばわり
した釈迦こそ、無明であったことが明らかである。

359 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 02:05:16.76 ID:RJ5K6RHc
>>358
肉体に拘る自体が既に戯論
その肉体とやらは何から起こり、何になって肉体では無くなるのか、これが仏法者の見識の一つとなる
今は肉体と言う仮の集まりの下に「わたし」と言う実感を伴って現象しているに過ぎない
全てのものには始まりがあり、やがて終わりが来る、而して全てのものの始まりとは
即ち何かの終わりの事であり何かの終わりとは即ち何かの始まりの事である
よって始まりも終わりもそもそもどこにも存在していない
始まりと終わりが有ると論ずるのは分別の心が行ってるに過ぎない
実なる事物を如実知見してみれば、そもそも始終などどこにも有り得ない

これを因果倶時とも言う

360 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 03:37:03.43 ID:mqyeUULo
>>359
そのような考えは、生命の軽視を生じる邪見だから、放棄すべきもの。

その書き込みをしているのも、君の肉体。君が死ねば、一切は不可能。

361 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 04:25:27.38 ID:RJ5K6RHc
>>360
>生命の軽視を生じる邪見だから

生命とやらの所在を明かせ
人として生を受けた事を軽視してるのは寧ろ生命とやらに執着してる御仁の方ではないか
実体の無い生命より、一時的にも実在している肉体に感謝の念を持つのは当たり前の話
死など思いの上に於いての概念に過ぎず、それを惜しむらば執着以外にはなり得ない
生命とやらも同じ事

執着は苦しか生まない
所在の良く判らない生命とやらに執心することは苦そのものにしか過ぎない

362 :ベゲザン:2014/05/07(水) 04:37:07.79 ID:1hAJRy/q
人間は悲劇と喜劇を生むに過ぎない。底流には人間であることの
物悲しい語りが下水道のように流れている。
 死は一様の終着点だ。生を語るよりいずれやってくる死を語る。
仏教の底流はそれに過ぎない。安寧に執着し、生を語り、自我を
膨らませ、膨らんだ自我が風船のように割れた割られたからといって
感情を害した害されたという。それは仏教ではない。

363 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 04:50:16.38 ID:RJ5K6RHc
仏道の目的は涅槃を証する事に尽きる
涅槃とは一切の戯論が滅した目出度き境地の事
生死の惑いもこれにて滅する、戯論故に

364 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 06:13:00.03 ID:RZzChAbB
自のみに喜べば他の憂い(苦)となる。
他の憂い(苦)は同時進行で自の憂い(苦)となる。
故に自のみの喜びを取らないのである。
他の喜びは同時進行で自の喜びとなる。
故に他の喜びを取るのである。
実際にある現象に意味が付加されたものは戯論ではない。
生死は戯論。知らぬ、存ぜぬ、記憶にない。ということである。
故に戯論終了、即涅槃とはならない。
渇愛の放棄なしには何も始まらない。

365 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 06:16:42.32 ID:Yq87F2w2
>>358
酒余の一語、酒肴の宴会芸と云うところだなww

よくもまあ狂態が続くもんだ。噴飯も噴飯。お前の文は物笑いの種である。

笑止なり。他者を啓発致している所存であろうが、
いやはや寸劇番組の如き爆笑の拠所になるのが関の山であるww

366 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 06:42:18.87 ID:RZzChAbB
>>365
自演?

367 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 06:52:05.87 ID:zrs0lbpQ
生死のほかにほとけをもとむれば、ながえをきたにして越にむかひおもてをみなみにして北斗をみんとするがごとし。
いよいよ生死の因をあつめて、さらに解 脱(げだつ)のみちをうしなヘり。
ただ生死すなわち涅槃(ねはん)とこころえて、生死として いとふべきもなく、涅槃としてねがふべきもなし
このときはじめて、生死をはなるる分あり。 生より死にうつるとこころうるは、これあやまりなり。
生はひとときのくらいにて、すでにさき ありのちあり。
かるがゆゑに、仏法のなかには、生すなはち不生といふ、

368 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 07:07:47.58 ID:RZzChAbB
>>367
日本語でおk
根拠なにもなく説得力を持たない
故にマインドコントロールの末の戯言。

369 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 07:10:17.66 ID:Yq87F2w2
>>366
小童か?

370 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 07:15:05.94 ID:OPVCVwwD
>>303
> 担保という捉え方が誤。

根拠といってもいいけど。
結局あなたは根拠の無いことを主張してたわけか

371 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 07:32:09.69 ID:RZzChAbB
戯言の脅威の典型は魔女狩り。
誤解は既成事実にまで発展する。
根拠なしの他人の言を思慮なく疑いなく
受け取ることは絶対にやってはならない過ち

372 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 07:35:38.03 ID:OPVCVwwD
昨日のコップ手品のペテン師兼業坊主は結局何も説明できなかったな。
もう一人の社会規範くんも、
守るべき規範がある、といいながら結局、
規範は守るべきとは限らない、に主張を変えたな。

仏教の専門用語に執着したいのは勝手だが、そんな些末なところに執着した挙げ句何も理解していなかったり空虚な御託を並べるしか能がないなら滑稽だな。

373 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 07:38:27.66 ID:OPVCVwwD
>>299

267:神も仏も名無しさん2014/05/06(火) 13:28:49.81 ID:mR5Cvr/R (41)
それは畢竟「生存と共生の事実を維持するべきである」という規範命題であって、それを守るべき理由は結局形而上に求めるしかないのでは?
268:神も仏も名無しさん2014/05/06(火) 13:32:45.55 ID:uU6Lh/K2 (17)
>>267
世俗諦は世間においての「真理・真実」(仮設&仮説)だから、
271:神も仏も名無しさん2014/05/06(火) 13:46:00.63 ID:mR5Cvr/R (41)
>>268
「真理・真実」を担保するものを形而上に求めるなら形而上の規範。
形而下に求めるなら形而下の規範。
そもそも根拠が無いなら空論。
275:神も仏も名無しさん2014/05/06(火) 14:10:04.03 ID:uU6Lh/K2 (17)
>>271
>世俗諦がなぜ規範命題であるかについての根本的な根拠

共同幻想としての「文化」(人間が社会生活を営む上でかたち造る生活や行動の様式)が根拠。
277:神も仏も名無しさん2014/05/06(火) 14:33:11.33 ID:mR5Cvr/R (41)
>>275
人が「文化」に基づくべき、ということの根拠は?
280:神も仏も名無しさん2014/05/06(火) 14:50:27.99 ID:uU6Lh/K2 (17)
>>277
共同慣習と生活利益
283:神も仏も名無しさん2014/05/06(火) 15:02:29.23 ID:mR5Cvr/R (41)
>>280
いや、だから「共同慣習と生活利益があるならば規範を守るべき 」とする理由は?
284:2802014/05/06(火) 15:09:31.15 ID:uU6Lh/K2 (17)
>>283
いやなら守らなければいい。

374 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 07:43:31.93 ID:OPVCVwwD
>>294
>>293
> 出世間は私の持論でも勝手論でもありませんから

持論であろうがなかろうが、説明にならないものを説明とすることはできませんよ。

> 私があなたに説明する義務もありません

義務は無いよねだから逃げるのも自由だよ。

> それを強要するあなたが増上慢だと申し上げてる次第ですw

逃げるに際して尻尾巻くならまだしもその捨て台詞が増上慢だと申し上げております。

375 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 07:44:58.74 ID:DaOqCmm6
生命とやらの所在を明かせ

心の奥にある魂が生命の根源でしょう。
ここに記憶があり、業や行為が蓄積されていく。
正しい道を歩むのは、この魂によって、仏? に帰ったまま生活することで、
これが修業ということになるのでしょう
と推測です

376 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 07:57:47.44 ID:RZzChAbB
虚のお城を築かれたら他人にはどうすることもできない。
過去の典型は魔女狩りや人種差別、戦争など。
たぶんお釈迦様でも説得は無理。
自身が虚に気付き、苦に感じるまでは。

というわけで次のテーマは渇愛でどう?

377 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 08:36:07.00 ID:OPVCVwwD
>>299
243:神も仏も名無しさんsage2014/05/06(火) 10:56:22.49 ID:osgLCVdp (16)
正しいか正しくないか何を基準にするのか?
言葉を変えれば、善なのか非善(悪)なのか何を基準にするのか?

正(善)は人類が発展する方向性のものであり、不正(悪)はその発展にブレーキをかけるもの、
251:神も仏も名無しさん2014/05/06(火) 11:58:14.86 ID:mR5Cvr/R (44)
>>243
それだとただの形而上学でプラトンのイデア論と大差ないな。
「人間・人間以外」という価値基準は必ずしも絶対じゃないでしょ。

252:神も仏も名無しさんsage2014/05/06(火) 12:07:28.65 ID:osgLCVdp (16)
世俗諦での解釈は>>243のとおりであり過不足なく説明されている。

258:神も仏も名無しさんsage2014/05/06(火) 12:34:09.96 ID:osgLCVdp (16)
>>255
人間以外まで拡大解釈した言わば普遍的な善悪、正不正基準など仮に有ったとしても語れず〜と言っている。
語れるのは人間基準の善悪、正不正基準=世俗諦だろう。


261:神も仏も名無しさん2014/05/06(火) 12:54:33.30 ID:mR5Cvr/R (44)
>>258

それをどう基準付けるか、というときに理由なく「正しさとは人類の生存にとっての有益さである」という条件命題をつけることが形而上の神秘主義だと言ってる。

378 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 09:03:36.87 ID:kWHONBvq
>>361
>執着は苦しか生まない

すべての人間は、他の動物と同様、その発生以来、生命の呪縛の下にある。
生物界における「法の中の法」だ。いくら足掻いても、この呪縛を逃れることは
出来ない。中論の言う「如来の本性としての生物の本性」だ。

人間は、どんなに苦しい状況にあっても、常にっささやかな楽を求める。そして、
「生きていること自体」に、無意識ながら最大の喜びを感じているのである。

執着が苦なら、まず、親でもない大昔の赤の他人に過ぎない開祖に対するその
病的・異常な執着を棄てたらどうか。生物にとっての「法の中の法」に真っ向から
反しているではないか。

379 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 09:32:06.32 ID:9IeTHMGZ
釈迦の教説や弟子たちの論説や説明等は公開されている情報
悟りも解脱も可能と謳われているし推奨もされている
しかしここの多くの御仁はそれらから至れる境地までをも
説明を強要して無知を晒している

悟りや解脱は個人の問題なのであり、煩悩解脱も結局は
個人の解決に過ぎなく、その個人個人が数を増して始めて
大乗と化ける、と言う種明かしが全然理解出来ない
大乗仏教が目指したものも初期仏教と真意は変わらない
と言う事も全然理解出来ない

道に挫折するのも個人の問題
解らないからと他人に縋る信心は捨てたほうがいい
それこそ仏教では無いのだから

380 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 09:44:59.70 ID:9IeTHMGZ
>>378
如来の本姓は生物ではないし生物としての本性でもない
如来の本性は「縁起する現象」それ自体が如来なのだよ
故に、人間とは何か?と問われて言える抽象度最上位の呼称は
「現象としての存在」または「現象」となるのだよ
すべての現象は縁起して成り立つ
だから
現象とは縁起の事でもあり、縁起は現象の事でもある、それを龍樹は
不生不滅 不常不断 不一不異 不去不来
と八不で表現したのだよ

釈迦の説が正しくなければこの龍樹の論は成り立たなかったのだよ
大馬鹿者め

381 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 09:54:18.25 ID:9IeTHMGZ
以下、増上慢の者はこの真実を受け入れる事が出来ないで異を唱えるだろう
それは法華経方便品に明らかに説かれている
去る者は追わず、来るものは拒まず

382 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 10:17:07.36 ID:RZzChAbB
驚いた。現在でも魔女裁判は行われているらしい。
頭がおかしいとしか言い様がない。
宗教と慣習は人心を狂わせる。
人は不都合を避けると同時に渇愛に溺れる。
人間の本性をえぐり出す思想はそうそうない。
この部分に限れば賞賛に値する。

383 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 11:14:20.74 ID:wFgYB6oz
渇愛も自発できず、煩悩により起こる
煩悩は我執より起こる
人にとって苦とは結局、我執由来の煩悩より起こり
煩悩によって渇愛も生じる、そして渇愛によって苦は増す

外道はそんな簡単な理屈も理解出来ないのか

384 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 11:22:32.39 ID:RZzChAbB
>>383
外道というものはない。無分別て知ってますか?
何も理解できていない証拠であり、
宗教としての仏教という檻から出ようとしない。
それは自身を縛る苦であることが自覚できていない。
また自覚しようともしない。
すべては渇愛のために

385 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 11:36:27.47 ID:QzZK7E0z
仏教は何も人をスーパーマンにはしないよ
世間にいれば瞑想をいくらやっても喧騒に巻き込まれ疲れる。
仏教はいらぬ神経を使い80疲れるところを60に抑えることはできることかもしれないが
さすがに0にはできんだろう。
0にできるんだったら、企業は24時間人を働かそうとするんじゃないか?
それに、瞑想で心を完全に無にすることが仏教の目指すところではないと思うよ
出家者は瞑想を究める必要があるのはそうだろうが在家は極めなくてもいいでしょ
慣習はその場所の世間の秩序なのであって、時代とともに移ろいはするが
だから、変えていい、無くせって具合に無視すべきものでもないと思うよ
たいていは人はそれに習って、調和する方向に自己を調整していくものなんじゃないの?
あと、僧のあり方だけど、上座部系の人でも大乗の精神を持っている人はいるそうだよ
タイなどはまさに資本主義経済が入り込んで、共同体が破壊されそうな状態になってきているそうで
それを見た僧の中には、孤立化していく個人に積極的にかかわtっていきサポートしようとしている
人もいるらしい。また、伝統どおり、解脱をめざし世間を避ける人もまたいる。どちらでもいいと思う。

386 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 11:53:22.44 ID:RZzChAbB
>>385
いや、悟りとか智慧とか解脱とか涅槃とか言ってる人は本気で
スーパーマンになれると思っていると思う。
そうでなくとも特別視は必ずある。
慣習自体は惰性だから害はない。しかし根底に特別視があると慣習自体が
正義に変化する。結果、そこに触れると猛反発を招く。
人は自己暗示含めて簡単にマインドコントロールされてしまう。
根底に潜むのはやはり渇愛である。

387 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 11:57:08.79 ID:kWHONBvq
>>380
>釈迦の説が正しくなければこの龍樹の論は成り立たなかったのだよ
>大馬鹿者め

はい、はい。開祖への執着ご苦労さん。世の中には、それ以上の執着はないぞw。
執着を去れw。

生類の本性だから、生命(肉体)に決まってるだろ。生命(肉体)以上の「相互依存
性、関係性」の存在はないことを、解剖生理学の初歩から勉強して、理解せよ。

中論は、ここだけは「本性」と言う言葉を使ってるね。この意味が判るか?

中論は、「もろもろの存在」の構成原理を説いたのである。「現象」ではない。

388 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 11:59:21.13 ID:OPVCVwwD
>>379
> 悟りや解脱は個人の問題なのであり、煩悩解脱も結局は
> 個人の解決に過ぎなく、

要するに仏陀の説教いらぬお世話ってことか。


> 道に挫折するのも個人の問題
> 解らないからと他人に縋る信心は捨てたほうがいい

要するに仏弟子をdisってるのか。

389 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 12:05:57.23 ID:QzZK7E0z
それは知識不足からくるものだと思う
解脱ってのは死後二度と生まれてこないということで
真に完成させたいのであれば死ななくちゃいけない
でも、たいていの人は生きているうちに完成してドヤ顔したいってところで
それを語るから問題になる。
死の恐怖という生き物がもつ業とも戦わず、悟りを語りすぎなんだよ
生にもどってくるってことはあえて死を選ばないってことなのに。
もちろん、死ねば完成するというわけではない
煩悩を残したまま死ねば、戻ってきて苦しむわけで
阿羅漢の境地に達する必要がある。
大乗は、阿羅漢を批判して、世間に積極的に関わっていく菩薩を称揚したもの
だから上座部と比べて悟りの凄さがインフレを起こしてしまっているけど
内実は上座部とさほど変わらないと思うよ

390 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 12:10:39.67 ID:OPVCVwwD
>>380
> 故に、人間とは何か?と問われて言える抽象度最上位の呼称は
> 「現象としての存在」または「現象」となるのだよ

それは人間とは何か、という問いに「人間は現象に含まれる」とかいとうしているのであって「人間イコール何か」の答えにはなってないよね

391 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 12:28:27.52 ID:RZzChAbB
>>390
辞書で調べりー

392 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 12:52:37.08 ID:Nom4minm
諸行無常以外に何があんだよ。
2500年間、あーでもない、こーでもないとこねくりまわしても、生老病死のレッテルの
張り替えだけで、結局何も出来ちゃいない。
すべて無駄だ。

393 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 12:56:13.13 ID:RZzChAbB
>>389
確かに経典にはそう書いてあるだろう。
そこに落とし穴が潜んでいる。
実際に確かめてもないのに、どうしてそれが本当なのか?
そこには宗教と同じく信が潜む。
結果、魔術を信じる、悪いのは魔女のせいみたいなことになる。
経験を伴わない知識は信じるなとは言わない。
確かめる手段を持たない知識を信じるの?信じたいの?
事実のように語っていいの?
根底に潜むのは(略

394 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 12:58:28.15 ID:C/TtSWOZ
紐君は引退したんじゃなかったのか?w

395 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 13:50:10.07 ID:QzZK7E0z
物事に真実があるという前提で話を進めても仕方ないと思うんだけどなぁ
俺はあくまで仏教ではそうなっているということ言っているわけであってさ
疲れるなぁ
どうやら、君らにわかってほしいと思うらしい

俺も別に上座部的な意味で僧として解脱をめざしているわけではないので
自分の業の動きにそれほど注意を払っているわけではないよ
君らと同じように平生を凡夫のままに生きたいっていうのが俺の限界みたいだからさ
だから、まあ今から言うこともあくまで上座部の僧はそうなんだろうと
俺の想像する仮定にすぎないと思って聞いてくれ。

業を起こすとそれが己に果となって現れるのは確かだよ
仮に一時、心を無にしたところでね。以前に起こした業は自分でも知らないところで
眠っていて、瞑想で一時心を落ち着けたところで底流ではくすぶっている。
それは非常に大事なことだと思うよ
来世はないと思うことで、くすぶっている業について見逃したままにしていることは
修行僧にとっては解脱の障りになる重大な欠陥となるんじゃないのかな
来世があるかどうか問題ではないと思うよ

396 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 14:23:21.49 ID:VyUsmAc+
カルトと思われている宗教は教えも正しくないのか
http://fox.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1399345985/

397 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 14:34:50.11 ID:OPVCVwwD
>>391
辞書じゃなくてあなたの発言についての話ね。

398 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 14:50:10.40 ID:OPVCVwwD
>>395
> 来世があるかどうか問題ではないと思うよ

理屈としては来世というのはあるということになると思うよ。
ただどう修行したところで輪廻から外れることはできなくて、単に輪廻を苦しみと感じずに済むようになるだけじゃないの?

399 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 15:44:38.13 ID:5R8s0LKR
来世はあるだろうよ。
ただ、来世にはお前さんが主ではないということ。
お前さんは今世だけにしかいない。
来世の何がしと、今のお前さんとは無関係。
輪廻の主は世の中であってお前さんじゃない。
世の中は輪廻し続けて来世、来世と続くが、お前さんは今世限りで終りだ。

400 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 15:54:17.79 ID:OPVCVwwD
輪廻というのは同じことが繰り返されるんだから今世もまた繰り返されるよ

401 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 16:00:29.79 ID:iXHIp0BY
>>387
終わりのある生命とやらに八不は矛盾する

402 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 16:20:58.51 ID:RZzChAbB
>>395
>業を起こすとそれが己に果となって現れるのは確かだよ
>仮に一時、心を無にしたところでね。以前に起こした業は自分でも知らないところで
>眠っていて、瞑想で一時心を落ち着けたところで底流ではくすぶっている。
>それは非常に大事なことだと思うよ
>来世はないと思うことで、くすぶっている業について見逃したままにしていることは
>修行僧にとっては解脱の障りになる重大な欠陥となるんじゃないのかな
>来世があるかどうか問題ではないと思うよ

全く嘘は入ってないと思うよ。
欠陥に気付くか気付くないかで変わってくる。
気付けば必然的に直そうとする。
何故かというと気持ち悪いからの一点につきる。
来世云々は関係ない。
仏教はウソとホントがぐちゃまぜになってると思う。
思いが業になり既成事実までに発展する。
日常会話で仏教用語や輪廻とか言ってると頭のおかしい人と思われるぞ。

>>397
何でしたっけ?、人間が現象とかいいましたっけ?
というか仮称なんてなんだっていいやん。
猫とは猫。存在はしてるが、意味なんかないよ。

403 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 16:31:53.55 ID:iXHIp0BY
>>385
>瞑想で心を完全に無にすることが仏教の目指すところではないと思うよ

心を無にするのではない、心と言うのが実在的妄想だった事に気付くのが最初の目標
愚者はこの時点で先入観故の勘違いに気付けない

>>386
>スーパーマンになれると思っていると思う

解脱は道理の上に於いての普通に倣うだけなので超人化する訳ではない

>>389
>解脱ってのは死後二度と生まれてこないということで

解脱は死後に生まれてしまう惑い等の妄想一切の思いの緊縛から解放され脱出するから解脱である
二度と生まれてこないと言う意味ではないし、物理的現象の道理から出るものでもない
愚者にはこれが理解出来ない、増上慢故に

404 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 16:36:58.57 ID:iXHIp0BY
>>402
>思いが業になり既成事実までに発展する。

業に思いは無い、地球の運行も業故に

業報有りて而も作者なし、この陰滅し已わりて、異陰相続す。
業と報に元々操作主も作者も意味も無い、同時に縁起にも然りで
縁起も思いは無い

405 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 16:44:26.81 ID:RZzChAbB
>>404
魔女狩りは業。その業が生じるのは思いに誤認が潜むため。
誤認を認めないのは責任転嫁というものだ。

406 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 16:46:27.14 ID:iXHIp0BY
真の解脱は現在のあらゆる宗教(含同門)とその信者にとって敵対対象になると思われる
真に解脱を果たすと、一切の教団が不要となる故に
外道はともかく、同門は相当焦って反論や非難、心象操作をしてくる事は明白かと思う

407 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 16:54:33.41 ID:iXHIp0BY
>>405
仏教の真意を遵守しないものが炙り出される事が魔女狩りと見えるか

なるほど、言い得て妙かと思われるw

408 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 16:56:33.68 ID:RZzChAbB
頭がおかしいとしか言い様がない寸前まできてるぞ。
宗教とその慣習は人を確実に狂わせる。

409 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 17:03:31.15 ID:iXHIp0BY
理に訴え敵わないと見るや、今度は心象操作に訴えるとw

410 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 17:05:05.23 ID:RZzChAbB
>>409
いや、おそらく誰がその文章をみても。。。

411 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 17:15:19.56 ID:Yq87F2w2
> 二度と生まれてこないと言う意味ではないし、物理的現象の道理から出るものでもない
> 愚者にはこれが理解出来ない、増上慢故に

物理現象とは一義に非ず、二義を以て下なり。痴れ者には仏教と科学の弁別がつかぬ。
心的現象のみ存在する唯識の方がまだしも正しき。一義に近いからである。
(心を云々すること客体的な物を云々することよりまだ一義に近い)

数理計算によりて客体として位置付けられし証明が、心よりも身近にあるという沙汰は仏教ではない。
何とならば即ち、物は観念に過ぎぬが、心は観念に非ず。正常だろうと惑乱だろうと観念に非ざる故である。

また、道理には内的道理あり、外的道理あり、内外超越の道理あり、内外峻別の道理あり。

而して科学は科学、仏教は仏教。
道理一つで混同するのは賢しい者ではない。

仏教を唯物云々と誤認する時点で、仏教に向いていない。お前こそは愚者である。

412 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 17:23:04.29 ID:iXHIp0BY
>>411
仏教と科学に分別をするのが愚者の愚行に過ぎない
仏教と物理現象に於いても然り
愚者は無分別が何かが気付けない、愚か故に

413 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 17:26:20.00 ID:RZzChAbB
まぁ仮定の話。
統合失調症を考えると一個体に別人格が潜むと考えられる。
意識は何も単一のものでなく複合と考えた方が自然かもしれない。
この考えでいくと、どこからどこまでが私?というのはもはやなく、
私という概念さえ存在できない。
と同時に輪廻もなんだそりゃということになる。
あくまで仮定の話。

414 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 18:19:08.81 ID:RZzChAbB
例えば、大川隆法が釈迦の霊言を語ったとする。
おそらくは大川隆法としての意識を離れた無意識層からひっぱり
出したものと考えられる。当人は降霊のつもりかのしれないが、
事実は無意識層が釈迦を演じるものであり大川隆法から離れているわけでわない。
だから史実や教義との不一致が生じるはめになる。
糖質患者特有の必殺技と言っていいかもしれない。

415 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 18:23:19.42 ID:Vwis8fj+
>>401
>終わりのある生命とやらに八不は矛盾する

矛盾しない。死ねば肉体は腐敗して元素に分解し、自然界を循環する。
蛆に食われれば、蛆の肉体の構成部分となる。即ち、関係性が変化するだけ。

釈迦とは異なり、中論には矛盾は皆無。

416 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 18:24:35.59 ID:RZzChAbB
複合意識、ありそうでない概念。

417 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 18:27:34.57 ID:Yq87F2w2
>>412
> 仏教と科学に分別をするのが愚者の愚行に過ぎない

侏儒よ真に愚昧なり。

第一義に物質云々(科学)の余地がどこにあるというのかね?

お前は
【至るところ仏法があること(遍在)と

仏教と他分野の学問を混淆して総括し、これぞ仏教と詐称すること(ぜーーんぶ仏教ぜーーんぶ)
と の 区 別 もつかん消防な読解力なのだよww

消防は他者を愚者呼ばわりせず、アニメでも見て寝てろ。

【補足】
ぜーんぶ仏教ならな、物質も心もない。科学も仏教さえもない。この事を熟考せよ。

418 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 18:30:41.72 ID:5d6piaU+
悟りの領域は必ずあるのだ愚者どもよ俺様は悟りの領域に達っし解脱したw
と言うのもいそうだがw

これからナイジェリアへ向かい200人の女子生徒を拉致し1200円で
売り飛ばしているイスラム過激派ボコ・ハラムに会ってイスラム教を論破し
アラーから改心させ拉致被害者を救おうと大志がありそうなのはいないなw

強きを助け弱きをくじく♪

419 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 18:35:09.70 ID:Vwis8fj+
>>416
精神医学上は、二重人格、三重人格は存在する。「無我」どころか、「複数の我」が
存在するのだ。

420 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 18:37:59.98 ID:RZzChAbB
>>419
ありがとうなのだ。それで充分なのだ。

421 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 18:47:03.83 ID:iXHIp0BY
>>415
>矛盾しない。

であるなら不生不滅を最初に提唱したのは不死の法を知らしめた釈尊その人なんだが?
お主自身が矛盾している、お前は自分の親を否定する親不孝者なのか?

422 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 18:48:53.12 ID:Vwis8fj+
>>411
>物理現象とは一義に非ず、二義を以て下なり。痴れ者には仏教と科学の弁別がつかぬ。

いずれも、人間の生命の機能である点では変わりはない。中論は、物理現象を、世間の
一切の慣習と共に、「無条件の前提」としている。

宗教も、人間の生存の手段の一つとして発生した。科学について無知蒙昧だった
古代人の、生存のための彼等なりの精一杯の「現実性・合理性。科学性」の表れで
あった。現代の科学に相当するものだった。科学の驚異的発達により、宗教の役目
は終了したのである。現代の創唱宗教は、開祖の精神病の集団的一大感染という
精神医学的現象以外の何物でもない。その症状としての「観念の遊戯」により、
本来の生存との関係が断ち切られ、手段を目的とするという倒錯と迷妄に陥った
のである。

423 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 18:50:42.45 ID:iXHIp0BY
>>417
であれば、甚深微妙なる法を持論で解説してみせよ

縁起する現象に一つも数多も無く、不生不滅にして不常不断、更に来る訳でも去る訳でもない
これを現す何かとは何か、なぜ釈尊は何かと何かを比較して微妙だと言ったのか

お前に判る訳は無いが一応尋ねてみようかw

424 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 18:55:48.16 ID:Ibq6DUUU
.[HD] カルト Cult (2013) Japanese Horror movies - 1:24:13
http://www.youtube.com/watch?v=LguC_0bOYNo

425 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 19:00:12.71 ID:iXHIp0BY
>>417
何度やっても無駄なんだよな
お前は増上慢そのもので、平気で正法を踏みにじって何とも思わない外道だから
さあ否定しろ

釈尊は増上慢のものや凡愚のものに甚深微妙の法を説明し切れないと思った
どうせ批判しかしないと思われたからだ(お前の事だ)
その「甚だ深く」て「その差が微妙」な法とは

娑婆と涅槃との違いを言ったんだよ
その差は思い一杯の心=我執の有る無しの違いで、当然涅槃には思い一切が無いから全てが寂静として安楽安心だ
それを凡愚のもの、増上慢のものに幾ら説明してもお前みたいに反論しかしない

お前は一生解らないんだよ
悔しくて私に楯突くしかもう道が無い
しかし、道は私が決めた訳じゃないので私に責任は無い
お前が自分で何とかしろ

426 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 19:37:16.06 ID:zrs0lbpQ
滅もひとときのく らゐにて、またさきありのちあり、これによりて滅すなはち不滅といふ。
生というときには、 生よりほかにものなく滅というときは、滅のほかにものなし。
かるがゆゑに、生きたらば、 ただこれ生、滅きたらばこれ滅にむかひてつかふべし。
いとうことなかれ、ねがふことな かれ。
この生死は、すなはち仏の御いのちなり、これをいとひすてんとすれば、すなはち 仏の御いのちをうしなはんとするなり。
これにとどまりて、生死に著すれば、これも佛のい のちをうしなうなり。
佛のありさまをとどむるなり。いとうことなく、したうことなき、このときはじめて、佛のこころにいる。
ただし心をもてはかることなかれ、ことばをもていうことなか れ。
ただわが身をも心をも、はなちわすれて、
佛のいへになげいれて、
佛のかたよりおこなわれて、これにしたがひもてゆくとき
ちからをもいれず、こころをもつひやさずして、
生死 をはなれ佛となる。たれの人か、こころにとどこほるべき。

427 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 19:39:51.53 ID:Yq87F2w2
>>425
嘆息。自分が何か大層な事を言っていると思ってるのか?

それは釈迦が只説く前の前置きを言ったのであろうな。私がこれから説く法は、甚だ深くて微妙である。

お前が【甚深微妙】に異常執着すればこそ何がしか難儀な言い回しに見えて、
これぞ仏教理解の指標なりと勘違いしているに過ぎぬ。

> 縁起する現象に一つも数多も無く、不生不滅にして不常不断、更に来る訳でも去る訳でもない

八不とは勝義だ。八不に物質があるかな?

お前にたて突く〜
ってのは爆笑していいのか?

>>425
> 何度やっても無駄なんだよな
> お前は増上慢そのもので、平気で正法を踏みにじって何とも思わない外道だから

誰が否定したのだね?正法を。一体誰が?
いつからお前=正法が前提になったのだね?最早、笑いも起こらない。

科学を科学、仏教を仏教として弁別する峻厳さを己に課さず、軽率にかき混ぜる。
結果、仏教でも科学でもない無価値なものが量産される。
これを真に侏儒の見解と言わざるを得ず。

428 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 19:44:27.02 ID:RZzChAbB
>>426
>>414

429 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 19:50:09.01 ID:zrs0lbpQ
>>428
道元も知らんのか
ドシロウトが口出しするな

430 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 20:31:11.72 ID:RZzChAbB
>>429
あぁスマン、霊言かと思た。

431 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 20:36:27.44 ID:zrs0lbpQ
まあ 論点はここらだろ
あとはかってにしろ


あきらかにしりぬ、心とは山河大地なり、日月星辰なり。
しかあれども、この道取するところ、すすめば不足あり、しりぞくればあまれり。
山河大地心は山河大地のみなり。さらに波浪なし、風煙なし。
日月星辰心は日月星辰のみなり。さらにきりなし、かすみなし。
生死去来心は生死去来のみなり。さらに迷なし、悟なし。
牆壁瓦礫心は牆壁瓦礫のみなり。さらに泥なし、水なし。
四大五蘊心は四大五蘊のみなり。さらに馬なし、猿なし。
椅子仏子心は椅子仏子のみなり。さらに竹なし、木なし。
かくのごとくなるがゆゑに、即心是仏、不染汚即心是仏なり。
諸仏、不染汚諸仏なり。

432 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 20:41:39.78 ID:DaOqCmm6
魂が現象界に反映してるだけだよね。
これだと輪廻するよ。

433 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 20:42:10.05 ID:Ibq6DUUU
天皇・皇后と日清戦争 - 2:00:51
http://www.youtube.com/watch?v=l0pDIPsD_ZY
.二百三高地 ロシアの餌食からユダヤの餌食へ - 3:17:44
http://www.youtube.com/watch?v=oDhXErqYwz4

434 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 20:46:58.77 ID:zrs0lbpQ
「それならば、バーヒヤよ、この世において、次のようなことが学ばれねばならない。
見られたものにおいて、見られただけのものがあるだろう。
聞かれたものにおいて、聞かれただけのものがあるだろう。
考えられたものにおいて、考えられただけのものがあるだろう。
識別されたものにおいて、識別されただけのものがあるだろう。

実に、バーヒヤよ。おまえはこのように学ばなければならない。
見られたものにおいて、見られただけのものがあるだろう。
聞かれたものにおいて、聞かれただけのものがあるだろう。
考えられたものにおいて、考えられただけのものがあるだろう。
識別されたものにおいて、識別されただけのものがあるだろう。
 バーヒヤよ、それ故に、おまえはそこにいない、なぜなら、バーヒヤよ、おまえは、まさにここにいないのだから。

それだから、バーヒヤよ、おまえは、この世にも、他の世にも、両者の中間にもいないのだから、これこそ、苦の終わりである」

バーヒヤという樹皮をまとった行者は、このように、尊師が簡略に法を説くやいなや、執着がなくなり、煩悩から心が解脱しました。

435 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 20:49:12.68 ID:zrs0lbpQ
さて、尊師は、樹皮行者のバーヒヤにこの簡略な教誡によって教えて、去っていった。
ところで、尊師が去って間もない頃、樹皮をまとった行者バーヒヤに、牝牛と仔牛がぶつかって、命を奪い去りました。

そのとき、尊師は托鉢のために行じて、食後に乞食より戻って、
多くの比丘たちとともに町から出て、樹皮をまとった行者であるバーヒヤが亡くなったのに出会いました。
これを見て比丘たちに、話しかけました。

「比丘たちよ、樹皮をまとった行者バーヒヤの身体を取り上げて、寝台に乗せて外に出し、火をつけなさい。
そして、かれの塔を作りなさい。比丘たちよ、おまえたちと共に清浄行をしていた者が亡くなったのだ。」

「尊師よ、その通りにします」と比丘たちは答えて、樹皮をまとった行者バーヒヤの身体を取りあげて、
寝台に乗せて外に出し、火をつけて、かれの塔を作ったあと、尊師のところに赴きました。

尊師のところに赴いて、挨拶をした後、一方の端に座りました。
一方の端に座った比丘たちは尊師にこのように述べました。
「尊師よ、樹皮行者バーヒヤの身体は荼毘に付され、かれの塔が建てられました。かれの赴く先はどこでしょうか。未来の運命はどうなのでしょうか」

「比丘たちよ、賢者である樹皮をまとった行者のバーヒヤは、法に関して随法行を行い、わたしを、法の課題で悩ませることはなかった。
比丘たちよ、樹皮をまとった行者バーヒヤは、般涅槃したのである。

436 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 21:05:35.83 ID:DaOqCmm6
清浄化というより理解力が大事なのかあ

437 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 21:10:52.48 ID:RZzChAbB
目指すは、かなり心地のよい安寧の境地だ。無色透明などではない。
どうしたらいいというのは無いと思う。
何をしたらダメというのは必然的に導かれると思う。

438 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 21:13:43.47 ID:zrs0lbpQ
自分無ければ清浄そのものです
じぶん心地よいばっかり考えるのを止めませんか
ほとけさんはそういってないですか

439 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 21:18:14.65 ID:DaOqCmm6
ありがとう!
進むべき道が、なんとなくわかった。

440 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 21:18:55.53 ID:RZzChAbB
自分がすっぽり消える感覚になるだろう。
何をしたらダメを一つ書くと、
周囲と不和があったらとりあえずダメ。
とりわけ家族。

441 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 21:28:42.12 ID:DaOqCmm6
魂に拘ってたからダメだったんだ!
音になり、風になり、それそのものになっていくのが清浄で、
清浄にしてやろうというのは、煩悩だったんだ。

442 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 21:34:52.39 ID:QzZK7E0z
心を無にすることにとらわれている人多いなぁ
悲しみには本質はないということは
それが永遠に続かないということもさりながら
あるときは隠れていてあるときには現れてくるというものでもないということ
だから、気づかないという業をつくって去っていくのを待っているだけでは
根本的に解決していない。
気づかないでいることで済まさず直視して
さらにそれを許容できてこそ心の安寧につながるとと思うのだがな
見ないようにしている間は業は眠っていてあるとき目覚め
目をそらすことでまた相続して眠り、目覚めることを待つことになるよ
フラッシュバックするようにね
それに業を無視するのであれば、どんな悪いことも
してもいいという態度になる。悪果を受けたとしてもそれは自分じゃないので
自分は苦しまないという自分本位の態度になるからね
業を無視する態度は在家はともかく、僧としてのあり方ではないということは
少し考えれば分かること。そもそも業を否定したらサンジャヤと同じ。

443 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 21:38:36.89 ID:RZzChAbB
>>441
心に引っかかりがあってはダメ。
引っ掛かりを忘却なり克服なりしなければ無理と思う。

444 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 21:41:06.99 ID:zrs0lbpQ
眼前=正師です
業も功徳も生活も人生も全てこれです
逃げることなく懸命に生ききるとき
実行段階においてこれの上にあります

445 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 21:42:07.08 ID:RZzChAbB
業とか別に気にしなくていい。
気になるならそれは心の引っ掛かり。
何かある。

446 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 21:42:34.42 ID:zrs0lbpQ
蛇足でした
あとは正師=自分にきいてください

447 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 21:44:37.13 ID:zrs0lbpQ
眼前=正師=自分

448 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 21:47:01.39 ID:DaOqCmm6
なるほど!
さすが仏教!!!!
感動しました、これが聞きたかった。

449 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 21:48:13.03 ID:RLxzT/Wq
>>431
道元さんはいいね。釈迦より悟りがはるかに深い。釈迦のような精神病理がない
健常者。

釈迦は、「さらに」の後のことばかり言ってる感じ。

450 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 21:49:57.59 ID:RZzChAbB
ウソ・偽りはダメ
かどうかわからんが、俺は本能的に避けてる
怒りはダメ
安寧と対極。怒りを抑えることができる人は安寧に近い。釈迦の言の通り。

451 :コレ悟りかよ!?w:2014/05/07(水) 22:06:18.26 ID:d7CPVU6+
>>450
いや、怒ってもいいときは、素直に怒っていいですよ。
怒りを抑えると逆にストレスになりますよ。
ハゲます。

452 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 22:10:33.18 ID:DaOqCmm6
人生は贈り物、の、ほんとうの意味がわかった。。。
これ、ほんとに、素晴らしいです。
あとは自分次第なのですね。
がんばって生きていきます。

453 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 22:18:50.66 ID:RZzChAbB
>>451
いや、怒りについてはこればっかりはいいきれる。
あとはオナニーしようが、腹一杯食おうが関係ない。
が、貪りはダメかもしれんなぁ。適度適量で。

454 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 22:33:48.12 ID:Nk7cILXA
http://img.2ch.net/ico/nida.gif
EU、日本に「人権条項」要求=侵害なら経済連携協定停止

欧州連合(EU)と日本が、貿易自由化に向けた経済連携協定(EPA)と同時並行で締結交渉を行っている戦略的パートナーシップ協定(SPA)に、
日本で人権侵害や民主主義に反する事態が起きた場合、EPAを停止できるとの「人権条項」を設けるようEUが主張していることが5日、分かった。
日本は猛反発しており、EPAをめぐる一連の交渉で今後の大きな懸案になりそうだ。
EU当局者によると、EUはSPAに民主主義の原則や人権、法の支配の尊重を明記し、日本が違反した場合、EUがEPAを停止できる仕組みを
盛り込む方針を内部決定した。日本に対しては、EUで人権侵害が起きれば日本もEPAを停止できると説明、理解を求めている。
経済的利益と引き換えに民主化を迫るのは、開発途上国や新興国に対するEUの基本戦略。人権条項は第三国との協定で「不可欠の要素」とされ、
対日SPAも、こうしたEU外交の延長線上にある。ただ、EUは米国との自由貿易協定(FTA)交渉では、SPAのような政治協定の締結を求めていない。
EU当局者は、日本に対して人権条項が発動される事態は考えにくいと強調するが、EUは日本で死刑が執行されるたびに
「死刑は残酷で非人道的だ」と批判する声明を発表している。死刑廃止を目指すEUが日本に働き掛けを強める上で、人権条項が無言の圧力になる可能性はある。
日本に人権条項をのませておけば、EUが将来中国とFTA交渉を行う場合、人権条項の要求を通しやすくなるとの思惑もあるようだ。 
日本は、もともと途上国向けの政策を先進7カ国(G7)メンバーの日本に適用しようとするEUの姿勢に憤慨しており、
SPAがEPAを拘束する仕組みについても、法的に疑問が残ると主張。日本は外国との貿易自由化でSPAのような協定を結んだ例が過去になく、
交渉段階でEUの主張を受け入れても、内閣法制局の審査で問題になる可能性があるとの懸念もEU側に伝えている。
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2014050500353

455 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 22:36:15.94 ID:YOqAVgEp
>>425
>釈尊は増上慢のものや凡愚のものに甚深微妙の法を説明し切れないと思った

自己批判、乙!w
ホント、苦笑しかない「増上慢」雑文だわな。
ことばの端々に「増上慢」だの「愚者」だの「愚か」だのの見下し増上慢をにじませる。
その心情は卑しいとしかいいようがない。
これが二項相対で自称「悟った」と思っているお方の雑文ですw

仏法には「甚深微妙」(相応部6-1)であるわけがない。
お解りにはならないでしょうがw

456 :コレ悟りかよ!?w:2014/05/07(水) 23:21:53.26 ID:d7CPVU6+
>>453
いや、こいつは怒らない大人しい奴だと思われたら、そこに付込むイヤラシイ輩がいるんですよ。
いわゆる舐められるんです。

それじゃイカんのです!みんな怒れ!・・・寝ます。

457 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 23:29:59.22 ID:B93qJsWS
449
>道元さんはいいね。釈迦より悟りがはるかに深い。釈迦のような精神病理がない
健常者。

あなた正法眼蔵読んだことある?

458 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 23:39:18.69 ID:iXHIp0BY
>>427
>八不とは勝義だ。八不に物質があるかな?

要するに物質とは抽象度を最高にして観れば何かな?
抽象度を最高に観た”それ”を表現してるのが八不だよ
否定するのは構わんがそれは勝義を否定する事と同じだから
お前の智慧もそれまでだ、それは私の所為ではない、お前の問題だ

>>455
因果律の真実を解らなかったお前の出る幕も既に無い

459 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 23:48:46.10 ID:fBEbaGoY
>>456
悟ったら怒れなくなるはずなんだけど。

怒れなくとも叱ること導くことはできる。
舐められるのは怒らないからというのは短絡杉

460 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 23:55:18.86 ID:YOqAVgEp
>>458
>因果律の真実

縁起の相対間接現実での言語ゲームさw
真実なるものは相対仮説相でしか成立しない。

>お前の出る幕も既に無い

相変わらずのモノマネ・インチキ・ペンキ屋だなw
レス番を特定せよ。

しかし、たしかにもうそろそろ卑しい心情の増上慢アホ相手は「卒業」させてもらおうかなw

461 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 23:59:27.80 ID:iXHIp0BY
もう一つ、このスレで度々起こる事物に対しての「有る・無し」論争
実際の、例えば目の前に置いたコップは有るのか否か

・有る
・無い
・目の前に有ると思えば有る、無いと思えば無い
・有るでも無いでもどちらでもない

これらは四句分別なのだが
閻魔はこれに対し大抵言うのが「非有非無の如し」で上記の四番目の様なのだと強弁する
彼はそれを正しいと思っているのだが、仏法ではそれも間違いとなる
閻魔が推す非有非無の如しでは世法のままなのだ
彼にはそれが全然理解出来ない、彼は仏法者でも修行者でもないのかも知れない

出世間の境地に於いて、この世界の実なる姿(実相)は「常楽我浄」なのである
これが言えない彼は破仏法そのものである
非有非無の如しでは常楽我浄に反するのである

462 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 00:02:41.40 ID:bY7xRGnx
>>460
>縁起の相対間接現実

で、因果を観るとどう観えるのか書いてみw

463 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 00:23:41.44 ID:bY7xRGnx
閻魔、論争はもうやめよう、だから種明かししてやる

四句に目を付けたお前は正しかった、しかし四句は人智の範囲内に過ぎずそpれは答えじゃないんだ
仏法出世間の見解は四句を超越し、実なる姿を観る、それが悟りであり遠塵離垢の法眼で観る見解となる
無分別の単語の意味をお前なら正しく理解できてるだろ、無分別の境地とは、人が智慧によって
物の如く全ての分別を失った境地を体感で得ることを言っている、お前の得意な「一切の思いを滅する」と言うあれだ
その状態では、この世界の事物はマジに「常楽我浄」として観える
無常は永遠だ、苦は皆無だから楽だ、事物は実在している、そして汚れなどどこにも無い
これらを願うのも心、上記を否定するのも人の心、行いも基点は全て人の思いからだ
それらが現実に苦を起こす、そこから解脱した時、人は物質(物)としての本姓で
この世界を如実知見する、そこで見える世界の実なる姿こそが常楽我浄と観える
それは座禅瞑想で得られる智慧によって可能であり、智慧とは一切の雑念を払った
自分の即物的な頭脳思考全部のこととなる、それで智と慧を満たすと頭の
思考テーブルは一端空っぽになる、それこそが般若の正体なのだよ
楽とは一切の憂い(苦)が無い事と同じように、智慧とは一切の妄想や不要な思考が滅してる頭脳の事を言っている

まあ、否定するのは自由だがね

464 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 00:23:59.88 ID:x2C88ifM
>>458
>>427
> >八不とは勝義だ。八不に物質があるかな?
> 要するに物質とは抽象度を最高にして観れば何かな?
> 抽象度を最高に観た”それ”を表現してるのが八不だよ
> 否定するのは構わんがそれは勝義を否定する事と同じだから


八 不 と は 勝 義 だ。
八 不 に 物 質 が あ る か な ? w w
話をスライドするしか能がないのかな?それが智慧かな?

465 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 00:26:24.75 ID:ZyWl5t9H
因果は確率的である

466 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 00:34:43.21 ID:bY7xRGnx
>>464
物質も結局最上位の抽象度で観れば「現象」だろ、仮和合してる現象が物質なだけだ
現象とは縁起の事だ、縁起する、とは現象そのものだ

故に、現象を八不に照らしてみよ

この世界はお前の様な有情風情が天下を取ったかの様に驕り高ぶって増上慢に見ているが
有情の割合などこの世界ではマイノリティに過ぎず、この世界の天下は常に「非情」なのだ
それに気付けないお前の様な奴の事を身の程を弁えない愚人と言うんだよ

467 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 00:35:02.21 ID:PZ1LKpqD
結論 
悟り=薬中

468 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 00:53:19.00 ID:bY7xRGnx
>>464
もう一つ教えてやる
勝義の内容は言葉に出来ない、彼是勝義について説明する事は可能だがそれは全て世俗義に化ける
何故なら、勝義を本分とする世界=涅槃には、思いも言語そのものも有り得ないから
だから言葉に出来ないのだ
俄かに信じられないならお前の眼前にコップを置いて、そのコップが何語を話すか確認してみろ
それが涅槃の事実なのであり、娑婆世界に於ける諸法無我の事実でもある

469 :アンドリュース:2014/05/08(木) 00:59:55.54 ID:nJFm6nsM
コップ語だろwww

470 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 01:04:21.06 ID:bY7xRGnx
いや、人がコップと呼んでるだけだから何語かは解らんがなw
音波にならないのかも知れないし、会話は舐めて行うのかもしれないし
コップにならなきゃ解らん罠

471 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 01:14:41.85 ID:c6xTLjTD
Senno Rikyu Honkakubou Ibun - 1:48:28
http://www.youtube.com/watch?v=UjUhStSxK6Q

472 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 01:40:28.45 ID:M6qPo/dL
韓国人女性「これが募集してた工員なの?なんか犯されてるよぉ…」←これが慰安婦問題
http://fox.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1399474001/

473 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 02:12:32.73 ID:4XoJgin/
> 何でしたっけ?、人間が現象とかいいましたっけ?
> というか仮称なんてなんだっていいやん。
> 猫とは猫。存在はしてるが、意味なんかないよ。


いや、あなたが>>380で「人間とは何かと問われ云々」と書いたから、それは「人間は現象に含まれる」とは言ってるけど「人間とはイコール何か?」という問いへの答えではないよね、って言ったの。

474 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 02:15:41.23 ID:x2C88ifM
> 物質も結局最上位の抽象度で観れば「現象」だろ、仮和合してる現象が物質なだけだ
> 現象とは縁起の事だ、縁起する、とは現象そのものだ

お前は八不を固定的に見始めているに過ぎぬな。其は有部の法の体系化に近い。
八不八不八不八不八不八不八不ww抽象抽象抽象抽象抽象抽象抽象ww

> 故に、現象を八不に照らしてみよ

抽象化して拘る。法体恒有である。『物質』や数値を 知 覚 す る バカはいない。
物質とはお前の拘りを意味する。
八不は物理や自然哲学の定式化に非ず。

> この世界はお前の様な有情風情が天下を取ったかの様に驕り高ぶって増上慢に見ているが
> 有情の割合などこの世界ではマイノリティに過ぎず、この世界の天下は常に「非情」なのだ
> それに気付けないお前の様な奴の事を身の程を弁えない愚人と言うんだよ

呵呵
鏡に向かって言え。頓馬。
過去のお前に説法せよ。

> もう一つ教えてやる
> 勝義の内容は言葉に出来ない、彼是勝義について説明する事は可能だがそれは全て世俗義に化ける
> 何故なら、勝義を本分とする世界=涅槃には、思いも言語そのものも有り得ないから
> だから言葉に出来ないのだ

己以下の読解力の園児にでも説教してろ、消防。

475 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 02:21:08.06 ID:4XoJgin/
>>406
> 真の解脱は現在のあらゆる宗教(含同門)とその信者にとって敵対対象になると思われる
> 真に解脱を果たすと、一切の教団が不要となる故に
> 外道はともかく、同門は相当焦って反論や非難、心象操作をしてくる事は明白かと思う

外道はともかく、と言うが外道には尚更じゃないかな
西洋哲学からも悟りに至ることができると言ったら必死で噛み付いてきた阿呆がいましたよ。最後は捨て台詞置いて逃げちゃったけどwww

476 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 03:07:56.30 ID:4XoJgin/
>>468
>お前の眼前にコップを置いて、そのコップが何語を話すか確認してみろ

またやってるのかwww

477 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 03:22:59.36 ID:g7B+gNTW
>>474
>八不は物理や自然哲学の定式化に非ず。

物理も自然哲学とやらも道理に違いない
そして仏法は無我にして而も道理に相違なく候

478 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 03:30:04.32 ID:g7B+gNTW
>>475
西洋哲学に涅槃に於ける出世間・無分別の境地が解明出来るなら或いは可能でしょう
しかし、そんな理論は聞いた事がありませんな
あるなら教えてください

479 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 03:43:05.94 ID:c6xTLjTD
Senno Rikyu Honkakubou Ibun - 1:48:28
http://www.youtube.com/watch?v=UjUhStSxK6Q
禅 (道元禅師) + 日本語字幕 - 2:06:20
http://www.youtube.com/watch?v=PcoNpB4zG3o
The Bloody History of China - CIA Cold War (1967) - 1:17:54
http://www.youtube.com/watch?v=uTksmlZ0FPQ
Chinese Military Parade - The largest military force in the World - 1:11:04
http://www.youtube.com/watch?v=zVhzu7iIgtY
.North Korea 2013 Military & Civilian Parade ? 2:27:01
http://www.youtube.com/watch?v=Pk1hQCNwtrU
Russian Army Parade Victory Day, 2012 - 1:03:21
http://www.youtube.com/watch?v=9CKJEpfawCI
.Buddha (In English) 釈迦 (映画) .- 2:35:17
http://www.youtube.com/watch?v=Z1mdClZoqLw
世界行ってみたらホントはこんなトコだった! (NEPAL) 2013 -11 -06 - 48:09
http://www.youtube.com/watch?v=7IOmHHBbhbA
.世界行ってみたらホントはこんなトコだった! ネパール (NEPAL) 後編 - 48:08
http://www.youtube.com/watch?v=TaT9ElD8aSg
.ネパールの旅 2012年10月 - 38:34
http://www.youtube.com/watch?v=m-trZgBI3No
.Buddha (In English) 釈迦 (映画) .- 2:35:17
http://www.youtube.com/watch?v=Z1mdClZoqLw
KABAN - 1;42:51 地盤、看板、カバン。カバンとはかね。軍資金、買収資金のことで、民度が測れる。
http://www.youtube.com/watch?v=6Yge1CU9fLE
.Yoso 妖僧 (Japanese, 1963 - 1:37:56
http://www.youtube.com/watch?v=WoAQh9bacFI
.Das letzte U-Boot (U 234 - Hitlers Letztes U-Boot) - 1:39:52
http://www.youtube.com/watch?v=Mvszr00dtv0
49th parallel (1941) - 1:56:47
http://www.youtube.com/watch?v=P3HrDhTZOrw
.Battlefield S6/E3 - The War Against the U-boats - 1:39:41
http://www.youtube.com/watch?v=iHY1M2TkSro

480 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 03:44:20.44 ID:c6xTLjTD
.Battlefield S6/E4 - Destination Okinawa - 1:44:06
http://www.youtube.com/watch?v=zrQa8jxAI-A
.Japan's War in Colour (Complete Documentary) - 1:34:46
http://www.youtube.com/watch?v=-EsW_uvnSao
天皇・皇后と日清戦争 - 2:00:51
http://www.youtube.com/watch?v=l0pDIPsD_ZY
The Bloody History of China - CIA Cold War (1967) - 1:17:54
http://www.youtube.com/watch?v=uTksmlZ0FPQ
Chinese Military Parade - The largest military force in the World - 1:11:04
http://www.youtube.com/watch?v=zVhzu7iIgtY
.Before You Die, Think Of Me (2008) Antes de morir piensa en mi [Spanish movie] - 1:33:08
http://www.youtube.com/watch?v=0vbQre447y0
田園に死す Pastoral: To die in the country (1974) (English subs), - 1:40:53
http://www.youtube.com/watch?v=MThQ8kQHEyg
The Ceremony.aka.Gishiki.Nagisa Oshima.1971. - 2:02:38
http://www.youtube.com/watch?v=-VERrnsEWqc
男はつらいよ 第1作 光本幸子 (昭和44年1月) - 1:31:31
http://www.youtube.com/watch?v=4u0v2kUP8z4
.Before You Die, Think Of Me (2008) Antes de morir piensa en mi [Spanish movie] - 1:33:08
http://www.youtube.com/watch?v=0vbQre447y0
緋牡丹博徒 お命頂きます - 1:32:53
http://www.youtube.com/watch?v=g4-7ptEdsVA
昭和残侠伝 死んで貰います 高倉健 - 1:32:09
http://www.youtube.com/watch?v=adMgFTbIOQ4
神々の深き欲望 - 2:53:25
http://www.youtube.com/watch?v=-VvYuNuDPOk

481 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 06:08:34.86 ID:7921tJhO
385 :神も仏も名無しさん:2014/05/07(水) 11:36:27.47 ID:QzZK7E0z
仏教は何も人をスーパーマンにはしないよ



いい判断だ。

482 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 06:54:16.34 ID:2OSMKeSk
悟りの段階とその状態については四向四果でググッてみるといいかも。

483 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 07:23:42.83 ID:4XoJgin/
>>478
ポスト構造主義にその可能性があると思うよ。
既に西洋哲学においてイデアへの執着は克服され無我は得られている。
反証主義から諸行無常を導くのは容易であり、
神の死と唯物論は必然的に輪廻を見出だし、
構造主義は縁起ゆえに色⇔空に至る。
さらに構造そのものにデリダは無常を、ドゥルーズは無我を確認し、
そこに至って無分別は導かれる。
既に西洋哲学から中観は示すことができる。
そこに現象学の系譜である実存主義が止揚したなら唯識にも通じる。

んじゃないだろうか。反論あったらお願い。

ところで、永劫回帰にニーチェは苦を見出だしたが、西洋哲学は必ずしも輪廻を苦と捉えないから、解脱を目的とした宗教でなく純粋な如実知見の科学としての存在論⇔認識論であり、
その意味では西洋哲学を学ぶ者は仏教に救いを求める者よりも既に涅槃寂静に近いと言うことすら可能かもしれない。

484 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 07:47:12.38 ID:5q7Hn6G6
誰も口に出さないから俺が言うけど、
人間として避けられない運命というものがある。
だから、依存するものは何もないわけだけどけど、
いざとなりゃ運命に身をゆだねりゃそれでいいわけさ。
スッタニパータの始めの蛇の章がいい感じにあらわしてる。
一切の虚妄の大部分は宗教についてと思う。あとは自分の虚飾かな?
諦めの境地て感覚も近い。
あとイメージしてた静寂とは反対でごちゃごちゃした感じ。
しかし心地よく自分が消えていく。
智慧は何もなしw
方向性を掴んだだけかもだが、基本的には釈迦路線でいいが、
信に足る要素には拘ったほうがいい。
あとはだいたいとか、アバウトとか、適当でいいのよ。

485 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 07:47:55.52 ID:4XoJgin/
で、>>483的な理由で
すなわち仏教にすがり苦を滅しようとする人よりも、科学として西洋哲学を学ぶ人が既に如実知見の状態にあり得ることへの焦りが、
このスレの生臭坊主をして手品師まがいのペテンをさらさしめたり他人を必死で増上慢呼ばわりする増上慢となす原因になっているのではないか、と推測するわけです^^

486 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 07:58:35.44 ID:5q7Hn6G6
言葉にあえてするなら安寧の境地が一番ピッタリくる。

487 :癒されない奴:2014/05/08(木) 08:39:49.08 ID:m4w/S283
>>461>>463>>468

全面却下
ホント、できの悪い奴だなw
『一切の執着を脱せんがために、ブッダによって空が説かれた。
 しかるに人がもしも空見をいだくならば、ブッダはその人々を「癒されない人」と呼んだのである。』(中論13-8)

相変わらず、結局この流れは対象化と相対理解の成りすまし範囲に留まっている (>>351)。
「如実知見」と言おうが、「智慧」と言おうが、「常楽我浄」と言おうがw
「常楽我浄」は中道ではない。

ブッダやナーガールジュナの<示唆>を直覚できていない。
ナーガールジュナの「否定論証」のなんたるかがまるでつかめていない。

ホント、苦笑しかない「増上慢」雑文だな。
「癒されない人」だから、ことばの端々に「増上慢」だの「愚者」だの「愚か」だのの見下し増上慢をにじませる。
その心情は実に卑しいとしかいいようがない。(>>455

>因果を観るとどう観えるのか

勝義では<非因非果の如し>
四句第4を使った比喩で隔靴掻痒に、示唆するしかない。
その他、動作、気合音、無視、・・・・

世俗において<因⇔果>と見えるw
因果関係とは原因⇔結果という相対有意味解釈関係=「想い」(Sn.1072)だからだよ。
還滅現実では<因即果>だ。

上記は第一義空経の咀嚼による。

488 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 09:26:50.02 ID:4XoJgin/
>>487
> 世俗において<因⇔果>と見えるw
> 因果関係とは原因⇔結果という相対有意味解釈関係=「想い」(Sn.1072)だからだよ。
> 還滅現実では<因即果>だ。

「<因>⇔<果>」ではなく<因⇔果>ゆえに<因果>だ
と書いた方が凡夫の誤解を招かずにすむと思う。

489 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 09:58:07.38 ID:93S0aiTy
362 :ベゲザン:2014/05/07(水) 04:37:07.79 ID:1hAJRy/q
人間は悲劇と喜劇を生むに過ぎない。底流には人間であることの
物悲しい語りが下水道のように流れている。
死は一様の終着点だ。生を語るよりいずれやってくる死を語る。
仏教の底流はそれに過ぎない。安寧に執着し、生を語り、自我を
膨らませ、膨らんだ自我が風船のように割れた割られたからといって
感情を害した害されたという。それは仏教ではない。

490 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 10:11:54.59 ID:4XoJgin/
>>478
>>475
> 西洋哲学に涅槃に於ける出世間・無分別の境地が解明出来るなら或いは可能でしょう


>>483に示したように、西洋哲学の科学的な態度が既に如実知見を得ているとするならば、
それは滅苦に執着した中途坊主の態度に比して、
執着を離れた純粋知覚「正見」にあるのであり、既に「出世間知」が前提されている。
その部分では西洋哲学の科学志向はイデアを克服するまでが長かったが、克服したらすぐ涅槃に追い付くところまでは成熟していたんじゃないだろうか。
しかも、近代以前の西洋哲学のあり方はイデアの拘束による煩悶の歴史だったから、そこで批判的に熟成されたものが、解放された瞬間に飛躍的に昇華したんじゃないかな。
他方、仏教が葬式仏教始め形骸化する中で仏教の側に不純なもの(本来、「不純⇔純」も無いので、正確には分かりにくいもの)が入り込んで来たことを考えれば、
現代西洋哲学を侮ることはできないだろうと思う。
科学的な態度が如実知見なんだから。それを有している現代西洋哲学は、いまや「無分別」に至ること容易だと思うよ。

仏陀が独走していたところに龍樹が現れ並走し、西洋哲学も随分遅れたけど並走しようとしてる、と私は思いますね。

491 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/05/08(木) 10:30:45.17 ID:hFCD2YZe
>>483
>ところで、永劫回帰にニーチェは苦を見出だしたが

書き込みのパーツを切り取って書き込みします。

ニーチェは苦を見出したのかな?私はそういうふうに解釈してないもんだから私見を書きたい。
しかし、ニーチェに関しては「これが正しい」ってのは勿論ない。
その人の受け止め方だから、人それぞれに違って当然。

西洋哲学の唯物論とか唯心論とか、あるいはドイツ観念論とかの系譜をたどりながら、
ある意味において西洋哲学がいき詰まったところにニーチェが登場する。

彼の主張というのは、そういった西洋哲学そのものの全否定を主張したかったんじゃないかな?
つまり人間というモチーフについて、そこに何らかの意味付与すること自体の馬鹿馬鹿しさなんだね。
それがニーチェの虚無だ。しかしこの虚無というのをニーチェはけして負の意味では主張してない。

この意味付与についての全否定というのが、中論と非常に類似するところがあって、
それでニーチェと仏教を関連つける者も多い。

つまりニーチェも仏教も「無」という否定なるものにこそ本義がある。
ようするに否定をすることにおける肯定こそがその本懐であって、
この主張によって西洋哲学は殆ど終焉を迎える。

492 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 10:46:24.44 ID:UUV50yyY
西洋哲学が息詰まったってのはニーチェ信者の一方的な解釈だよ。
今でもキリストのほうが普遍性はある。
ニーチェはヨーロッパでは底辺向けの哲学もどきだと軽蔑されてるのを知らないのかい?

493 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/05/08(木) 11:08:11.28 ID:hFCD2YZe
>>492
>今でもキリストのほうが普遍性はある。

キリストが普遍性があっても、普遍性がなくても、それが永劫に続く。
ってニーチェは主張してるんだよ。

つまり「終わりがない」。
終わりがないなら、普遍性があっても、普遍性がなくても同じことじゃないか。
ってことをニーチェは言ってるのですね。

人間というのはユートピアを想像したりする。
しかしもっと現実的に人が考えたとき、それは見事に崩壊してしまうものなんだよ。
もっと思慮深く人生というのを人が見つめ直すとき、人はこう言うであろう。
「私はなんと欺瞞に包まれていたのだろうか、私は恥ずかしいということを今知った」。と

494 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 11:36:04.85 ID:7921tJhO
机も偽りに満ちた書き込みの日々を主の御前で懺悔したほうがいいぞw

495 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 12:09:35.17 ID:Y6s11Gps
西日本短期大学には、一般人の現金や貸与物品をネコババする准教授がいるらしい。
短大当局は、それを通告されても隠蔽工作しているみたい。

自分の学校の自浄化に立ち上がろうという学生はいないのか?

詳しくは、
一山幸子 被害者の会
で、検索すると良いらしい。

496 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 13:24:21.95 ID:93S0aiTy
空論者に用意されている落とし穴 〜 増長慢
 
悟りにおいては「空」を洞察することが欠かせない。
しかし、世間を空であると観じることは、世間でしか生きられない以上、
自分自身が空であることも意味している。
自分が空であること、無であることに同意する人間は通常いない。
自分には生きる価値があると思うから生きている。
では空論者は、自分の、いったいどこに価値を見出すのだろうか。
 
かれらは、空であることと、生きる価値という矛盾を解消してくれる、
「空という真理に通じたこと」に存在意義を見出す。

497 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 13:26:54.65 ID:93S0aiTy
空論者に「増長慢をやめろ」と言っているのではない。
むしろ逆、増長や慢心、おおいにけっこう。
そうやって、いずれ破綻することで無明を突破でき、悟りが可能になる。
悟りとはそういったものなのですね。
 
空と言うのは、苦楽を相対化し、心に余裕を作ってくれる。
その余裕で、空を世間で実践すればいい。
世間では空など通用しないから、何年もしないうちに必ず破綻する。
そうしたら念願の「真の悟り」に到達できる。
それでも悟りたいか。そう思うなら、本当に悟ってしまうだろう。

498 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 14:36:23.36 ID:u8CeyFD/
>>485
>このスレの生臭坊主をして手品師まがいのペテンをさらさしめたり
>他人を必死で増上慢呼ばわりする増上慢となす原因になっているのではないか

無分別の境地に増上慢は有り得ず、それを指摘されたからと言って怒りも有り得ません
意味が無いからやめろ、と指摘してるに過ぎないのです
「完全なる安心」とは涅槃に於ける無分別の境地以外に無く
それは簡単に言うなら「路傍の石ころの境地」の事となります
「何も思う事が無い」故に「何も望む事は無い」、だから「何でも良い、どうでもいい」、無我故に
是に尽きるのです

自尊心も煩悩です、それを否定はしませんが、それは悟りには至れません
悟りを語りたいなら仏道しかなく、西洋哲学では無理なのです
西洋哲学には「自他分別を取り払った境地の考察」すら出来ていない
それじゃ一切無理なのです

499 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 14:43:28.35 ID:5wnj4eg0
>>483 >>485 >>488 >>490 (ID:4XoJgin/)

同意、鋭いですね。

その話しの中で、部分的に切り取ってニーチェに関しての意見が出ているようだから、
私も意見しておくことにする。

500 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 14:47:06.61 ID:u8CeyFD/
>>497
>世間では空など通用しないから、何年もしないうちに必ず破綻する。

空とは実相に於ける状態を言っているので破綻は有り得ません
世間も空、通用も空、年も何年も空、必ずも空、破綻も空なので
勿論空も空です、事物事象には固定した実体が無いので全て空なのです
あなたの彼女の気持ちも空です、彼女も空、そして自分も空なのです
この世界自体が空なのですから破綻したら困っちゃいますよ、逃げ場有りませんからw

501 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 14:48:03.42 ID:u8CeyFD/
>>499
自画自賛も煩悩ですよ

502 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 14:55:04.75 ID:ts61Vwie
このスレは自意識過剰ばかりが集ってて、自分の意見に賛同して欲しい奴が多い
賛同して貰いたい奴はこのスレの現実を解ってないから、スルーされる事に我慢がならない
このスレではつまんないどうでも良いレスはバカにされてスルーされる
ちょっと賢そうなレスが付いて気に障るとフルボッコされる
基本的にどんなに正しくても賛同はされない、それがこのスレの普通
だから賛同レスは大抵我慢できない奴の自演なので臭過ぎて目立つ

503 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 15:08:47.52 ID:5wnj4eg0
>>491

>>ところで、永劫回帰にニーチェは苦を見出だしたが (>>483)

>ニーチェは苦を見出したのかな?私はそういうふうに解釈してないもんだから私見を書きたい。

目標も理想もない、苦難が何度来ようが、受け入れ生を肯定する。
しかし、そこまで到達したとして、
ここから、目標も意味も理想もないので終わりが無い状態が
浮上してくるのだ。

それを繰り返すことを「永劫回帰」を生き続けると言ったのだよ。

すなわち、「永劫回帰」にニーチェは苦を見出し、
その苦に対して「力への意志」「超人」なのだよ。
この一連、何か思い出さないか、そう仏教の混乱を。

504 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 15:20:22.92 ID:5wnj4eg0
(ID:4XoJgin/) 氏へ。

賛同して、貴殿に迷惑をかけたかな。

実際自画自賛する者がこのスレでは多いのか知らんが、

キチガイが騒いでおるな。 クワバラじゃwwwww

・・・・

さてニーチェの続きをいこう(笑)

505 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 15:36:45.97 ID:5wnj4eg0
>>491
>彼の主張というのは、そういった西洋哲学そのものの全否定を主張したかったんじゃないかな?
>つまり人間というモチーフについて、そこに何らかの意味付与すること自体の馬鹿馬鹿しさなんだね。
>それがニーチェの虚無だ。しかしこの虚無というのをニーチェはけして負の意味では主張してない。

キリスト教であれ、近代哲学であれ、理想であり、その理想の為に抑圧的、禁欲的であったり、
おまけにそれが行き着いた先は、その理想が、不可能だということに思い至った人達には、
あまりにクワバラな絶望感ではないか、なら虚無に陥るしかないであろう。

ニーチェは虚無を負の意味で用いているのだよ。

506 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 15:37:33.03 ID:wdT9SBnj
ニーチェは賢くなりたいメンヘラが必ず通る道

507 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 16:11:28.09 ID:u8CeyFD/
この世界には、覚者として釈尊が実在した為、教えは一つの系統しか存在できない
この事実を「始覚」と言い、この人を始覚者と言う、この後に何人覚者が出ようが
釈尊の教えの影響は免れない為、悟れたら全て釈尊教説配下の声聞となる
始覚の教えが残ってるうちは、どこかでヒントを耳にしてしまう事も免れないので
独覚も有り得ない

独覚は、もし始覚が現れていなかったなら何人でも登場可能である
何故なら独覚は教えを説かず、配下に声聞を作らない為、その悟りは
永遠に秘密のままなので、他に独覚が現れても干渉は起こらず何人でも存在できる
その代わり利他も行わない

始覚は教えを説くので声聞を生み、声聞は更に声聞を生むのでこれが仏教の流れになる
声聞は何人でも存在でき、本来なら始覚の教えは一人の一つだけなので干渉しない

今の世界の始覚は釈迦牟尼世尊ただ一人なので、別の始覚者は存在できない
始覚者が教えを説いた時点で全ての人は声聞となる為である
独覚志向はこれを嫌い攻撃したがる、しかしヒントを聞いてしまってるので独覚にはなれない

508 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/05/08(木) 16:17:12.25 ID:hFCD2YZe
>>503
> 目標も理想もない、苦難が何度来ようが、受け入れ生を肯定する。

全てを受容する。これはあたかも禅師そのものの生き方ではないか。
ここに仏教の本懐を私は見るのであります。

> 目標も理想もない、苦難が何度来ようが、受け入れ生を肯定する。

いやいや仏教の混乱どころか、まさに仏教と言っていい。

実はニーチェというのは、いろいろな捉え方がある。というか、
人間の成長にしたがって、それは自分のアイデンティティーとも関連してくる。

セブン氏に習って例え話で説明すると、
映画の「エデンの東」は青春期と中年と晩年期では、まったくその印象が違うだろう?
@ジェームス・ディーン側で観るのが青春期。
A中年になると、今度は親の立場や、兄弟関係で観るようになる。
Bそして晩年期になると、そういった人間関係とは別サイドの視点も加わってくる。

つまりニーチェの虚無というのは、絶対否定においての絶対肯定を意味している。
これは鈴木大拙の「即非の論理」と同質なもので、
おそらくニーチェは仏教の影響を受けてるだろうと推測する。

509 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 16:24:52.53 ID:4XoJgin/
>>498
> 無分別の境地に増上慢は有り得ず、

では、生臭坊主諸兄は無分別の境地に至っていないというだけのことじゃないでしょうか。

> 悟りを語りたいなら仏道しかなく、西洋哲学では無理なのです
> 西洋哲学には「自他分別を取り払った境地の考察」すら出来ていない

これは単なる決めつけでしょう。西洋哲学がイデアから離れ縁起に至ったのは事実ですよ

510 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 16:45:21.50 ID:4XoJgin/
>>504
> (ID:4XoJgin/) 氏へ。

> 賛同して、貴殿に迷惑をかけたかな。

根拠の無い自演認定するやつは如実知見に至っていない凡俗の輩だから気にしていませんよ。ニュー速で慣れてるしwww
賛同とご憂慮ありがとうございます

511 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 16:49:25.74 ID:5wnj4eg0
>>493
つまり、ユートピアの崩壊は虚無をもたらすが、それを乗り越えるのは
「力への意志」「超人」であるとしたのだ。

しかし、何の意味もないこの世界であっても、現実を肯定し自分の意味を見出す(力への意志を持って、
超人となる)、これが簡単に出来ようか?
この難題、世界に真理が無くとも、それでも自分という個人だけで価値と真理を見出せというのだ。

ならば、その感性は自分の思うままに自由に生き、自己を実現することに貪欲であれ、
のニーチェの発言にファシストや犯罪者が
個人の価値と真理で実現する。
ニタニタを実現したのだよ、机君。

神は死んだというのは、社会の問題提起だとしても、
個人的な詩はそこに収斂されるはずはない。
ニーチェ自身が、
最も抑圧的で、神は死んだという宣言において
自分まで殺すことになった。

すなわちファシストが二−チェを根拠にできたわけだ。

512 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 17:05:21.40 ID:ZeKYJHnO
>>507
仏教があったのは釈尊誕生以前のはなしで、教えが完成(涅槃完成)したのは釈尊死後のはなし、唯一の存在と言われているのは、煩悩を捨てる事ができた人として
書物や言い伝えに記録がないだけで釈尊超える化け物がいた確率はなきにしもあらず

513 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 17:40:01.02 ID:u8CeyFD/
>>512
>仏教があったのは釈尊誕生以前のはなしで

それは仏教ではなくてウパニシャッド哲学とかベーダ経典の教えとかね
仏教自体は釈迦以前に存在して居ない、仏と言う用語は有ったらしいが教えは説いて居ない

514 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/05/08(木) 17:42:02.88 ID:hFCD2YZe
>>511
>この難題、世界に真理が無くとも、それでも自分という個人だけで価値と真理を見出せというのだ。

なにもニーチェは価値とか真理を見出せ、などとは全く言ってないのでして、
むしろ価値とか真理を見出そうとする人間の愚かさに気づけ。ってことですよ。

ニーチェの思想というのは、初期の段階ですと、何をニーチェが主張したいのか?全く意味不明です。
だからニーチェの評価は様々です。
つうか、殆どは初期の段階で馬鹿馬鹿しくなるのが普通です。
だから、ニーチェに関する論議ってのは噛み合うことはあまりない。

つまり先入観の問題です。
前提として、キリスト教とかの人間は殆ど意味不明です。
つうか、ニーチェはアンチの立場ですから当然でしょうけど、
キリスト教の方は、あまりニーチェは深入りしない方が良いかもしれませんね。
自分の信じる道を歩んだ方が良さげです。

なにしろ、ニーチェを批判しても得るものはない。
むしろ害毒です。

515 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 18:06:44.02 ID:5wnj4eg0
>>514
>なにもニーチェは価値とか真理を見出せ、などとは全く言ってないのでして、
>むしろ価値とか真理を見出そうとする人間の愚かさに気づけ。ってことですよ。

いや、キリスト教の理想価値や近代哲学のヘーゲルやマルクスの矛盾のない社会は
今はなくても、矛盾を解決し、矛盾のない世界はあるはずだとして、
それを目指そうというのに対して、
ニーチェは、矛盾のない世界などない。とするのです。
そして、しかしそうであれば虚無に陥る。
いや陥らない為には、力への意志、超人が出て来る。

机君、実はこれが最も真理であり理想であると
ニーチェは主張している事になるのだ。
それを誤魔化すかのか。

西洋哲学者はそのような誤魔化しは面倒なのでしないのだよ(笑)
ニーチェも望んでいないと思うが(爆笑)

西洋哲学が今となって侮る事ができないと、ID:4XoJgin/氏が述べたのは、

君の様に如実知見できないままにトリックしながら自他を過ごしているうちに、

凌駕していくのだよ、西洋哲学は。

516 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 18:13:46.95 ID:u8CeyFD/
>>515
あなたは如実知見と簡単に言いますが、如実って何だと思ってるんです?
実って何かね?

517 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 18:22:40.95 ID:u8CeyFD/
>ニーチェは、矛盾のない世界などない。とするのです。

と思う事が全ての矛盾を作っていると気付いたのが釈尊その人なんですよ
そして、この世界の実なる姿に矛盾など本当は無い事を明かした
矛盾の原因は「思い」なのであり、その思いを超克すればこの世界は「常楽我浄」であったと

古今東西の釈尊以外の哲学は、絶対者などを立て、人間をこの世界の主人公としたがって全て矛盾を生んでいる

だからダメなんですよ

518 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 18:27:16.89 ID:uBXM+FdS
釈迦はアンチ宗教
どういういきさつで宗教になったかは謎だが、
宗教としての流れをくんだものをどうこう言っても
全部無駄に終わるよ

519 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/05/08(木) 18:35:32.80 ID:hFCD2YZe
>>515
>そして、しかしそうであれば虚無に陥る。
>いや陥らない為には、力への意志、超人が出て来る。

ニーチェ思想というのは、かなり難しいのです。では少々平易に説明してみましょう。

「虚無に陥る」ってのは、全面的否定という想定においての絶対なる肯定をニーチェは主張してるんだよ。
しかしここのところは非常に理解し難い。
普通はこの段階において私の書き込みは意味不明になる。

つまり、虚無を否定的に捉えるか?それとも肯定的に捉えるか?で「超人」の意味あいも全く違ってくるし、
殆どはニーチェというのは誤解された思想になってる。
しかし、ニーチェが哲学としての一級品なのは、それ相応の逸脱した思想だからだ。

貴殿の書き込みは、ただ単なる「虚無」止まりだろ?
虚無だったら誰でも主張できる。
虚無から何を抽出したのか?それを書かねばニーチェを語ちたことにはならない。

520 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 18:36:15.07 ID:u8CeyFD/
>>518
簡単な話です
解脱や悟りの事実を自己で体得できなかった人々が
それでも教えを破りたくないから宗教に変じていった
ただそれだけの事です

キリスト教などの最初から神や神の王国や救済を説く信仰体系とは根本から違うのです

521 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 18:37:13.91 ID:5wnj4eg0
>>516

価値や真理を見出せとは言っていない、
ニーチェは価値や真理を見出そうとする愚かしさに気づけだと、机氏は言った。

しかし、ニーチェは、価値や真理を否定したのではなく、
既成の愚衆が陥る前提的な思い込み
に対する、問題提起であって、
新たな価値をつくる必要があるとしているから、「力への意志」
なのだよ。
それが、ファシストにすぐに利用されるぐらの思いつきであったとしてもだ。

机氏のように価値や真理を見出そうが愚かだと言っているのであれば、
「力への意志」を提案しないのだよ。

ニーチェの思想を見る場合にも、如実知見だ。

そういった基本がぐちゃぐちゃで如実に知見できないうちにも、
西洋哲学者やニーチェでさえ、君らの変態を無視して凌駕するのだ。

522 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 18:39:23.04 ID:u8CeyFD/
>>521
>ニーチェの思想を見る場合にも、如実知見だ

で、実って何ですか?
はぐらかさないで答えなさい

523 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 18:46:45.19 ID:5wnj4eg0
>>522
ここでの話しの展開、机氏のニーチェについて、
私は具体例を出して如実知見について答えている。

答えなさいと、変態のように言いつのるばかりでなく、
質問するのなら、私の如実知見の具体例に対して、
意見してみてはいかがかな。

524 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 18:55:24.21 ID:5wnj4eg0
>>522
君もいいがかりを生きがいにしており、文を読んでいないのか。

まとめておこうか(笑)

机氏は「ニーチェは価値や真理を見出せとは言っていない、その愚かしさに気付けだ」

私は「いや、新たな価値を提案している。ニーチェを如実に知見せよ」

さて、君の意見は。

525 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 18:57:52.95 ID:u8CeyFD/
>>523
いや、あなたは答えてないでしょ
どれが如実知見の実の意味ですか?
大体西洋哲学被れが仏教用語をパクって語って恥ずかしいと思わないんですか?

私から「実」の正論を引き出そうなんてVIPPERみたいな真似は止めなさい

526 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 18:58:13.83 ID:m4w/S283
>>521

全面却下
ホント、できの悪い奴だなw
『一切の執着を脱せんがために、ブッダによって空が説かれた。
 しかるに人がもしも空見をいだくならば、ブッダはその人々を「癒されない人」と呼んだのである。』(中論13-8)

相変わらず、結局この流れは対象化と相対理解の成りすまし範囲に留まっている (>>351)。
「如実知見」と言おうが、「智慧」と言おうが、「常楽我浄」と言おうがw

「常楽我浄」は中道ではない。
 5wnj4eg0のいう「如実の知見」も相対による対象化妄想であって中道ではない。
 龍樹のいわゆる妄想「空見」だ。

ブッダやナーガールジュナの<示唆>を直覚できていない。
ナーガールジュナの「否定論証」のなんたるかがまるでつかめていない。

ホント、苦笑しかない「増上慢」雑文だな。

「癒されない人」だから、ことばの端々に「増上慢」だの「愚者」だの「愚か」だの、見下し増上慢根性をにじませる。
その心情は実に痛々しく卑しいとしかいいようがない。

527 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 19:02:46.13 ID:u8CeyFD/
>>526
>直覚できていない

無分別の境地に直覚など有り得ない
「非有非無の如く」は四句の枠内に過ぎずそれも釈尊の悟りではない
釈尊の悟りを否定すれば破仏法で仏教敵対となるので否定してはならない
それをすれば仏教は為し得ない

528 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 19:09:17.63 ID:uBXM+FdS
運命を悟るじゃまずいのか?
なんだか難しい方向へ方向へと流れとる
そんなたいしたもんじゃなかろ

529 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 19:12:37.88 ID:5wnj4eg0
>>521
いや〜余程できが悪いのだな。

誰と話しているのだ(爆笑)

>>525

ニーチェが言った事と、机氏は違うことを言っている。
複雑なことなら、読解が別れるだろうが、
普通に意見しているのだよ、ニーチェも。

さっき、家に帰ったというぐらいの話しだ。

わからんのか、君が自動車に轢かれ、瀕死状態だとして、

それは、実ではない、とでも言いたいのか、キチガイ。
そんなものは、もはや、仏教でもないだろうよ。

そのレベルの如実知見さえ誤魔化すのだな、キチガイは。

530 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 19:13:26.86 ID:m4w/S283
>>527
>無分別の境地に直覚など有り得ない

おやおや「智慧」とやらのことばを振り回すお方には、
「般若」「照見」=般若智(般若心経)の体得がないらしいw

>「非有非無の如く」は四句の枠内に過ぎず

四句第4のカタチを利用した隔靴掻痒の比喩示唆だと言っている。
中論24-10の<趣旨>参照、
仏は矛盾なきを矛盾のうちに示唆す。

釈尊はなにをも悟られてはいない。
ゆえに釈尊は、いかなる教えも、どこにおいても、誰のためにも説いてはおられない(中論25-24)。

531 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 19:25:46.81 ID:m4w/S283
>>529
>キチガイ。キチガイは。

おやおやw ご立派な覚者サマだことで(爆笑

>そのレベルの如実知見さえ誤魔化すのだな、キチガイは。

無分別智直覚をありえないと言う者に、如実知見はありえない。
したがって5wnj4eg0は成りすましの自称覚者サマですw。

如実とは分別を介さない縁起の直接現実(の如し)=「あるがまま」の謂いだ。
これを無分別智直覚(般若心経にいわゆる「照見」)することを<縁起の現観>

532 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 19:30:29.10 ID:m4w/S283
<縁起の現観>という。

「無分別の境地に直覚など有り得ない 」という成りすましがばれた自称覚者サマには「無理」だす。

533 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 19:33:19.25 ID:uBXM+FdS
まず、なんで智慧なんかに拘るんだろうね?
智慧つけて金儲けでもしたいんかね?
この世の全貌がわかるとでも思ってるのだろうか?

534 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 19:35:37.38 ID:5wnj4eg0
>>531-532
成りすまし自称覚者だと。

自称した事などないが、この変態たわけが。

まったく両腹致しだのう(笑)

535 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 19:38:01.40 ID:x2C88ifM
>>525
> いや、あなたは答えてないでしょ
> どれが如実知見の実の意味ですか?
> 大体西洋哲学被れが仏教用語をパクって語って恥ずかしいと思わないんですか?

> 私から「実」の正論を引き出そうなんてVIPPERみたいな真似は止めなさい

何を言うているのだね、おたくはんは。
山は山、川は川、雲は雲、水溜まりは水溜まり、コップの水はコップの水だ。
一義には一義を、思想には思想をだ。如実は仏教用語でないな。如実は、理非曲直そのまま。
間違ったこと言ってるか?ww

536 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 19:45:42.54 ID:f1OHxeia
>>502
それ、つい最近の傾向だけどなw
中期は雰囲気全然違うから。

537 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 19:58:03.60 ID:x2C88ifM
> 無分別智直覚をありえないと言う者に、如実知見はありえない。

てか、何らかの直感が働く時、一々無分別から稲光が走ったりするのか?
直感に分別は無関係だわな。分別のように一々騒がんわな。
何を大層な事を宣ってるのだかww

> したがって5wnj4eg0は成りすましの自称覚者サマですw。
> 如実とは分別を介さない縁起の直接現実(の如し)=「あるがまま」の謂いだ。
> これを無分別智直覚(般若心経にいわゆる「照見」)することを<縁起の現観>

お前は何一つ分かっていない。無分別智直覚とは、無の分が別の智の直の覚なのにw

> <縁起の現観>という。
> 「無分別の境地に直覚など有り得ない 」という成りすましがばれた自称覚者サマには「無理」だす。

意味不明ww
全員同じ顔に見えたら、人生難儀だわな。

538 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 20:09:24.90 ID:PZ1LKpqD
無分別=無知覚?

539 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 20:22:43.98 ID:5wnj4eg0
>>519


>貴殿の書き込みは、ただ単なる「虚無」止まりだろ?
>虚無だったら誰でも主張できる。
>虚無から何を抽出したのか?それを書かねばニーチェを語ちたことにはならない。

何を抽出したか、「超人」「力への意志」だ。
それはどう言った流れから出てきたのか説明する事は私はできる。

そして、抽出したなら、曲りなりにも価値観の提案ではないか、
価値観の提案ではない事を証明しながら、ニーチェが抽出した何かの
説明は、要るだろうよ。
君がニーチェを切り取りであろうが、永劫回帰に苦を見出してはいないと
のっけから、ニーチェの思想展開と異なる私見を述べた君に聞いても無駄だろうか(笑)

540 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 21:22:00.15 ID:DQt+1IW1
>仏教自体は釈迦以前に存在して居ない、

ダイバダッタの教団が釈迦サンガと分裂した後、山の中に入って過去佛を奉ってたそうだぜ、
釈迦滅後の原始仏教サンガもダイバダッタの出佛身血だの五逆罪だの作り話のハッタリを伝承してるしなあ

541 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 22:37:47.58 ID:c6xTLjTD
Letters To God (2010) - 1:49:15
http://www.youtube.com/watch?v=dQxRG6XBJr8
.Letters to God - 1:53:41
http://www.youtube.com/watch?v=Y707CRzT5Ys

542 :コレ悟りかよ!?w:2014/05/08(木) 22:40:16.78 ID:XcDObHkf
>>540
仏陀という存在は釈迦が生まれる前からバラモン教の聖者に対する尊称みたいらしいですね。
釈迦もバラモンの一人にすぎないようです。
何が「仏教」という宗教として独立した教団たらしめたのでしょうか。

543 :神も仏も名無しさん:2014/05/08(木) 23:47:27.95 ID:f1OHxeia
http://ai.2ch.net/test/read.cgi/psy/1393015324/151
http://ai.2ch.net/test/read.cgi/psy/1393015324/169
http://ai.2ch.net/test/read.cgi/psy/1393015324/178

544 :ネオ・グノーシス派の導師 ◆/bVPRrlaFM :2014/05/08(木) 23:53:03.22 ID:sLTSIpiW
元来、釈迦は創唱宗教の教祖との自覚はなかったし、そのことは
釈迦自身がアーガマの中で明言してる。教祖どころか同じ教団内ですら
自分を過度に崇め奉ることを拒否して、周りにはゴータマさんと同じ道を
歩む同輩として親しく語らせていた。
彼の教えは、彼が生み出したのではなく、自分がいようがいまいが厳然として
存在する法(ダルマ)なのであり、その意味で過去の諸仏、あるいは他派の聖者をも
含めて悟ったものは同じ法を説いているのだというのが彼の教えだった。
臨終の説法ですらそう。ゴータマという一人間がいなくなることは、
法にとっていかなる問題でもなく、理法たるダルマに従い生きろ、そしてゴータマではなく
自己を拠り所として研鑽を積めというのが般涅槃での教えだった。

545 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 00:04:24.66 ID:kiOg4x+b
教典の言葉を勉強しろの誤りでは?

546 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 00:09:22.52 ID:SIUorGrU
>>530
お前のインチキハッタリ禅も随分極まったなw

ニルヴァーナの体得とは悟達の事では無いのか?

一〇 世俗の表現に依存しないでは、究極の真理を説くことはできない。
究極の真理に到達しないならば、ニルヴァーナを体得することはできない。 (中論24-10)

>「般若」「照見」=般若智(般若心経)の体得がないらしいw
>釈尊はなにをも悟られてはいない。
>ゆえに釈尊は、いかなる教えも、どこにおいても、誰のためにも説いてはおられない(中論25-24)。

自語相違して矛盾している

二四 ニルヴァーナとは一切を認め知ること(有所得)が滅し、戯論が滅して、めでたい境地である。
いかなる教えも、どこおいてでも、誰のためにも、ブッダは説かなかったのである。(中論25-24)

因縁品従り来、諸法を分別して推求するに、有も亦た無く、無も亦た無く、有無も亦た無く、
非有非無も亦た無し。是れを諸法の実相と名づけ、亦た如、法性、実際、涅槃と名づく。
是の故に如来には時として無く、処として無く、人の為に涅槃の定相を説きたもうなり。是の故に説かく、
『諸の有の所得は皆息みて、戯論は皆滅す』と。(中論観涅槃品第二十五)

釈尊は教説を説いて居ないのではない、涅槃に教説と言うものが存在しないと言っているのだ
教説は心が滅すれば全て滅する、それが仏法の言う涅槃だ

547 :ネオ・グノーシス派の導師 ◆/bVPRrlaFM :2014/05/09(金) 00:11:26.33 ID:hSwjv9g1
ゴータマ臨終時に経典どころかアーガマすら存在しねーしw
アーガマは釈迦入滅後に弟子たちが行った何度かの結集により初めて
意識的に編纂されたわけだから。
まあ教団規則は当時からも口伝として存在しただろうが。

548 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 00:15:23.97 ID:SIUorGrU
>>547
流石外道は初期仏教位の出家比丘の大綱を知らんようだなw
多聞とは何かを調べるがいい

549 :ネオ・グノーシス派の導師 ◆/bVPRrlaFM :2014/05/09(金) 00:23:39.77 ID:hSwjv9g1
で、君は法燈明を釈迦の金言を死後も奉れとの意味で解してるわけね。
それと自燈明とをどう折衷するつもりかは知らんがw

550 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 00:24:15.40 ID:Y8NQxzE1
南京虐殺否定を無断加筆 ベストセラーの翻訳者(祥伝社新書) 新証言

 米ニューヨーク・タイムズ紙の元東京支局長が、ベストセラーの自著「英国人記者が見た
連合国戦勝史観の虚妄」(祥伝社新書)で、日本軍による「『南京大虐殺』はなかった」と
主張した部分は、著者に無断で翻訳者が書き加えていたことが8日明らかになった。

 英国人の著者ヘンリー・ストークス氏は共同通信に「後から付け加えられた。修正する
必要がある」と述べた。翻訳者の藤田裕行氏は加筆を認め「2人の間で解釈に違いがある
と思う。誤解が生じたとすれば私に責任がある」と語った。

 同書はストークス氏が、第2次大戦はアジア諸国を欧米の植民地支配から解放する戦争
だったと主張する内容。「歴史の事実として『南京大虐殺』は、なかった。それは、中華民国
政府が捏造したプロパガンダだった」と記述している。

 だがストークス氏は「そうは言えない。(この文章は)私のものでない」と言明。「大虐殺」より
「事件」という表現が的確とした上で「非常に恐ろしい事件が起きたかと問われればイエスだ」
と述べた。

 藤田氏は「『南京大虐殺』とかぎ括弧付きで表記したのは、30万人が殺害され2万人がレイプ
されたという、いわゆる『大虐殺』はなかったという趣旨だ」と説明した。

 だが同書中にその説明はなく、ストークス氏は「わけの分からない釈明だ」と批判した。

(※以下ソース)
http://www.47news.jp/CN/201405/CN2014050801001804.html

551 :ネオ・グノーシス派の導師 ◆/bVPRrlaFM :2014/05/09(金) 00:26:12.86 ID:hSwjv9g1
如是我聞、如是我聞、如是我聞・・・・・
部派、大乗を通じて延々と釈迦に仮託せにゃ何も語れなかったアホどもw
釈迦が見たら、どんだけ俺に語らせんねんって爆笑するだろうがw

552 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 00:40:08.38 ID:SIUorGrU
>>549
経とは最初に言葉有りき、それを記憶し口伝し、やがて記述された
この経自体は道しるべなのであり、これ自体は地図に過ぎない
地図はその時の事実を記するもの、事実なれども実際ではない
実際を行い証するのはあくまでも自灯明によってされるのであり他灯明ではない
そしてそれは法灯明として実相に照らして知見し識るのでなければならない

553 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 00:44:10.25 ID:SIUorGrU
何故閻魔はネオグノーシス某に嗾けないのだろうか、不思議だ

554 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 02:12:09.50 ID:nUR/TLsl
  

          南シナ海緊張、中越が掘削で対立 比は中国漁船拿捕

香港(CNN) ベトナムの国家国境委員会幹部は8日までに、同国と中国が領有権を争う南シナ海のパラセル(中国名・西沙)
諸島近くで中国の国営企業が石油の掘削作業を開始し、周辺海域に軍用船を含む60隻の船舶を集結させてベトナムの巡視船ら
に故意に衝突するなどの威嚇行動に出ていると発表した。
一方、南シナ海のスプラトリー(中国名・南沙)諸島近くでは6日、絶滅危惧種のウミガメを大量に捕獲していたとして、フィ
リピン当局が11人乗りの中国漁船を拿捕(だほ)した。比当局は主権保持のための行動としている。
国営企業の中国海洋石油(CNOOC)は今月2日、パラセル諸島近くで海上掘削施設による作業を開始。中国当局はこれより
前、同施設周辺に約4.8キロにわたる排他的海域の設定を宣言し、軍用船による監視活動を始めていた。
ベトナムの国家国境委員会副委員長によると、中国船舶による威嚇行動は4日以降に始まり、放水砲なども用いた。ベトナム側
に人的な被害が出たとしている。
中国外務省報道官は掘削作業は中国領内の合法的な行動と主張。ベトナム側の嫌がらせ行為は中国の主権侵害であるとも述べた。
船舶同士の衝突については確認しなかった。CNOOCは、スプラトリー諸島の海底には中国の原油やガス資源の3分の1が埋
蔵されていると主張している。南シナ海の領有権論争には中国、ベトナム、フィリピンの他、台湾、マレーシアやブルネイも絡
んでいる。中国は同海全域での主権を求めている。

555 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 03:09:32.83 ID:sQiLVjT8
>>544
凄くいいことを言ってる気がする。
その通りで、法とはつまり自然法則以外の何物でもないこと。
別の言葉にするなら、こうすれば、ああなる。
スッタニパータの蛇の章をよく見ると、釈迦なりに自然法則から
人間の習性を見抜き、ニルバーナに至るために邪魔なものを体系化、
網羅しているのがよくわかる。
釈迦にこうさせるのはニルバーナ後の無私の善意識である。
無から教科書を作るわけだから釈迦の偉大さがよりいっそう際立つ。
教科書通りに行えば誰でもそこに至れると確信する。
実際そんなに大変でもない。中道とは、だいたい、アバウト、適当が基本。
これはいらないだろwというのを補足させてもらう。

宗教(神、仏の類、悟り、智慧、解脱、涅槃、輪廻等)
出家、瞑想、禅及び禅定、布施、空。

必要と思われるのは、利他意識。負担にならない程度なら利他行も可。

556 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 03:39:45.34 ID:ZROEEnei
>>555
>>544
> 凄くいいことを言ってる気がする。
> その通りで、法とはつまり自然法則以外の何物でもないこと。

西洋哲学がイデアから離れ純粋に科学的な存在論・認識論になったというのは、まさにその法つまり自然法則の事実を価値判断を離れて科学するようになったということであり、
そもそも輪廻を苦痛と価値判断して逃れようとする負け犬根性の仏教信者より涅槃への一歩先を歩いているんだよ。
現代西洋哲学のテーマはいまやのっけから「存在とは何であるか」であるが、仏教は畢竟は宗教つまり「人はどうすべきか」を求めるんだ。
苦痛を取り除くにはどうすべきか、が仏教のテーマ。
西洋哲学の命題は「である」によって表される事実命題。仏教の命題は「べきである」と表される規範命題。
もちろん、涅槃においては仏教とてそこから離れるのだが、そもそものスタートにおいては今や西洋哲学は仏教を凌駕している。

557 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 03:47:49.64 ID:ZROEEnei
>>555
それから、西洋哲学は人と世界を対峙させている、という遅れた認識で西洋哲学にレッテルを貼りつけることで仏教の優位性を何とか保とうとしている滑稽なやつがいるけれど、もはや西洋哲学はその段階ではない。
単に無知ゆえの浅はかな決め付けでしかなく、増上慢この上ない話だ。
その決め付けの理由といえば、詰まるところ坊主である自分らのみが優れたことをしていると思いたいチャチなプライドであり、そう信ずる増上慢であり、
それ故に今となって西洋哲学に遅れをとっていることに気付かないとすれば、愚の骨頂としか言い様がない。

558 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 03:51:00.45 ID:sQiLVjT8
>>556
う〜ん、どうなんでしょう。
哲学書は読んだことがないからわかりませんw
文字理解よりも五感認識、思考の方が重要な気がします。

559 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 03:58:41.39 ID:BBz59/CP
苦から逃げるじゃないんだよ、
生きる事は苦なんだ!と受け止めてあるがままに苦を味わうんだよ。
そうやっていくうちに精神が苦を超越していくんだよ。
上座部の瞑想を知っている人なら分かると思う。
深層心理下に蓄積された思いが表れる事が多々あって、
ネガティブなものが表れた時ほど身体に苦痛が伴うんだよね。
でも、それをあるがままに感じ取り観察していくんだよ。
そうしていくうちに消えていくし、感じ取る時に絡み合う事柄の記憶やその時の思いなど、
複合的・立体的にキャッチできるようになっていくよ。

あと、常に自分の身体の感官と内面世界を観察するんだよ。
そうやって思考や思いの生起を把握し、身体に生じる変化なども把握していく。
そうしながら自分の心身を把握して自分を律していくんだよ。

560 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 04:11:32.58 ID:sQiLVjT8
>>559
苦つうのも文字やからね。苦でも抑圧でも憂いでもいいと思う。
それを意識するのはもちろん重要なことなんだけどね。
行為が抑圧になるのも違うんだよね。

561 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 04:27:52.57 ID:BBz59/CP
>>560
私は苦をあるがままに感じ観察する事を抑圧だとは思っていない。
むしろ私にとっては解放だったよ。
瞑想やっているうちに気づいたんだよ。
実は深層心理下では苦を感じていたんだなと。
自分の奥深くからの声と身体の声をキャッチしたいと思うようになった。
激しいカタルシスもあったけど、段々と楽になっていったよ。

562 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 04:38:47.84 ID:sQiLVjT8
>>561
実際、瞑想が涅槃に必要だと思いますか?
無意識層の声を聴くなど初期瞑想で充分です。
人間は方向性を模索するものです。
無意識層は意識層に常に働きかけを行っています。
これにより私は初期瞑想でさえ不要と判断しました。

563 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 04:51:57.22 ID:BBz59/CP
>>562
不要と判断されるならしなければ良いと思いますよ。
個人の自由ですからね。
私には瞑想はマイナスになるものではありませんでした。
涅槃に必要かという問いには、人によりけりとだ思います。
瞑想が合わない人もいますし。

>可能性を模索するもの。
 同意ですよ。否定はしません。

564 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 04:53:07.50 ID:BBz59/CP
訂正
×人によりけりとだ
○人によりけりだと

565 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 05:10:04.81 ID:sQiLVjT8
5 無花果の樹の林の中に花を探し求めて得られないように、
諸々の生存状態のうちに堅固なものを見いださない修行者は、
この世とかの世とをともに捨て去る。
──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

あった。さすがだわ。

566 :○○○:2014/05/09(金) 05:31:17.53 ID:R03x8jla
>>544 ネオ・グノーシス派の導師
>彼の教えは、彼が生み出したのではなく、自分がいようがいまいが厳然として
>存在する法(ダルマ)なのであり、その意味で過去の諸仏、あるいは他派の聖者をも
>含めて悟ったものは同じ法を説いているのだというのが彼の教えだった。

答えて曰く、諸仏には、二種の説法有りて、先には、諸法を分別し、後には、畢竟空を説きたまえり。
若し、『三世の諸法に、通達して無礙なり。』と説けば、是れ分別して説きたまい、
若し、『三世は一相にして、無相なり。』と説けば、是れ畢竟じて空なるを説きたまえり。
(中略)
復た次ぎに、仏には、二種の道有り。
一には福徳の道なり。有る人は、仏の十力、四無所畏、四無礙智の十八不共法等を聞いて、恭敬、信楽心を生ず。
二には智慧の道なり。有る人は、『諸法は、因縁和合の生の故に、自性有ること無し。』と説くを聞いて、便ち諸法を捨離し、空中に於いても、心著せず。

(参照:つばめ堂通信、龍樹「大智度論入門」第二十六(下)三世の有無)

とグノーシス氏のかきこを縁に過去ログより起こしてみます。

567 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 05:33:50.33 ID:BBz59/CP
ID:sQiLVjT8さんが健やかでありますように(-人-)

568 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 05:40:29.42 ID:BBz59/CP
スレ汚ししてしまいましたね。失礼しました。
皆様どうぞこのアホ(私ID:BBz59/CP)を叩いて下さいな。
袋叩きは覚悟の上です。

569 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 05:47:06.38 ID:sQiLVjT8
>>567
無私の利他意識であるならば、受け取っておきます。

570 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 05:54:57.37 ID:sQiLVjT8
>>568
いえ、あなたに嘘は無いし、熱意も感じられます。
宗教色を除きたい私と、ほんの少しズレが出ただけです。

571 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 06:24:00.02 ID:8uMVDY5m
臭いしキモい

572 ::2014/05/09(金) 06:44:34.15 ID:R03x8jla
>>544 ネオ・グノーシス派の導師
>存在する法(ダルマ)なのであり、その意味で過去の諸仏、あるいは他派の聖者をも
>含めて悟ったものは同じ法を説いているのだというのが彼の教えだった。

真理は一つであって、第二のものは存在しない。その真理を知った人は争うことはない。
彼らはめいめい異なった真理を褒め称えている。
(参照:スッタニパータ884)

573 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 06:45:25.12 ID:eFPlfvu3
また、出鱈目解釈垂れ流し○w
消えろwきもいw

574 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/05/09(金) 08:04:42.64 ID:f5ZtZeQw
>>539
>そして、抽出したなら、曲りなりにも価値観の提案ではないか、
> 価値観の提案ではない事を証明しながら、ニーチェが抽出した何かの 説明は、要るだろうよ。

ニーチェに関してはいろんな観点・視点がある。それは間違いではないけど、それはひとつの通過点(切り貼り)でしかない。
だからどの次元で論を合わせるか?ということ自体がそもそも難しくなってくる。

その件の例示として私は>>508に書いた。
つまり、ひとつの映画を観るにしても、それぞれの人の立場によってその感想は違ってくるだろう?
ニーチェも同じことなのだ。
ニーチェの思想が分かるまでには、かなり自問を繰り返していかなければならない。
そして最終的に行き着くのは、Totalとしての自分、totalとしての世界というとこまできて
そしてやっとその真意ってのが掴める。

これは図らずも仏教そのものなのだ。最終的に行き着かないと何も分からない。
永劫回帰とはこういうことだったのか。そこまで行かないと本当のニーチェの思想に辿りつくことは困難であろう。

575 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 08:08:16.81 ID:tK7U+ttq ?PLT(15000)
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576 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 08:14:57.18 ID:tK7U+ttq ?PLT(15000)
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577 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/05/09(金) 09:56:40.02 ID:f5ZtZeQw
【永劫回帰とは】

> 映画の「エデンの東」は青春期と中年と晩年期では、まったくその印象が違うだろう?
>@ジェームス・ディーン側で観るのが青春期。
>A中年になると、今度は親の立場や、兄弟関係で観るようになる。
>Bそして晩年期になると、そういった人間関係とは別サイドの視点も加わってくる。 >>508より

つまり、同じことを何度も繰り返す。
何度も繰り返すけど、そのとき、そのときにおいて印象が変わるのはどうしてだろう?
こういうことをよく考えてみないと、ニーチェというのは分からんのですよ。

今、人は何かを経験したとする。しかしそれは今ではなく、もしかしたら過去において経験したかもしれない。
人間が経験したことは既に経験済なのだ。
そしてある禅師はここで悟るのである。それは過去に経験したことが、今ここであることを。
何故、禅師は悟ったか?
それはまさしく永劫回帰なんだね。

その禅師というのは一休なのだ。ちなみに一休はカラスで悟ったらしい。
して覚者各々方は何で悟ったのか?そんな野暮なことは聞かないことにしよう(笑

578 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 10:08:57.27 ID:eFPlfvu3
机は嘘の塗り重ねの永遠回帰だろうw

579 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 10:18:16.30 ID:bQZ1j+VL
>>557
西洋哲学は、程度の差はあれ、ギリシャ哲学とキリスト教の影響を受けている。
その中核は、肉体という基盤を忘れたあくなき精神性の追求である。ギリシャ
哲学の祖であるソクラテスは、精神異常の宗教者だった。また、あくまで
「個人主体」で、中論のような「関係性・相対性」の思想もなかった。

ゼノンの「飛ぶ矢は飛ばず」は、中論の「行く者は行かず」と似ているようだが、
前者には「関係性・相対性」という要素が欠けているという点で、両者は似て非なる
思想。

ニーチェが西洋哲学の破壊者と言われるのは、彼が哲学に「生物学的要素(生存
本能)」を導入したからである。「精神から肉体へ」で、西洋哲学はすべて破
壊される。中論の関係性は、西洋哲学に影響を及ぼし始めてはいるが、まだ主流には
成りえていない。ギリシャ哲学とキリスト教の洗脳が、完全には抜け切れない
からである。

580 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 10:38:12.54 ID:LtL7bfym
宿題を済ませていない机氏とキチガイへ

如実とは、現象の諸々の相を超えた実相、真如の実だ。

しかしな、誰かの論考において、(あるいは映画でもよい)
感想は、それぞれ違ってくるというのはわかる。

しかしな、その感想の内、0点の者があるのだよ。

認知障害だ。

彼は、彼女からもらったリンゴ3個を隣の家に、持って行きました。

という伝言ゲームに、著しい認知障害者が混じっていると

断片の記憶で自分都合の話しを作る、短期記憶障害とは違い(頑固に言い張るのでかえって手ごわいが・爆笑)

「空港に行った。飛行機が飛んでいた。」

になるのだよ。これが認知障害だ。直視せよ。

伝言ゲームは言った事をそのまま伝えるゲームだ。
記憶力が弱い者でも、大まかには伝えることが出来るのだが、
もっとも肝心なポイントをはずすことがある。
今日の天気は晴れを今日の天気は雨のように。 

その伝言の細部まで記憶できなくとも
自分の都合を優先しないで生きておれば、
今日は、雨か曇りか晴れかのいづれを伝言してきたかのポイントだけは
押さえている。

581 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 10:39:01.50 ID:LtL7bfym
なあ、机君。
解釈は人それぞれも、今日は晴れていたという事を認めてからではないかな。

西洋哲学はニーチェも含めて、そのレベルでの如実知見、つまりあるがままに正しく、知る、は
最低の教養だよ、しかも哲学者なのだから。
仏教の前に、そのレベルは、まちがいなく押さえよ。

君らが仏教の如実知見を認知症に溺れて変態遊戯していては、

ニーチェにも失礼であり、

いわんや仏教も。

もう一度繰り返そう。
【如実とは、現象の諸々の相を超えた実相、真如の実だ。】

しかしだ、まず今日は晴れと言ったか雨と言ったぐらいは如実知見しておこうではないか。

それもできないキチガイ、腐敗者、を西洋哲学者は無視して凌駕しているというのは誠に如実知見だ(爆笑)

582 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 10:39:32.55 ID:y0wlWSvz
>>557
仏教(的志向性(或いはインド的とも言い得るか?))と西洋を対比させるとき
最も鮮明となるのは《「(観察・思考)主体」の扱い》でしょ。
それを、「主体が居る」ということで、『人と世界との対峙』と表現することもできようが、
少し抜け落ちる部分がある。それが、「主体」をどう扱うか―つまり、諸法無我、此縁性、或いは“空”―
ということになろう。
勿論、西洋思想家の中でも主体の消去という方向性を採った者もいるかもしれない。
が、釈尊が縁起によって示したように(或いは、華厳教学が法界の縁起として昇華したように)
観察主体を溶け込ませる方法を、明確に立ち上げ得てはいないのでは?
だから、仏教に触れた者のよくある台詞として、「西洋的思考は限界がある、不足部分がある」と出てきちゃうんじゃないかな

583 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 11:03:23.66 ID:ZROEEnei
>>579
> 「個人主体」で、中論のような「関係性・相対性」の思想もなかった。

構造主義以降から無をそらさない方が良いでしょう

584 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 11:11:28.18 ID:ZROEEnei
>>582
> 最も鮮明となるのは《「(観察・思考)主体」の扱い》でしょ。

構造主義以前の西洋哲学についてはそうですね。

> 観察主体を溶け込ませる方法を、明確に立ち上げ得てはいないのでは?

構造主義〜ポスト構造主義においてはそういうことが織り込まれてくる。
西洋倫理学の視点からは西洋哲学が難解に見えたりするが、
多神教ベースの我々日本人には現代西洋哲学は非常にわかりやすいんじゃないかな。
変に「仏道」に固執しなければ科学としての西洋哲学が涅槃に近いことが素直に受け取れると思う。

585 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/05/09(金) 11:13:39.79 ID:f5ZtZeQw
>>581
>西洋哲学はニーチェも含めて、そのレベルでの如実知見、つまりあるがままに正しく、知る、は
>最低の教養だよ、しかも哲学者なのだから。

いやいや如実知見ではなく、私はニーチェの話をしておるのです。
ニーチェは如実知見などとは、ひと言も言ってない。

ニーチェは永劫回帰ということを言ってるが、貴殿はそもそもこれ等の意とするところを知らないんじゃないかな?
わたしはこれ等のことを中心に書き込みしても良い。
しかし私の書き込みを読解するには、ある程度のスキルが必要になってくる。

前提としたら、西洋哲学の衰退だ。このことに関してある程度の問題提起できたらいい。
それくらいのスキルがないと、到底ニーチェまでは語ちることは無理だろう?
第一段階として、
哲学というのは、先ず定義ってのがどうしても必要になる。
しかし論理に基本である、この定義というのが非常に厄介なものになる。言語とは何か?とまで言及せねばならんでしょう?
しかしそんな七面倒くさいことやってたら、それだけで精神が狂ってくる。
そういう段階の時にニーチェが登場する。

ニーチェを語ちるならば、それなりにコミュスペースがなければ到底無理です。

586 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 11:21:47.25 ID:eFPlfvu3
机は輪廻嘘の塗り重ねをいっているだろうなw

587 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 11:24:48.20 ID:bQZ1j+VL
>>583
>構造主義以降から眼をそらさない方が良いでしょう

構造主義には、少なくとも現代的に(中村元的に)解釈された中論の影響が
あると見ている。

588 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 11:44:03.28 ID:bQZ1j+VL
>>587で「中論の影響がある」と書いた後にWikiを見たら、現代思想における
構造主義の祖を、言語学者のソシュールとしている。そうであれば、中論は
構造主義を完全に先取りしていることになる。

589 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 11:47:44.40 ID:Vj9cbaZ0
仏教坊主の念仏に何の価値があるんだろ?
あれ聴くのウンザリ

590 :パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/05/09(金) 11:53:07.21 ID:fScL6He3
「解脱する」・・・・これには常に「解脱する主体」というものが
想定されている。 しかるに、仏教はそのような「基体」を設定しない
ことが前提であり、必然的にそこに論理矛盾を内包することになる。
よって、そこに論理を超越した個人的体験を許容する余地が生じる。
というよりは、論理的整合性を排し、あくまでも「個人の頷き」に
委ねるしかないわけだ。 そのスキル的側面が、瞑想であり座禅でしょ?

西洋哲学では、その二律背反的、仏教の内包矛盾を「論理的に解決」
することができたというのかな?
それならば、是非、伺いたいものだw

591 :パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/05/09(金) 12:03:58.38 ID:fScL6He3
もしかして、西洋哲学云々を言っていた人は、

世俗・・・・構造主義
勝義・・・・ポスト構造主義

みたいな対比を見ているのかな?w

592 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 12:25:13.30 ID:LtL7bfym
>>585
>ニーチェは如実知見などとは、ひと言も言ってない。


ほんきで、頭狂っているのだな、机氏は。

ニーチェの話しをしていて、机氏は、如実知見ができていないと私は言ったのだよ。
この如実知見は、仏教では、A現象の諸相を超えた真如のことだが、
ニーチェの話しをする時に、机氏の思い込み、都合に添ってニーチェの言った事を
書き変えるなと、言っているのだよ。

西洋哲学では、如実知見を@ありのまま見る、というルールは少なくとも守らなければ
哲学者のはしくれにもならない。

また仏教用語としても、@ありのまま見るというのも排除していないはずで、
そのような基本を飛ばしていないのだよ。
それもできないで、自分都合でニーチェの論考を作り変えるのは
ニーチェ、うんぬん以前だろ。 


あのな、机氏と 如実知見の実とはなんだと、
いいつのるチンピラに、私は具体で示し、

ならばチンピラにその具体に則って示せと言っているのに、

チンピラが逃げながらいいがかりをつけてきただろうが。

机氏やキチガイチンピラなど、哲学以前だと言ったのだ。

593 :1/2 諸法実相?:2014/05/09(金) 12:43:09.02 ID:gZSSzCYS
>>546
>ニルヴァーナの体得とは悟達の事では無いのか?

ニルヴァーナの体得とは悟達の事では無い。相が違う。

『ニルヴァーナとは一切を認め知ることが滅し、戯論が滅した、めでたい境地である』(中論25-24)

『一切を認め知ることが滅し』は一切(相応部35-23)の対象化が不能であり、
『戯論が滅し』とは狭義で一切外妄想が不能の様相をいうのだ。

勝義では<不生不滅(非生非滅)の如く:不實而生(滅)>、還滅では<即生即滅:生已盡滅>。(無門関30&33、第一義空経参照)
ニルヴァーナは還滅相における「心(無我)と心の作用(慶安)」(相応部35-23)だ。

>是れを諸法の実相と名づけ、亦た如、法性、実際、涅槃と名づく。

その著者(青目;ピンガラ)が勝手に『名づく』ているにすぎないw 
まったく実体・形態・意味・価値はない。
★特に『(諸法)実相』は誤解を招くアホ名称としかいいようがないw 
青目はやばい学僧だw ホントは落第坊主なのだろう。掴めていないのだろう。
『実相・如・法性・実際・涅槃』は『実相・如・法性・実際・涅槃』ではない。
これを『実相・如・法性・実際・涅槃』とアホ青目が名づけているにすぎないw
http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron04b.htm

594 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 12:54:16.60 ID:LtL7bfym
>>590-591 バビーマン殿

その次に西洋哲学はレヴィ・ストロースに至る。
普遍の構造があるです。
民俗学で実際に文字もないような「未開社会」と呼ばれる
地へ、眼、鼻、口、耳で 分け入り体験するのです。
そして、未開社会とレッテルを貼られた民族は、劣っているのではなく
タイプが違うと言ったのです。

その後さらに西洋哲学は生き生きと展開されていきます。

・・・・・・

西洋哲学の魅力と、今や一気に凌駕していくようなリズムは、
どこからきているのか。

それは社会と無関係になりそうな時も、それを正し、
視野を全開し、自らも修正することさえ誇りにすら思うポジティブな明るさです。

595 :2/2 諸法実相?:2014/05/09(金) 12:59:25.61 ID:gZSSzCYS
>>546
>自語相違して矛盾している

 お前が二項相対思考しかできないから、そう思うにすぎない。

『心不可得』(金剛般若経18、中論25-24)
心不可得なのに悟りなど有り得べくもない。
相対化・対象化=分別は不能だ。

道元は云う
『見仏聞法の最初に難得難聞なるは衆生無仏性なり。・・
 しるべし、無仏性の道取聞取、これ作仏の直道なりといふことを。
 しかあれば無仏性の正当恁麼時、すなはち作仏なり。
 無仏性いまだ見聞せず、道取せざるは、いまだ作仏せざるなり。』(正法眼蔵 仏性)
心不可得を例にすると、、
そうでなければ、餅を求めた徳山は餅論、心不可得で徳山を一蹴した餅売り婆子にも劣る。
ゆえに『しかあれば、参学の雲水、かならず勤学なるべし、容易にせしは不是なり、勤学なりしは仏祖なり。
  おほよそ心不可得とは、画餅一枚を買弄して、一口に咬著嚼尽するをいふ。』(道元 正法眼蔵 心不可得より)

   ★修証一等=二相の相即的実践が仏道である。
    お子チャマ行が仏道なのではない。

    悟りは迷妄である。

596 ::2014/05/09(金) 13:10:45.20 ID:BOQy1gbw
横から失礼します。
ここにいるみなさんの目的は解脱することなのですよね?
つまり、われわれが主体とみなしているもの、つまり魂でも我でも
なんでもいいですが、そういうものが輪廻しているということですよね?
空といえ、無我といえ、確かにわれわれは存在している。
私が思うに、解脱とは、存在しなくなることではなく、より大きな存在に
なることだと思います。例えば宇宙であるとか、世界であるとか。
ただし、私が考えまするに、われわれは現在、輪廻中であり、肉体に縛られてます。
肉体がある以上、生きているあいだに解脱するのは非常に難しいと思われます。
解脱するちゃんすは死んだとき、肉体の楔から解き放たれた時ではないでしょうか。
仏法論議はそのときに解脱するための論議ではないかと。
釈迦がおっしゃったようにわれわれは無知であります。
その無知のために輪廻しているので、知恵の光明は必須です。
議論のための議論は何の意味もありません。
願わくば、みなさんがより大きな存在になれますように。

597 :2/2 諸法実相?おまけw:2014/05/09(金) 13:16:28.30 ID:gZSSzCYS
>>580
>如実とは、現象の諸々の相を超えた実相、真如の実だ。

却下。

現象の諸々の相を“超える”ものなど不能・不立の妄想だ→>>593

⇒『実相・如実・法性・実際・涅槃・真如』は『実相・如実・法性・実際・涅槃・真如』ではない。
これを『実相・如実・法性・実際・涅槃・真如』とアホ青目とか成りすましが名づけているにすぎないw(>>593参照)

598 :2/2 諸法実相?おまけw:2014/05/09(金) 13:20:17.34 ID:gZSSzCYS
>>596
>ここにいるみなさんの目的は解脱することなのですよね?

ちゃいまっせ。
そーゆーアホもいるでしょうがw

599 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 13:34:08.24 ID:LtL7bfym
>>597
いや、私は仏教用語と、他を述べたはずだ。

もっと落ち着きなさいと、ここの9割がたに言いたい。
しっかり、読みなさいでもいい。

何が却下だ、

キチガイが多すぎるのでちょっと切れ芝居を興行致しましょうか(爆笑)

・・・・興行・・・・・・・

>>597

全ては妄想。

ならおまはんは、ここに書き込むな、人を巻き添えにするな、ひとりで死ね。

600 :諸法実相:2014/05/09(金) 13:41:06.17 ID:gZSSzCYS
wikiによれば、
諸法実相は、
(1)『ダルマター』、『ブータ』、『サルヴァ・ダルマ・タタター』、『ダルマ・スヴァバーヴァ』、『プラクリティ』、『タットヴァスヤ・ラクシャナ』であり、
(2)いずれも同義であるとされ、
(3)悟りの立場から見る(仏知見)諸々の存在のあるがままの真実の姿かたちをいう。
   言い換えれば縁起する存在を表す用語である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%B8%E6%B3%95%E5%AE%9F%E7%9B%B8

まさか、ここの住人で上記説明がハチャメチャ、デタラメであることが分からない奴って、いないよねw

601 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 13:41:53.77 ID:y0wlWSvz
>>599


>と、ここの9割がたに

数人しか居ないし、其々皆あだ名付いてるんだから名指ししたら?w

602 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/05/09(金) 14:02:32.70 ID:f5ZtZeQw
>>585のつづき
>しかし論理に基本である、この定義というのが非常に厄介なものになる。言語とは何か?とまで言及せねばならんでしょう?

恋人達は「愛してる」と言い続けます。言わないと伝わらないから。言って貰わないと不安になるから。
もし一点の曇りがないなら、そして信頼があるなら言葉はいらないはずです。

「愛してる」って言葉は、その言葉に私(自分)がしがみついていることに気が付くでしょう?
言葉(言語)とは、その裏には欺瞞が被されている場合も多いのです。
そして生き生きとした関係は、やがて腐っていきます。
どうしてでしょうか?それは言葉だけで生きているからです。
言葉がリアリティー、そしてその意味は意味を既に失っているのです。

言葉とは、ただの手がかりに過ぎないのです。
言葉によって、何を理解しようとせず、感じようとはせず、ただ表面の不完全な伝達方法が全てになる。
そしてそれをジャッジする。それで分かった気になる。
誤解の多くはこれに由来する。

603 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 14:09:05.79 ID:LLw8WxpI
>>593
脚下
お前の独善オナニーはいい加減飽きた。

何でも良いよ。
好きな様にこね繰り回してろ。

604 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 14:13:26.18 ID:LLw8WxpI
>>602
>言葉とは、ただの手がかりに過ぎないのです。
言葉によって、何を理解しようとせず、感じようとはせず、ただ表面の不完全な伝達方法が全てになる。
そしてそれをジャッジする。それで分かった気になる。


お宅のお弟子閻魔がそれやらかしてまっせ。

605 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/05/09(金) 14:19:43.97 ID:f5ZtZeQw
>>604
いやいや、私はニーチェの話をしているのです。
つうか、そもそも西洋哲学の衰退全般です。

ニーチェは、西洋哲と印哲の接点まで言及はできる。
しかしそこまで書くには、かなりのスペースを要求せねばならんでしょう?
徐々にではありますが、このような方向性で書いてもよい。
かしこ。

606 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/05/09(金) 14:29:14.93 ID:f5ZtZeQw
>>604
>お宅のお弟子閻魔がそれやらかしてまっせ。

閻魔氏は、言葉では伝わらないことを、それなりに表記してるでしょ?
「センス」ってのはその意味です。

でもこの言葉は非常に適切ですね。
私はどうしてもこの言葉を見つけられなかった。

607 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 14:43:56.06 ID:A18gIhwe
>>580
>如実とは、現象の諸々の相を超えた実相、真如の実だ。

「諸々の相を超えた」は典型的な分別だから、もはや如実とは言えない。

道元の正法眼蔵でも読まれたし。

608 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 14:44:20.78 ID:5+0DcRPs
> >お宅のお弟子閻魔がそれやらかしてまっせ。
> 閻魔氏は、言葉では伝わらないことを、それなりに表記してるでしょ?
> 「センス」ってのはその意味です。
> でもこの言葉は非常に適切ですね。
> 私はどうしてもこの言葉を見つけられなかった。

破顔。
表記によって、
『言葉では伝わらぬ事を恰も伝えようとしている』かの如く見せているのではなかろうか?
一見相反する表記によって、『表記の限界にまで相当している風な一種のファッショナリズム』やもしれぬ。

609 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 14:50:16.47 ID:5+0DcRPs
> >如実とは、現象の諸々の相を超えた実相、真如の実だ。
> 「諸々の相を超えた」は典型的な分別だから、もはや如実とは言えない。

ちゃうちゃう。『諸々の相を越えた』は諸々の相を把促する凡情視点でない。

> 道元の正法眼蔵でも読まれたし。

ほう、どの様な。

610 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 15:01:47.69 ID:LtL7bfym
>>602
>恋人達は「愛してる」と言い続けます。言わないと伝わらないから。言って貰わないと不安になるから。
>もし一点の曇りがないなら、そして信頼があるなら言葉はいらないはずです。

そして婚姻届を出せば、少しは安心できるかな(爆笑)
それでも婚姻後、自分の意のままにならないとわかり、妻を殴るのかな(爆笑)
変態同士は、妻の首を絞めたり、夫の首をしめたりするのか(爆笑)

机氏のような者は言葉が穢れるので、言葉を使わないでほしい。

言葉は、君が生にいないから、君が歪曲するから信じられないのだ。
君に問題があるのだ。

言葉は表現だ、生の表現だ、生が信じられなければ言葉も信じられない。
そもそも信じるというのは、生に対してなのだ、言葉(表現)は生の躍動だ。

生そのものの言語が恋人に届く。

疑いや信頼ではなく、美と生命を伝えるだけで満足する横顔が

届く。

611 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 15:10:51.24 ID:LtL7bfym
疑いや信頼ではなく
 ↓
疑いやその反動の抑圧的な信ではなく

と修正。

612 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/05/09(金) 15:58:09.50 ID:f5ZtZeQw
>>608
> 『言葉では伝わらぬ事を恰も伝えようとしている』かの如く見せているのではなかろうか?

いやそんなことはない。
閻魔氏の「非矛盾を矛盾において説示す」のフレーズがあるでしょう?
彼の書き込みはこのフレーズが一貫してます。

勝義諦→非矛盾
世俗諦→矛盾
を明確に閻魔氏は分かってる御仁ですよ。
だから矛盾において説示しておるのですから、そこを読み取るのはセンスってものがないとね。
センスってのは感性ですよ。
そういうことを閻魔氏は書いておる訳です。

この方(閻魔氏)は性格は良いですよ。非常に実直です。
私の方がクセのある人間ですから、キャラとしたら私より優れてます。

613 :コレ悟りかよ!?w:2014/05/09(金) 16:09:20.34 ID:iJtLs+UP
>>596
俺=宇宙(悟り)で良いと思います。
しかし言葉や知識や理屈でわかっていても、それは悟りではないでしょう。

やはりガツーンと精神がブッ壊れるぐらいの体験がほしい今日この頃です。

614 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/05/09(金) 16:12:37.12 ID:f5ZtZeQw
>>610
>生そのものの言語が恋人に届く。 疑いや信頼ではなく、美と生命を伝えるだけで満足する横顔が 届く。

そりゃ〜貴殿が、そもそも女というのを知らないのかと思うよ。
そんなことを女に言ったら、即振られます。

恋愛ってのは非常に繊細で、しかもナイーブです。それはまるで振り子細工のようなものです。
あっちにふらり、こっちにゆらり、掴みどころがないもの。それが男女の恋仲です。
それはまるでシーソーゲームのようなものでしょうか?
それをあたかも恋の美学と勘違いする。それが人間です。

私はここで恋愛論を書き続けるつもりはない。
ただ、あまりにも貴殿はセンスがなさ過ぎですね。

615 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 16:18:59.84 ID:5+0DcRPs
> > 『言葉では伝わらぬ事を恰も伝えようとしている』かの如く見せているのではなかろうか?
> いやそんなことはない。
> 閻魔氏の「非矛盾を矛盾において説示す」のフレーズがあるでしょう?
> 彼の書き込みはこのフレーズが一貫してます。
> 勝義諦→非矛盾
> 世俗諦→矛盾
> を明確に閻魔氏は分かってる御仁ですよ。
> だから矛盾において説示しておるのですから、そこを読み取るのはセンスってものがないとね。

=真理を二項において示す?
それくらい一貫して当然だ。
貴公は何を申されているのか?
大海の広さを示すのに、手で掬った海水によって表す。
読解力があるほど勝義諦=世俗諦となり、ないほど勝義諦≠世俗諦となる。
言葉が生きているものと死んでいるものとがあるからだ。

616 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 16:21:15.70 ID:xyf+LS5f
なんでもいい。

617 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/05/09(金) 16:58:36.93 ID:f5ZtZeQw
>>615
>読解力があるほど勝義諦=世俗諦となり、ないほど勝義諦≠世俗諦となる。
> 言葉が生きているものと死んでいるものとがあるからだ。

言葉はあくまでもメッセンジャーです。生きているも死んでいるもないかと思います。
言葉で頭がいっぱいの人は、そもそも言葉を受け入れるスペースもないのです。
本当のメッセージは言葉ではありません。

学んだことを落としていかねば、言葉は落とせません。
そしてそのようなとき、人は沈黙し言葉を忘れる。
そうなって初めてマインドに届くメッセージがあるでしょう。

618 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 16:59:51.04 ID:xyf+LS5f
机は喋り過ぎだけどな

619 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 17:21:45.08 ID:A18gIhwe
>>609
>ちゃうちゃう。『諸々の相を越えた』は諸々の相を把促する凡情視点でない。

「聖俗」二項相対でアウト。

>どのような

そのままだよw。

620 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 17:25:27.42 ID:5+0DcRPs
> >読解力があるほど勝義諦=世俗諦となり、ないほど勝義諦≠世俗諦となる。
> > 言葉が生きているものと死んでいるものとがあるからだ。
> 言葉はあくまでもメッセンジャーです。生きているも死んでいるもないかと思います。

沈痛な。生ける言葉に出会ったことがないということだな。ならば何が生ける言葉か死せる言葉か分からない。

言葉を知らずして仏教もその他も言及することがどうしてできる?

621 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 17:33:47.76 ID:5+0DcRPs
>>619
> >ちゃうちゃう。『諸々の相を越えた』は諸々の相を把促する凡情視点でない。
> 「聖俗」二項相対でアウト。

ゲームじゃないのだが?

聖俗を二項でとらえる時点でアウトだよ。
聖俗の認識は二項。聖俗は実際にある。これは二項でない。
凡情にあらざる者は認識によらず。だが認識によってしか捉えられない。これが二項相対ね。

622 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/05/09(金) 17:47:41.06 ID:f5ZtZeQw
>>620
>言葉を知らずして仏教もその他も言及することがどうしてできる?

言葉によって分かろうとするなら、それは問題の要点とすれ違って何も得ることはないだろう。
問題と自己が一体になってこそ言葉というメッセージが届くものだよ。
それが「言葉を知る」ということになる。

623 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 17:56:16.04 ID:A18gIhwe
>>621
>聖俗は実際にある。

それは宗教者だけの思い上がりと妄想。衆生は、宗教者など、職業の一種としか
思っていない。職業分類を参照のことw。

624 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 18:04:32.99 ID:5+0DcRPs
> >言葉を知らずして仏教もその他も言及することがどうしてできる?
> 言葉によって分かろうとするなら、それは問題の要点とすれ違って何も得ることはないだろう。
> 問題と自己が一体になってこそ言葉というメッセージが届くものだよ。
> それが「言葉を知る」ということになる。

〇と自己が一体なら言葉が違って見える。それが言葉を取り戻すと云う事。
言葉の能受が新生したる言葉によりて蘇生する。

625 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 18:09:11.84 ID:5+0DcRPs
>>623
> それは宗教者だけの思い上がりと妄想。衆生は、宗教者など、職業の一種としか
> 思っていない。職業分類を参照のことw。

呵呵
衆生の認識の事を申すにあらず。聖(あ羅漢)はそこにおわす。

二項を断じようとも。

626 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/05/09(金) 18:34:02.57 ID:f5ZtZeQw
>>624
>〇と自己が一体なら言葉が違って見える。それが言葉を取り戻すと云う事。
> 言葉の能受が新生したる言葉によりて蘇生する。

言葉というのは、言葉を授受する自分と、その言葉との相対的対立があるのが一般的です。
どう解釈するかは、その対立関係において解釈される。
しかしこれじゃあ駄目なんだね。まったく言葉ってのが分かっているとは言えない。

貴殿の書き込みも一理ある。それが全てではないけど。一応は正解だろう。

627 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 18:46:02.73 ID:A18gIhwe
「涅槃」の中国語での意味は、単に「黒い桶、盆」のこと。サンスクリット
での原義は何か、誰か教えてくれ。

628 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 19:14:50.02 ID:DLmsy91m
 
//ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B6%85%E6%A7%83
涅槃 (ねはん)
漢訳では、滅、滅度、寂滅、寂静、不生不滅などと訳した

ニルヴァーナの字義は「吹き消すこと」「吹き消した状態」であり
すなわち煩悩(ぼんのう)の火を吹き消した状態を指すのが本義である
その意味で、滅とか寂滅とか寂静と訳された
「人間の本能から起こる精神の迷いがなくなった状態」という意味で涅槃寂静といわれる

629 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 19:36:33.36 ID:y0wlWSvz
今やってる特報首都圏(NHK)(関東?)
このスレの人間なら、当然チェックしてるよな?w (特に閻魔とかw)

630 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 19:44:59.06 ID:DLmsy91m
 
NHK首都圏
//www.nhk.or.jp/tokuho/program/index.html

2014年5月9日(金)

広がる“ダウンシフター”

〜働き方・生き方 多様性時代〜

631 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 21:00:05.08 ID:sQiLVjT8
ポイントは苦行をしなくてもであり、苦行を否定しているわけではない。
要素は苦行の中にしかないんだよ。

632 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 21:07:17.60 ID:y0wlWSvz
現代(日本)人の考える「“苦行”の範囲」と、
当時、或いは現東南アジア或いは現チベット人の考える「“苦行”の範囲」
が、同じ筈ないしねw

だから、l単に「行」「修行」と言っただけでさえ、拒否反応を示す人も居る。
たとえば紐君とかw

633 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 21:10:19.08 ID:sQiLVjT8
紐君て誰よ

634 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 21:19:49.33 ID:sQiLVjT8
わかってないね。
苦行をしなくても苦行と同様の効果が得られる要素があるということ。
その要素は全部経典に書かれてある。
何故そうなのかの思考が欠落してるから目先の単語の意味を追うに
終始する毎日となるんだよ。

635 ::2014/05/09(金) 21:21:48.01 ID:gCjCT1Cm
確かに一言に苦と言ってもゴータマの時代の苦と今の時代の苦では重さが違うでしょう。
遥かなる昔から今の現代まで苦の重みが同じという事は無く、中村元氏はその時代時代で
不苦不楽の中道で構わないでしょう〜と言っている。まさにその通りでしょう。
死体廃棄場所で横たわって子供等に小便を掛けられても文句も言わず黙々と修行に励む〜
なんて現代人に出来るのか?

636 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 21:27:40.20 ID:LtL7bfym
多すぎるから、ひとつひとつのレス番はつけません。
机氏の発言全部に対してのレスをする。

まず、机氏は相手の話しを読解出来ない、ニーチェも読解出来ない。
だが、自分への読解は、とことん要求しているのだが、
変態机の要求がきき入れられないと、首を絞めて、「ええきもちか」
と言うのである。

お前とお前とセックスする女は、同調だ(変態レベルでな)。l

それがどうした、机。

お前が変態なので、変態の女とセックスするのだよ。

そのような変態の話しを、トリックしながら仏教に持ち込むな。

637 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 21:29:03.25 ID:4wtaismZ
>>628
>「人間の本能から起こる精神の迷いがなくなった状態」という意味で涅槃寂
>静といわれる

人間が人間に「死ね」と言ってるのか。人間否定の宗教は、人間にとって不要・
有害。人間界から絶滅すべきもの。

638 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 21:35:52.10 ID:sQiLVjT8
>>637
そう取る限りは経典は読めんわな。
仏教は一貫した体系。
バラバラじゃないんだよ。
単語は全て繋がりを持つ。

639 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 21:45:49.64 ID:kiOg4x+b
苦しみは人生において神が与え給うのだ

640 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 21:49:55.67 ID:4wtaismZ
>>638
釈迦の人間否定の思想は、人間としては迷妄、狂気に過ぎない。
精神病は伝染するから、経典など読んではならない。理解した、いいこと言ってる
と思った時が、感染・洗脳の瞬間。一生涯、酔生夢死の状態で生きることになる。

麻原やオウム信者も、釈迦の痛ましい犠牲者。イエスの統合失調症の感染の結果で
あるクリスチャンたちも同じ。

精神科医は、患者からの感染(逆転移)を最も警戒する。宗教信者は、警戒が
無さ過ぎた結果。

641 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 22:17:35.37 ID:y0wlWSvz
>>634
>>635に言えよw

642 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 22:34:45.36 ID:ZROEEnei
>>591
> もしかして、西洋哲学云々を言っていた人は、

> 世俗・・・・構造主義
> 勝義・・・・ポスト構造主義

> みたいな対比を見ているのかな?w

全然違うね。

643 :コレ悟りかよ!?w:2014/05/09(金) 22:38:47.89 ID:iJtLs+UP
>>640
ご隠居、すべての人間は精神病です。
それでもご隠居はマトモだとおっしゃるのならば、財布から一マン円札を取り出して破って燃やしてみてください。
・・・できないでしょう。
お金という紙切れの妄想を信じてる精神病の患者である証拠です。

644 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 22:48:18.17 ID:g/RW8nL/
>>643
精神病を判定するのが精神病の人でただしいのか
西洋哲学と仏教の違いはここらだよ
論で砂上楼閣を作るのと
論を作る土台までさかのぼってひっくり返すのと

645 :パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/05/09(金) 22:48:40.07 ID:fScL6He3
>>642 そうですか?

では、西洋哲学は>>590 に対する回答を提示できるのですか?w

646 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 22:49:55.53 ID:gCjCT1Cm
一万円札を燃やすのが精神病で、燃やすのができないのが正常ですw
殆どの(全てとは言いませんw)人間は正常ですが、「哲学」「宗教」「修行や行」等に
傾いた人間は全員精神異常と言われても仕方のないかもしれませんw

647 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 22:56:02.95 ID:gCjCT1Cm
パーピマンさん。
そもそも解脱がないのに解脱を志向するのが誤なのですよ。
主体も糞もない、目的の解脱自体がないのだから。
「基体」=「主体」がないのではなく、あるのです。
無我は我がないのではなく、我に執着するなかれ〜の教えなのだから。
死んでもあるか否か?は分かりません〜というのが仏陀の立ち位置。

648 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 23:02:19.15 ID:AUUaj3dt
【台海網】台湾元慰安婦のドキュメンタリー映画が東京で上映、観客「日本の若者が歴史を理解してないことを残念に思う」
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1399642634/

649 :パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/05/09(金) 23:05:27.01 ID:fScL6He3
>>647 ww 紐くん、  そこら辺りは、俺の見解は、紐君と異なるよw

紐君の言う、 > 我に執着するなかれ〜の教えなのだから

この視点を ⑴我をあることを前提として、「過度に」それに執着するな
⑵ そもそも、我があるという思いこそ無明による誤謬であり、元々
無いものに執着することこそ愚かである ・・・・

どちらから見るか? ということだが、 紐君は ⑴なわけだ
俺は、⑵が、釈迦の説いた内容なのでは? と考えるわけよw
まあ、ざっくりいうとねw

650 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 23:13:45.03 ID:gCjCT1Cm
>>649
私も真実は(2)であろうと思いますよw
しかし、生きている間は我がある事を前提とするのはやむを得ない事でしょう。
生きているのに「無い我に執着するなかれ」〜というのは乱暴すぎると思います。
仏陀がそのような乱暴な論を展開したとは想像できません。

私の仏陀像は極めて現実的で乱暴からはかけ離れた人間であったろうというものですから。

651 :コレ悟りかよ!?w:2014/05/09(金) 23:13:58.63 ID:iJtLs+UP
>>646
一万円札を、「哲学」「宗教」「修行や行」等に傾いた人間だから燃やせないにです。
み〜んな精神病ですよ。

652 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 23:19:03.95 ID:g/RW8nL/
そもそも死んでもあるってのが仏教とかの主体
死んでもある ないの結論は修行の妨げになるという見解とされる
少なくとも上座仏教はそう

653 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 23:20:42.47 ID:kiOg4x+b
我は諸行無常なり

654 :パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/05/09(金) 23:20:57.48 ID:fScL6He3
>そもそも解脱がないのに解脱を志向するのが誤なのですよ。

wwwwwwww
さて、「解脱」が、あるのか?   という問い に回答する有資格者
は、このスレにいるのか?ww
俺自身は、勿論、解脱など経験したことはないのであるから、推測の
域を出ないが、 「解脱後は、神通を身につけて、  云々・・・・」
などというバカ話は論外として、 要は、「認識の転換」でしょ?
個人の認識の転換であるなら、当然、その可能性を否定することは
できない。  ただ、本当に 無分別智を習得して、全てを等価に
認識できる者がいるのか? となると、甚だ疑問だw
少なくとも現代においてはねww

655 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 23:21:16.16 ID:g/RW8nL/
見解で人は救われない
ただの自分の脳内だけの作り事だから

656 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 23:22:31.10 ID:kiOg4x+b
それを練習しているんでしょう

657 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 23:25:24.26 ID:LtL7bfym
>>649
2)そもそも、我があるという思いこそ無明による誤謬であり、元々
無いものに執着することこそ愚かである ・・・・

だな、バビーマン殿。


で、ニーチェはそこまで来た時に、そんなものは幻想だすべて幻想だと
した時に、訪れる虚無をどうしようかと言ったのだ。

人間が理想を失った時の絶望感は、虚無だと言ったのだ。
哲学者なので、人類的視点で言っているのだが。
そしてそれを乗り越えるのは、力の意志だと言ったのだよ。

しかし、その絶望は、ファシストが受け継ぐのだよ。
ファシストはm絶望を乗り越えでなく 虚無そのものを受け継いだのだろうな。

658 :パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/05/09(金) 23:28:01.77 ID:fScL6He3
>しかし、生きている間は我がある事を前提とするのはやむを得ない事でしょう。

そう、我々、凡夫にとってはねw
だから、「真の覚者」さんに、一度、聞いてみたいもんだと思ってるw

「貴方は、世俗における自分をどのように捉えていますか?」 とww
→ (自分などいない。 単なる一現象の表れに過ぎない) などという
ステレオタイプの回答では無く、本当に「自分と道端の石ころを等価に
思えますか?」  とねww

659 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 23:33:50.82 ID:gCjCT1Cm
>>658
私は思えますよ〜と言う人間は腐るほどいるでしょう。
しかし、そんな事に何の意味も無い。

仏陀の自灯明は我に頼れなのに、頼る我などは無いのだよ〜ではこれも意味が無い。

660 :パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/05/09(金) 23:38:25.11 ID:fScL6He3
もし、本当に 虎の前に我が身を投げ出すことができる人がいたなら・・・

俺は、本当にその人は悟ってる と思うかもしれないなw
そのような人には、惜しみない賞賛の拍手を送るが、
同時に、実際は何とも言えない薄気味悪さを感じるかもしれんww

661 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 23:38:34.21 ID:g/RW8nL/
思いで無理やりはと違うでしょうな
石ころを見たらそれは石ころ
自分という思いを起こしたらそれは自分という思い
1+1=1じゃなくて1=1
そのまんま

662 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 23:43:26.52 ID:y0wlWSvz
紐君の誘出に成功 (^-^)v

663 :パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/05/09(金) 23:48:32.84 ID:fScL6He3
>私は思えますよ〜と言う人間は腐るほどいるでしょう。

wwwwwwwwww
そら、この宗教板に腐るほどいるww

> 仏陀の自灯明は我に頼れなのに、頼る我などは無いのだよ〜ではこれも意味が無い。

ここらも、微妙に ニュアンスが異なるw 俺の見解とはw
俺が思う自灯明 とは、(洲と解する 云々はおくとして)
「我に頼れ、我を基準にしろ」・・・・は、誤謬を招きやすい解釈だと思うw
これは、あくまでも「他人の言に左右されるな」という辺りに留めて、
常に自己で確認を怠るな・・・という警鐘と捉えたいわけよw

真偽判断の基準を『自己に任せる』 ではなく、『他人に任せるな』
と解釈したいww

664 :パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/05/09(金) 23:49:38.90 ID:fScL6He3
紐君が出てきて、セブンがうれしそうだwwww

665 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 23:50:25.65 ID:y0wlWSvz
>>660>>664
愚民の感性だなw

汚れ仕事をしてくれる人がいるおかげで社会が回っているわけで、
TVでも新聞でも、日常近所でも、そういう立場への感謝や賞賛はあるだろう。
が、
代わろう、新たに目指そう、という者はなかなかいない。
自分以外の誰かが汚れ仕事をやってくれることを、誰もが期待するわけだ。
で、その汚れ仕事の中から炙り出される人生訓(≒行や瞑想の重要性)もあるわけで、
紐君は、それらを切り捨てるわけさ。
そういう仕事をする人が居てもいいけど、俺はやらないよ、と。

下衆だろ?w 

666 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 23:53:26.16 ID:g/RW8nL/
主体を取り扱うかどうかの問題がでたが
そもそも取り扱うから主体が仮に想定されるわけで
そういう意味で自分が救われようという修業は間違い
ない主体などに手をつけるのでなく
慈悲行などの我にあらざるものを対象にすれば無我行になり
そのまま安楽行となる

667 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 23:54:53.12 ID:gCjCT1Cm
洲も灯明も元の言葉がたまたま同じであったので灯明と訳されたらしいですね。
まあ、洲も洪水の時の頼るもので、灯明も暗い時に照らすもので、両者共に同じような意味だから
灯明の誤訳も誤訳にあたらず〜で認められたらしいですね。

まあ、言葉の通りでしょう。我を洲として、溺れるような時には我に頼れ〜で良いでしょう。
他人を洲として他人に頼るなかれ、例え仏陀といえども。という事であったと思います。

668 :神も仏も名無しさん:2014/05/09(金) 23:56:01.99 ID:y0wlWSvz
>>665補足

ま、正確に言えば、
異質なものを排したくなる、(生物的)本能とも言えるかもしれんがな・・。

 >何とも言えない薄気味悪さ


いつだって、社会は異分子排除の方向を採る。
それは、世界どの地域の歴史や言い伝え民族史を見ても明らかだ。

669 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 00:01:42.33 ID:fzA7dW2v
汚れ仕事の中から炙り出される人生訓(≒行や瞑想の重要性)

全く分かりませんなあ。
まあ、比喩のド下手なセブンさんだから仕方のない事かもしれませんが、
行や瞑想とは汚れ仕事のようなものと言いたいのでしょうか?
仮にそうだとしても、まったく意味不明ですねえ。

下手な比喩を使わずにズバッとダイレクトに言うべきですね。
比喩を使えば使うほどに分からなくなるw

670 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 00:02:46.33 ID:ENeDEOfA
>異分子排除

ハンセン病の監房見学のニュースやってたが、
今、インフルエンザに隔離が有効とか、伝染病で隔離されるように、
≪当時は、(その病理知識の未開ゆえに)隔離すべきだと思われ≫
その後、隔離不要だと判明しても、それが、
≪社会全体の、共有価値観、見識として定着しない限り≫
近接すべからざる(→忌避すべき)症例なわけだ。

現代の価値基準で、古代を断ずる愚には謙虚でいたいとは思うよ。

671 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 00:04:01.15 ID:ENeDEOfA
>>669


譬喩じゃねーよw

672 :パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/05/10(土) 00:05:25.83 ID:uav4BFwf
>>665 その辺は実際問題として難しいでしょ?

誰でも、一番かわいいのは自分・・・・・凡夫の共通感性でしょ?
他人のために自己を犠牲にできるなら、とっくに菩薩さまだw

汚れ仕事をしてくれる人を見下すことは論外として、そのような人が
いてくれるから社会は成立するという認識を持つことは重要だがねw

673 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 00:07:34.44 ID:aDI0nD7C
要するに電子の話と一緒でしょ。
人間の意識が入ると個体になる電子が、意識がないと波になるらしい。
って読んだまんまだからほんとかどうかわかんないけど。
で、執着していると、また意識が入って個体になる=再生
でも意識が風とか音になる練習をしていると、だんだん消えてくのかな??
うーん、勘違いかも知れない。

674 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 00:08:14.68 ID:ENeDEOfA
>>672
当該業務に従事してない人間が、現場のニュアンスを却下する姿勢が、
紐君の姿勢だということさ。

東電の本社幹部と現場職員の感性の差と言ってもいいかも?w

675 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 00:09:02.53 ID:fzA7dW2v
伝染病の隔離は当然であり、ハンセン病は過度の隔離意識であったのが問題である、というだけでしょう。
何をひねくり回して言っているのか?
何にせよ伝染性のモノを隔離しないという方が問題なわけでw

676 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 00:10:41.77 ID:ENeDEOfA
ああ、青島君が言ってたな・・・。

事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ! とw

677 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 00:13:54.94 ID:ENeDEOfA
>>675
だから、伝染する【かもしれない】と、【当時の】【大衆】は【感じて】いたわけさ。

そして、今また、
原発被災者すら、
放射能が伝染する筈もないのに、敬遠されるわけさ。

そこまで紐君が世間知らずとは思わなかったよw ┐(´ー`)┌

678 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 00:14:26.50 ID:aDI0nD7C
意識が消えたらあかんやんかあ・・・・・・

679 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 00:14:46.30 ID:kA6fqQCV
汚れ仕事などないでしよう
ただ汚れたものがキレイになるさまは気持ちが良い
ただ仕事に夢中だと楽しい清浄な事実が認織される 目に見えて
自分を観察して汚れた何やかやは仕事をするには邪魔な雑念 
みえるものが見えて見えない念などはない単純 動物でもわかる

680 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 00:15:42.26 ID:fzA7dW2v
何が言いたいのかさっぱり分かりませんw

鳥インフルエンザに感染した鶏は殺処分されて厳格に隔離される〜
人間のインフルエンザも仕事や学校は休んで、熱が下がっても4〜5日は家で休養〜
その他、感染性の病気になれば隔離されるのは当然であり、

これらに異を唱える方が異常なんだが?w

681 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 00:19:35.13 ID:ENeDEOfA
>>677
伝染するかも?という感覚の他にもう一つ、(>>668でも触れたが)
≪「様相、或いは内面(≒価値観)」が自分(達)と違う存在に対する畏れ、不安≫
てのもある。
そういう風に、民族史を俯瞰すれば、色々見えてくる筈だけどね・・。

682 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 00:20:22.94 ID:ENeDEOfA
>>680
今の基準、知識で、過去を断罪するな、ってことだ。馬鹿垂れ。

683 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 00:21:19.48 ID:fzA7dW2v
癌や放射能汚染が伝染する〜というのはまさに無知のなせる業で、そのような人間は
そんなに言うほど多くはないだろうw

684 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 00:30:02.37 ID:ENeDEOfA
>>680
色々批判や誤謬もあろうが、柳田・折口に連なる考察に目を通してみな。
それらが正しいかどうかとは別に、視線のとり方は拡がるから。


>>683
そりゃ多くはないだろう。
ただ、結局は
近所に、ゴミ処理場や火葬場、葬祭場、或いは墓地、
或いは指摘障害児の訓練センター、或いは犯罪者の更生施設建設
或いは大型ショッピングセンター、或いは大規模工場の建設等、
反対する住民は多いよ。(幾つかはワシの近所の実例だしなw)
同じ感性、思考回路、ってこと。

勿論、無知のなせるわざさ。
けど、
太古の人が、雨の降るメカニズムを知ってはいないだろ?
竜神の云々という思考を、無知で咎めるのかい?

685 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 00:36:01.37 ID:fzA7dW2v
>>684
>柳田・折口に連なる考察

民族学には興味がありません。
住んでいる近くに原発を作る〜となれば反対する人間も多いでしょう。
まあ、刑務所やらゴミ処理場なども同様。
それらは無知とは関係なく、嫌だから反対する〜という単純なもの。
太古の人間も雨を降らす為に雨乞いの儀式で龍を崇めてもおかしくないでしょう。

で、何が言いたいの?さっぱり分かりませんw

686 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 00:42:01.90 ID:ENeDEOfA
>>685
もういいわw

そこまで頭悪いとは思わんかったわ ┐(´ー`)┌

687 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 00:46:23.82 ID:vBeKso68
>>672
凡夫はその菩薩さまを見下してるから存在に気付かない

688 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 00:52:20.75 ID:ENeDEOfA
>>685

ああ、老婆親切で一言付言しとくわ。


>それらは無知とは関係なく、嫌だから反対する〜という単純なもの
無知と関係なくはない。
きちんと知識を得て、理解をし得れば、許容する人も出てくるだろう。
(積極的にそうした社会貢献をしている人は、知って・理解して・力になろうと思い至った人であろうから。)
勿論、知っていても、きちんと知識を得ても、
感性として忌避することもあろう。(実は、世の中の差別的種々の事象の多くは、ここに起因する。)
だから、「異分子排除」が「生命、或いは共同体、或いは社会の、或る種本能的反応」だと最初に言ったろ?
そして『異分子』とは、自分達の共同体を崩す・危険にさらす可能性を含有するわけさ。
それを「 >>685>嫌だから 」という一言で括ることも可能だが、
全体の構図・構造として
《自らを危機に陥れる可能性を感じさせるもの、不安にさせるものの排除》
という図式は同じなわけ。

689 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 00:55:36.28 ID:TxD3lc7B
>>670
>現代の価値基準で、古代を断ずる愚には謙虚でいたいとは思うよ。

古代は、科学について無知蒙昧だったから、ハンセン病がらい菌の感染である
ことに無知だっただけ。事実だから、断じるのは当然だろう。

その古代の価値基準で現代を断じる宗教のほうが、はるかに謙虚ではないな。

ハンセン病が「宗教上の真理」だったら、現代も、そして未来永劫に排除を
続けていただろう。イエスの「罪概念」や釈迦の「苦概念」がそれに相当する。

宗教は、超古代人である開祖の誤りを絶対に認められないという「異常心理」の
状態だから、「進歩」は永遠に皆無。永遠に無知蒙昧のまま。

690 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 00:55:53.57 ID:fzA7dW2v
難しく言っても「嫌だから」の一言で済む話w
難しく語る趣味の人ですか?比喩と言いw
そんなのには全く興味がありませんw

691 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 00:56:43.92 ID:ENeDEOfA
>>688

だから、
「共同体」でも(或いは「社会」でも)、「自分」でも、
《俺が俺が私が私が、俺の俺の私の私の》でも《俺たちが俺たちが私たちが私たちが、俺たちの俺たちの私たちの私たちの》でも
同じ『我見』なわけさ。
だから、仏教は諸法無我へ向かわせるのさ。


ノシ

692 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 00:57:45.32 ID:ENeDEOfA
>>690
お前、マジで頭悪いな・・・・ ┐(´ー`)┌

693 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 01:01:40.39 ID:fzA7dW2v
難しく言う俺ってなんて頭良いんだろうwって阿呆丸出しが面白いですねえw

簡単な事を難しく言う人間は阿呆。
難しい事を簡単に言う人間は賢い。

さて、難しい事言う趣味の人はどっちかなあ?w

694 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 01:04:30.04 ID:ENeDEOfA
>>690>>693
ああw

何でもかんでも簡単でいいというなら、
小保方論文も彼女の実験ノート(の記述の仕方)も、
批判にあたらない、というお立場ですかな?www

695 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 01:07:44.13 ID:ALrKIu+E
. .Movies based on true stories of faith - 59本の動画
http://www.youtube.com/watch?v=nIEzjN1cgZs&list=PLA880A15A6683C7A6

696 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 01:11:31.25 ID:fzA7dW2v
ああ、ひとつ抜けていた。
難しい事を簡単に言えず難しく語る〜というもの。
しかし、セブンのは簡単な事を難しく語り、「俺、頭良いだろ? テヘッw」という感じですなw

697 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 01:12:50.22 ID:tt72PmXX
>>626
生きた言葉と死んだ言葉の違いは解釈によってなされるに非ず。
言葉が新生しておれば、【解釈】などとは粗略過ぎる物言いであると気づくだろう。
言葉が主体の相対的な距離によって認識され、把握され、授受する?
呵呵。ご冗談を。
旨い茶を喫している時に、わざわざ茶の分析を始めるような無作法な御仁が居るとは思えぬ。
貴公の言葉を拝借すれば、メッセージでない言葉、真芯を打つ言葉こそが生きた言葉と申しておこうか。
生きた言葉に出会った時、それを生きた言葉と評するに最早、堪える事の出来ぬ言葉、それこそが。

698 ::2014/05/10(土) 01:20:37.07 ID:7sYpqQ6T
>>667
>まあ、言葉の通りでしょう。我を洲として、溺れるような時には我に頼れ〜で良いでしょう。
>他人を洲として他人に頼るなかれ、例え仏陀といえども。という事であったと思います。

Q.何を、比丘は自らに依止し、法に依止して、余に依止せざるというのか?
A.是の比丘の、自身を内観するに於いて、常に当に一心と智慧もて、勤修精進して、世間の貪憂を除くべし。
外身、内外身(意識中の他身)の観も亦た、是の如し。
受、心、法の念処も亦た、復たかくの如し。
是れを比丘は、自らに依止し、法に依止して、余に依止せずと名づく。
(参考:つばめ堂通信、龍樹「大智度論入門」第二(上))

と他称「経論引き童子」は紹介します。

699 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 01:32:11.23 ID:ENeDEOfA
>>696
なんにも難しいとこはないw

(現状の)自分と違うものを敬遠する傾向が、人には(生物には)ある
というだけなんだがな。


紐君は子供との接点も少ないのかもしれん。
大人なら、別に気にも留めない差異でも、
子供にとっては宇宙人かの如き差異に感じられることもあろう。
が、それが、生物的感性であり、
大人・社会人は、そこを、理性や知識によって補正するわけさ。
そしてその理性や知識は、時代や地域によって当然異なる。
単純にそういうことを提示しただけなんだけどね・・。 何が気に入らなかったのかな?w

700 :657:2014/05/10(土) 01:33:49.68 ID:D6G5/d2U
>>694
小保方氏については、まだ黙っておれ。
理化学研究所というのは、君が考えている程甘くない。
国際組織も絡んでいるのだ。
詳細は話せないが、日本人は賢すぎてつぶされて来た経緯がある。
女を前面に立てているのも、意味があっての事だ。
騒ぐな、ざわめくな。
今は騒ぎ立てるな。

私はその例えはまずいといっているだけで、
君の真意を損ねるつもりはない。

>>693
>簡単な事を難しく言う人間は阿呆。
>難しい事を簡単に言う人間は賢い。
   ↑
いや〜時々言う人がいるよね。これ(爆笑)

701 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 01:37:26.74 ID:fzA7dW2v
>>699
違いの補正等はやるのが普通でしょう。
私が言っているのはセブン氏の比喩やら解説が、簡単を難しく、あるいは簡単を意味不明に
語っているので止めた方が良いよ〜という事なんだけど?w

702 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 01:44:35.95 ID:ENeDEOfA
>>700
現状、TVやネットの前の俺らが判断できる領域を超えてるよwそれ(>>700)は。

理研が利権を護持し、トカゲの尻尾をしようとし、客寄せパンダを設けたとし、
相似した事例(≒論文作成法)の発覚を恐れているかも? とは想像するけど、
現時点ではワシ等にはわからんからね・・。
ただ、彼女の実験ノートは、(提示の仕方も中途半だし)不備がありすぎじゃね?と。 (AAも既にできてるしw)

ま、多少の各種操作は多くの論文にあるだろうし、
今、スケープゴートを設ける意味が大きいのだろうけど。


>>701
ワシの手法の批判にはなってるが、内容理解できてるじゃんwww

んと、姑息だなw


ノシ

703 :657:2014/05/10(土) 02:13:20.49 ID:D6G5/d2U
>>702
>現状、TVやネットの前の俺らが判断できる領域を超えてるよwそれ(>>700)は。

うんうん。

だが落ち着いて考えてご覧。

これはとてつもない大発見なんだよ。

ノーベル章を頂いた中山氏も狙われている。

そして日本人がまたもやだ。

もう一度言っておく、理研は国際組織に牛耳られているのだよ。

仕方がないので、表に出ている最小の事を述べよう。

日本人は原爆など全部解明していた・
理化学研究所がらみで、その全資料は海に投げ込まれ
研究者は殺された。

愚衆よ、甘い事をいって、情報操作にのらされて、
日本の研究者達をこれ以上追い込むな。

原爆は米国人が研究者を集めて開発していたのだが・・・
そして、日本の大地を用いて実験した。
まるで日本人の優秀さを妬むようにな。


理化学研究所の闇の歴史は続いている。

今は黙っておれ。

704 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 03:48:36.32 ID:Ms5EqE6/
どうでもいい。

705 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 03:48:40.09 ID:mvcWVyY/
 
> 人間が人間に「死ね」と言ってるのか。人間否定の宗教は、人間にとって不要・有害。人間界から絶滅すべきもの
> 釈迦の人間否定の思想は、人間としては迷妄、狂気 …

龍樹も
止(サマタ禅定)と観(ヴィパッサナー智慧)によって
(色・受・想・行・識の)受・想を滅させたかも

//home.att.ne.jp/delta/myrobalan/mulama.html
第二十六章 十二の鎖の環(十二因縁/十二縁起)の考察
1.
無明の暗闇に覆われて
6.意訳
「誤ったあり方を掴んで離さない」渇愛によって
誤った見解に固執すること(見取)
自己に固執すること(自己や所有物を実体的にとらえること・我語取)などの固執・掴むこと(取)も生じる
11.
無明の停止は
瞑想と知恵(智)を通して生じるのである

706 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 04:04:59.07 ID:mvcWVyY/
 
> 生きている間は 「 我がある事を前提とする 」 のはやむを得ない事でしょう

//ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AB%E9%82%A3%E8%AD%98
睡眠中でも深層において働き続け
根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続ける
この深層的な自我心(末那識・我愛)を滅することによって、我々は初めて真の無我行を実践することができる

//ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98
煩悩障(自己に対する執着)
所知障(外界のものに対する執着)
の二種の障害を根絶することによって
阿頼耶識が変化を起こす(転識得智=てんじきとくち)
これがすなわち、汚れを離れた領域であり、思考を超越し
それを得たものは解脱身であり、仏陀の法と呼ばれるものである(大円鏡智=だいえんきょうち)

//www.tibethouse.jp/culture/37_04.html
煩悩障と所知障を取り除くための方便を示すのが、仏法です
戒律・禅定・智慧の三学を修して、様々な障害を浄化したところで、滅諦へと到るのです

707 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 04:33:32.92 ID:Ms5EqE6/
出世間経

人がこの世界で生活を営む時、「自分」と「あれ・これ」とを分別し、それらを認識して生活をしている。
これを世間と言い、一切法に含まれる。認識は自分のなかに縁を結ぶ。その縁の如何によって煩悩が起こる。
煩悩が起これば苦が起こる。苦が起これば、その主体者は苦悩を免れ得る事ができない。
もし、この人が苦悩を離れたいなら、苦を遠離し苦を離れれば良い。苦を離れる為には煩悩を遠離すれば良い。
煩悩を遠離する為には、渇愛を離れれば良い。渇愛を離れる為には、無我なる事を気付けば良い。
憂いは厳然と起こるが、一切の憂いは幻なのである。人はその幻の憂いに厳然と悩まされているだけなのである。
それは何故か。「自分」と「あれ・これ」とを分け隔てて事物を思うからである。「自分」と言う幻に捉われ、固執しているからである。
果たして、「自分」と「あれ・これ」とに何れの差があろうか。一切の認識に於いて、全ては幻なのに、何の差があろう。
もともとそんな事はどうでも良かったのである。それをどうでも良いと思えない、それが自我なのであり、それを我執と言うのである。
全ては我執によって分別を極め、全ての煩悩を自ら起こして憂い、苦悩していただけなのである。
なれば分別するのをやめてみたらどうか。分別があるから事物の関係性に苛まれ、自分と「あれ・これ」を区別するから
世間なのだから、その区別をやめれば良いのである。一切智者は智慧によってそれを行い、人々にもその可能性を推奨してくれた。
それを達せられたらそこが出世間なのである。出世間の境地に於ける見解は無分別である。
無分別とはつまり、「なんでもいい」と言う事である。

石ころは、石ころのままに転がされても文句を思わず、粉々になろうと業火に焼かれようと何もおもわない。
石ころは石ころのままに「どうでもいい」のである。

708 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 04:43:04.77 ID:Ms5EqE6/
色々言われてはいる。
しかし、結局の所、仏道の最終目標とは、人としての「全ての憂いの超克」なのである。
解脱しても超人になる訳じゃないのもそう言う事なのである。

人として受け得る「一切の憂い」は、この世界の真理なる何かを垣間見ないと決して超克できない。
だから難しく故に争論が絶えない。

これも憂いの一つである。

709 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 04:50:11.96 ID:mvcWVyY/
 
> 苦を離れ … 煩悩を遠離する為には、渇愛を離れれば良い
> 一切の憂いは幻なのである。人はその幻の憂いに厳然と悩まされているだけなのである

チベットに伝わる心の訓練法(ロジョン)と現代
//repository.meijigakuin.ac.jp/dspace/bitstream/10723/816/1/culture5_79-93.pdf
ゲシェ・チェカワ 『七事の心の訓練法』
2
諸法は夢の如しと訓練しなさい
道の本体は阿頼耶の自性に置くことです
坐(瞑想のセッション)の間は、幻術師としてありなさい
3
(「戯論に由来して、作り出されたものは、空性によって消滅する」それ故に)
空性は防御の最上のもの

710 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 04:54:00.79 ID:Uc+EPV7T
>>709
他人に提示する時は自分で行ってからの方が良いと思いますよ。
その記事の信憑性も解らず、無責任に提示するのは、身勝手な押し付けに過ぎませんし。

711 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 05:12:06.80 ID:mvcWVyY/
 
>>709 の続き

漢訳 第一義空經
//www28.atwiki.jp/buddha/pages/17.html
無明滅 → 行滅 → 識滅させて

ウダーナヴァルガのギルギット写本
//archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/BR/0095/BR00950L017.pdf
迷妄を性質として壊滅するもの
その〔ようなもの〕を離れることは
思弁の領域を離れた寂静なる境地であり
苦しみを性質とするものの滅尽であり
形成作用の寂滅であり

縁起したものを離れ

ブッダは
〔そこに〕来ることも説かず、行くことも、留まることも
死ぬことも、生まれることも〔説か〕ない
それこそが苦しみの終わりである

712 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 05:14:14.42 ID:6gJfSiFh
595 :2/2 諸法実相?:2014/05/09(金) 12:59:25.61 ID:gZSSzCYS



ポンコツ禅書き込み発見ww

713 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 05:14:59.04 ID:S1Ki+FF5
なんでもいい

714 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 05:24:24.89 ID:mvcWVyY/
 
> 他人に提示する時は自分で行ってからの方が良いと思います

実践したことがないからこそ
経典・論書・解説書を参照させて頂いてます

例えば
紐君とかの 「 ぼくはこう思う 」 という主張よりも

(例え、実践したことがなくても)
経典・論書・解説書を参照させて頂く

これを前提として教学として進めさせて逝きたいと思います

715 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 05:30:15.34 ID:JQtxwuja
>>714
なんかズレてるんだよなあ
理解してつかもうとするよりも、手放した方がいいよ
すると、自然に手の中に転がり込んでくる

716 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 05:37:14.57 ID:JQtxwuja
いや、やっぱそうでもないかな
正直、何をやろうとしているかわからんのでそれをすんなということもできない感じ
仏教徒として篤実でありたいと思っているなら715の通り

717 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 05:45:01.96 ID:kA6fqQCV
自分を知りたきゃ自分を捨てろ だね

718 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 05:46:16.74 ID:caOKjvCR
>>714
宝くじは「買う」と言う行為がなされて「当選」の可能性に与れる。
くじ売り場でくじを眺めてるだけでは当選の可能性に与ることは出来ない。

719 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 05:47:59.13 ID:mvcWVyY/
 
> 理解してつかもうとするよりも、手放した方がいいよ
> すると、自然に手の中に転がり込んでくる

今現状では
実践した事は、ないけど
最終的には

//www.onedhamma.com/
山下良道(スダンマチャーラ比丘)

//www.youtube.com/watch?v=iWrvjWvDfUk
成瀬雅春

//www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/kenkyu1/fl-shokibukyo/shoki-soujumetu.htm
原始仏教では「四禅三明」の教説、あるいは、単に「四禅」の教説が広く説かれている
「四禅」の後に、さらに、無色界の四処定(空無辺処、識無辺処、無所有処、非想非非想処)を説明することが多い
想受滅は、それをも超えた位置に置かれていて、この想受滅の直後に「解脱」するとされる
  _  _  _

最終的には
実践をするつもりで教学として勉強させて頂いてます

720 ::2014/05/10(土) 05:52:07.47 ID:7sYpqQ6T
>>708
>しかし、結局の所、仏道の最終目標とは、人としての「全ての憂いの超克」なのである。

>>698
>Q.何を、比丘は自らに依止し、法に依止して、余に依止せざるというのか?
>A.是の比丘の、自身を内観するに於いて、常に当に一心と智慧もて、勤修精進して、世間の貪憂を除くべし。

奇しくも、708氏は大智度論と同じようなことを言っておられるように思料します。

721 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 06:03:38.11 ID:caOKjvCR
>>720
智によって度す(智慧によって済度に至る)、これを解脱と名付ける。
何を以っての故に智と称し、その智でどう度されるのか。
それを論じたものが大智度論是也。

722 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 06:06:25.44 ID:mvcWVyY/
 
> 仏教徒として篤実でありたいと思っているなら >>715 の通り

教学として仏教も勉強させて頂いてるけど

(実践したことは、ないけど)
クンダリニーとか
瑜伽行唯識(ゆがぎょうゆいしき)とか
バラモン(ヒンドゥー)とか
チベットなどにも興味があるので

それ故に
「仏教徒として篤実でありたい」とは思ってません

723 :自称賢者と他称愚者:2014/05/10(土) 06:06:38.45 ID:7sYpqQ6T
自己の偏見に耽溺して穢れにそまっている者は自分を『賢者』だと自認している。
反対者を『愚者』と見なし、自己を『真理に達した人』であるという。

とスッタニパータ878-891を読んでの作文です。

724 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 06:14:09.14 ID:JQtxwuja
>>722
いろんなことを汁というのはいい事だけど
つまみ食いだと知ったことにもならんよ?
どんなに車を眺めていても運転できるようにはならんでしょ
自分自身で運転しないと
自分をコントロールしたいと思うから学んでいるんじゃないの?
単なる知識欲なら別にそこまで眞鍋とは言わんけどさ
幻の珍味を追うのは楽しいかもしれんが
何かもの珍しいものへのトキメキ?みたいなもので自分が満たされると思っているならば
満たされんよ?諸行無常だkらね

725 :自称賢者と他称愚者:2014/05/10(土) 06:20:31.55 ID:7sYpqQ6T
>>723
(Sn.973)
他人から言葉で警告された時には、心を落ちつけて感謝せよ。
ともに修行する人々に対する荒んだ心を断て。善い言葉を発せよ。
その時に相応しくない言葉を発してはならぬ。
人々をそしることを思ってはならぬ。

>>721
>何を以っての故に智と称し、その智でどう度されるのか。
>それを論じたものが大智度論是也。

なるほどと腑に落ちます。ご教示を覚えておきます。

と感謝して合掌します。

726 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 06:22:37.46 ID:kA6fqQCV
>>722
チベット系は仏教に篤実でなければ無理なんじゃないかな
ある意味大乗の本格派は上座より厳しい
日本の密教の修業の厳しさは周知の事実

727 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 06:32:46.19 ID:JQtxwuja
昔はけっこうな長文書いてたけど最近やけに面倒くさい
知識を共有してないし、自分の言葉で話さなきゃと思うから
経験不足上、どうしても舌足らずになるからな
でも、おまえら本すすめても読まないだろ?
少し頭使えば分かるものであっても探そうとしない
上でも上げたけど、サイト主さまに迷惑かかるけどあえてもう一つすすめておくわ
長いけど、読んでみな
これはわりと知識欲求傾向のある人向けだと思うから
まあ、おまえらはこの分量だと読まずに
いつもの同じ議論つづけるんだろうけどな
ttp://myanmarbuddhism.info/wp-content/uploads/sites/2/2013/09/amapofthejourney.pdf

728 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 06:32:46.58 ID:ctWljG+E
>>719
成瀬雅春=初代空中浮揚の人だね。
麻原は2代目。
空中飛び上がりが正解だけど。

729 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 06:34:00.92 ID:mvcWVyY/
 
> いろんなことを汁というのはいい事だけど …

今現状では教学として勉強させて頂いている段階だけど
最終的には、何がしろかの実践をするかも

私の場合は
「仮設としての」という意味で
「自性ではなくて・縁起に依存して・空であるからこそ」という意味で
「輪廻肯定」なので

来世には
何がしろかの実践ができるように

この現世に、おいては
教学として勉強させて頂いている所存で御座います

730 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 06:42:35.06 ID:kA6fqQCV
麻原になりたいんだ
この人 真面目にやるのは嫌だが
超能力みたいなのを得て自我を満足させたいと

731 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 07:07:16.33 ID:6gJfSiFh
725 :自称賢者と他称愚者


佛教の基本を知らんのだから、消えろwポンコツw!

732 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 07:10:52.25 ID:JQtxwuja
汚いものに触れる仕事ってのは、それによって起こる自分の業と向き合うという意味で
よいことではある。人間というものは汚いものときれいなものを区別したがる業をもっているから
その意味で人間に合った修行法というわけなのだけど
でも、そう言うとややもすると、浄不浄の区別の上に成り立っている世間で
その言葉を逆手にとって、汚いことをするのは良いことだと、低賃金で汚いことをさせて働かそうとしようとする
やからも出てくるだろう。問題はそこだよな
浄不浄によって、互いが互いを傷つけあう関係が構築されてしまうことはよくないと思う。
世間と出世間はちがう。仏教はあくまで個人の救済の論理しか説いていない。
そこに世間がでてきてひたすら相手に寛容になりなさいと言っても問題がこじれるだけ
大乗の難しさもそこにあるんだけど。

ちなみに戒の位置づけもそうであるらしい。戒が厳しいのもそれが人間にとって苦しいことであるから
だけど、その苦しみを見つめることによって日頃現れてこない隠れた自分の業の動きを知ることができる。
だから、誰とも合わないで定瞑想するのは心地が良いが、喧騒に出て観察瞑想を維持できる方がよりよく自分を高める
ことができるとされる。いきなり高いハードルに挑むのはどうかと思うがね
発芽してまもない植物に大量の水をやっても死ぬだけだし

733 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 07:20:28.16 ID:mvcWVyY/
 
> 超能力みたいなのを得て自我を満足させたいと

//ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E7%A5%9E%E8%B6%B3

四神足(しじんそく)

仏教における修行内容の1つ
瞑想において自在力・神通力を得るための4種の基礎
四如意足(しにょいそく)とも
「七科三十七道品」の中の1つ

欲神足 - 優れた瞑想を得ようと願うこと
勤神足 - 優れた瞑想を得ようと努力すること
心神足 - 優れた瞑想を得るために心を修めること
観神足 - 優れた瞑想を得るために智慧を以て思惟観察すること

734 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 07:33:01.56 ID:caOKjvCR
>>722
二兎追うものは一兎も得ず。
無我が解らないから他所が気になる。
無我を「解ろうとしない」から解らない。
解らない事が無我なのであり、解る事など無いのが無我である事実。
解るという事が有り得ないのに、どうして他所が有り得ようか。
結局他所のものはその「解り得様が無い」上に於いての妄想の中に
「作られた」ものに過ぎないのに。
他のものは「有る」事を探す教え。仏の教えは「有る事も無い事も探し様が無い」事を気付く為の教え。
どうでもいい事に時間を費やすな、と仏は教える。
人の思いに於いて全ては幻なのだから、何を探しても無駄なのである。
その無駄を利得と思う事は自由である。
その自由に真実もあるだろう。
しかし、人が人である限りは度し難い。

735 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 07:42:38.87 ID:1Zmy2bCQ
>>590
> 「解脱する」・・・・

解脱、という表現が輪廻という事実を客体とし主体を対比させるかのように見させてしまうが、解脱とは融和・溶融・溶解というようなことだ。
人間は輪廻という流動体のうちの不可分の溶解物であり、そのことに気付くまで、すなわち自身が個体としての「溶け残り」の状態であるうちは
>「解脱する主体」というものが
> 想定されている。

のだが、一旦溶解してしまえばもはや
>「基体」を設定しない

つまり矛盾は涅槃に至る以前において存在しているのであり、涅槃に矛盾は存在しない。

>必然的にそこに論理矛盾を内包することになる。

涅槃に矛盾は存在しない。

>論理的整合性を排し、あくまでも「個人の頷き」に
> 委ねるしかないわけだ。 そのスキル的側面が、瞑想であり座禅でしょ?

これは誤りであって、けだし論理的整合性によって涅槃に至るのである。論理の飛躍を繋ぐことを瞑想や座禅に求めるならそれは欺瞞でしかないだろう。
仮に瞑想や座禅は直感のみにより涅槃に至る術でありうるかもしれないが、純粋に論理で至ることができるので必ずしもそれは不要である。
そして論理とは飛躍を生じた時点で破綻であるから、論理が瞑想や座禅を必要とした瞬間にそれは破綻する。
(また逆も然り、論理を廃して直感により涅槃に至ること可能であるかもしれないが、これには確信がない。
直感で緻密な論理構造は頭さえ使えば誰にでも会得可能だが、個別の体験に根差すものは各主体に依存するところが大きい上に、伝達できるものではないから)

736 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 07:44:37.25 ID:1Zmy2bCQ
>>590

> 西洋哲学では、その二律背反的、仏教の内包矛盾を「論理的に解決」
> することができたというのかな?

何度か書いたが、西洋哲学が仏教の「自らに苦悩を課す輪廻を客体としてそこからの解脱を求める宗教的な動機」によらない
「世界のありのままの姿の理解という科学的な動機」すなわち、
観察者たる自らが被観察者そのものであるという考察を得た場合に、その事実の屈託無い受け入れが可能であるということが、既に二律を廃しており矛盾は解消されているということ。

737 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 07:45:11.24 ID:JQtxwuja
八正道を歩いていけば、悟りという目的地につくことはできるが
道を見つめていても、目的地には着かないよ

738 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 07:49:11.58 ID:nGtZ7e0b
「比丘たちよ、出家した者はこの2つの極端に近づいてはならない。
第1に様々な対象に向かって愛欲快楽を求めること。これは低劣で卑しく
世俗的な業であり、尊い道を求める者のすることではない。
第2に自らの肉体的消耗を追い求めること。
これは苦しく、尊い道を求める真の目的にかなわない。
比丘たちよ、私はそれら両極端を避けた中道をはっきりと悟った。
これは人の眼を開き、理解を生じさせ、心の静けさ、優れた智慧、
正しい悟り、涅槃のために役立つものである。」

つまり!釈迦が悟ったのは中道のみ。これにて悟り終了。

739 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 07:54:03.55 ID:caOKjvCR
>>738
中道とは何か。
智者のみしか知らない謎の道。
それは真ん中の事では無い。

740 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 07:55:19.80 ID:nGtZ7e0b
つまり!中道とは、だいたい、アバウト、適当ということ。
どうでもいいということではない。
そして、いい加減というニュアンスを俺はあえて避けた。
いい加減には、どうでもいいのニュアンスが含まれるからだ。

741 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 07:56:52.48 ID:JQtxwuja
いちいち指摘するのも阿呆だと思うが
私が今書いた観察は、科学的な主客世界のそれとは一味ちがうよ
たとえば、音を観察するというのは、外界のそれを見ているのではなくて
聞くときに動く自分の心を観察している。いわゆる気づきというやつ。
心が集中しているときは、聞こえていても、聞こえないということがある。
それは耳が音を捉えていても、心が動いていないから。

742 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 07:58:47.37 ID:caOKjvCR
>>740
無分別、とは「なんでもよい」と言う事に他ならない。
つまり、どうでもよいも同じ事。
ここに善悪の分別も価値を失う。
涅槃故に。

743 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 08:01:36.15 ID:6gJfSiFh
742 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 07:58:47.37 ID:caOKjvCR
>>740
無分別、とは「なんでもよい」と言う事に他ならない。
つまり、どうでもよいも同じ事。
ここに善悪の分別も価値を失う。
涅槃故に。



ヒンズー教か?

744 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 08:02:19.74 ID:mvcWVyY/
 
> 人の思いに於いて全ては幻なのだから、何を探しても無駄なのである

私自身本人が

無明の暗闇に覆われて
「誤ったあり方を掴んで離すことの出来ない」とされている、渇愛によって

凝り固まり、ありのままに変化を見ることに慣れていない

それ故に
正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定によって
深層的な自我心(末那識・我愛)を滅させてから

正見によって
「縁起・空・無我」を観察することが必要だ

745 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 08:03:23.57 ID:caOKjvCR
>>741
観察、とは分別である。
対象に蟠るから観察するのである。
蟠らないならどうして観察出来ようか。
分別をやめたら、どうして蟠れるだろうか。

所謂心と般若心の心とは別のものである。
同じ様に心とは書くが、心ではない。

746 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 08:06:21.00 ID:nGtZ7e0b
そして!このスレでも指摘があったが決定的な誤訳がある。
それは『心の静けさ』これが間違い。
正しいのは『心の安定』。誤訳が仏教を冷たいものに変えた。
そんな血の通わないようなものじゃない。

そして!間違い易いのが以下の文。
『これは人の眼を開き、理解を生じさせ、心の安定、優れた智慧、
正しい悟り、涅槃のために役立つものである』
これはごく自然な状態ということ。絶対に!大袈裟に捉えたらダメ!

747 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 08:07:01.98 ID:caOKjvCR
>>743

ヒンズーは神と言う分別があって全てが成立する。
無分別に神は無い。絶対者も無い。

748 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 08:08:54.51 ID:JQtxwuja
中道というのは苦行にも煩悩にもよらない、行き過ぎないということ。
たとえば、眠らないという苦行を行なうのは自分の限界見定めるため。
眠ら無さ過ぎて瞑想ができなくなるなら、しない。
たとえば、悟りを得れば眠らないまま死を迎えるという選択をすることもできるわけだが
コントロールしてあえて死なないという選択をするということ。
悟りを得ても、体は老いる。眠らなければ体は眠りたくなる。
だが、眠るのも眠らないのも自由。

悟りを得ていない場合は、自分の目的に合わせて選択する。
死にたくないという恐れの業が残っているなら、悟りを得て死にたいはずだから
眠るという選択をとることになる。単にできないということもあろうが。
そう考える。

749 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 08:13:56.47 ID:6gJfSiFh
747 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 08:07:01.98 ID:caOKjvCR
>>743

ヒンズーは神と言う分別があって全てが成立する。
無分別に神は無い。絶対者も無い



ヘンテコな哲学みたいだなw

750 :パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/05/10(土) 08:20:09.17 ID:uav4BFwf
>>726 www だからw

「涅槃」というのは、そもそも仏教において「言語論理の超越」を前提と
するものでしょ?  論理的矛盾が問題とならないのは当然のことw

俺の問いは、その涅槃に至るのは誰か? ということw
Aさんは、解脱したが、Bさんは凡夫のまま・・・・  ということだよね?
そこには、必然的に「個の概念が必須」なのw
しかし、仏教では無我を説くわけw そこに論理的矛盾が内包されているわけw
そりゃ、「溶解」してしまった涅槃を想定するのであれば、矛盾はないでしょw
そもそも、論理性など問題としないんだからw

それ以前の矛盾状態を論理的整合性をもって解消することが西哲には
できたの? と聞いたわけw
仏教では、そこに論理的整合性を求めることを放棄して、各個人の頷きに
委ねたわけだよw
 西哲では、それを解消できたんですか?

751 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 08:22:47.19 ID:JQtxwuja
>>745
わだかまるのは仕方ないよ
だって、自分の五蘊の業がそうなっているんだから。
眠くなるなって言えば、眠くならないのかい?
それを嘆いても仕方ないこと。
観察というのは、業をあきらかにそうであると見つめること。
業をなげくのでも、無視するのでもない。
そうのような新たな業を作れば、またあなたが苦しむだけだよ

752 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 08:24:32.40 ID:6gJfSiFh
745よりも751の方が説得力あるなあ。

753 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 08:25:30.28 ID:JQtxwuja
>>750
アラヤ識で論理的に整合性がついてると思うんだが・・・
本人が納得しないのでどうしようもないが

754 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 08:27:57.20 ID:6gJfSiFh
涅槃を出して意識づける場合、753の言い分の通りになるでしょうね。

755 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 08:28:59.91 ID:kA6fqQCV
>>750
いいレスなんだがアンカ間違っとるよ

756 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 08:29:31.02 ID:nGtZ7e0b
そして!誰かさんは中論を誤解している。
それは相対性原理。そうではなく、万時においてのことであり、
物事の事実性を言っているだけ。この意味で相対性原理も含まれる
わけであるが、そんな細かいことでなく、ざっくり自然現象を指している。
故に、八不でも何不でもいいわけであるが『無自性』が事実というだけのこと。
故に、中道とも全く無関係というわけでないが、あんまり関係ない。

757 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 08:31:55.10 ID:6gJfSiFh
756ぐらいでいいんじゃないの、哲学的に・・・・・

758 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 08:32:15.99 ID:caOKjvCR
>>746
太陽と一切の照明を奪ったなら、この世界は真っ暗闇が真実である。
それと同じ様に、心という心の一切を奪ったなら、この世界は静寂そのものである。
どこに音など聞き様があろうか。

>>748
苦行楽行易行難行は拘りから来る分別である。
その拘りも分別も捨てた先が中道の中なのである。
中道の入り口は八正道に他ならない。
水中で魚が水を見ることが無い様に、中道に於いては中道が見えない。
そして、中道は道理に即しているので、道理を離れて中道も有り得ない。
人は道理の中に生きている、故に人はその身で中道を現じているが
水中の魚の如くにそれが見えない。

759 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 08:36:36.92 ID:JQtxwuja
>>750
ごめん、俺は死後がある、実在するとは言ってないからね
悟ればそれが分かるとも
悟ってないからそれも断言できんか
今の俺には死後があるとは思えん。
ただ、論理的整合性はあると言っているだけ。

760 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 08:38:29.09 ID:65EFmm4E
健常者であれば、自分であるということは、自分の身体を抓ってみれば一発で判る。
釈迦の「無我」は、精神医学的には、古典的に離人神経症と呼ばれる精神障害である。
統合失調症、強迫性障害、うつ病、などの随伴症状として現れることがある。自己愛
的な人がストレスを受けた場合に罹りやすい。精神的には、非常に苦しい。その苦しさ
の余り、釈迦は苦の滅を求めたのである。

釈迦仏教は、完全な精神医学の世界。別に「ありがたいもの」ではないのだよ。仏典
読むとさらに悪化するから、精神医学を学んで自分の症状を理解するという認知療法
を行なうべき。薬物療法も効果がある。

761 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 08:41:59.30 ID:kA6fqQCV
>>760
同じ事をうわごとのように繰り返すのは何?
アルツハイマー?

762 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 08:46:03.25 ID:65EFmm4E
>>761
君ら宗教患者は、2000年以上も、同じことを繰り返しているw。

763 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 08:49:22.20 ID:kA6fqQCV
離人症は自分を感知してるでしょ
無我というのは一切において自分というものを認知しないこと
例え痛みであっても消滅するもの
だからそれは痛みであって自分という不変ではない

764 :パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/05/10(土) 08:49:26.56 ID:uav4BFwf
>いいレスなんだがアンカ間違っとるよ

wwwwwwwww  ほんまやw
>>735 だったw

>>753 ww  阿頼耶識についても、アートマンスレでやったが、
名称の変更に過ぎず、「基体」であることに変わりはないよw

765 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 08:49:29.32 ID:6gJfSiFh
760は北朝鮮日本支部、朝鮮総連再構築プロパガンダ部門幹部ですよw

766 :パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/05/10(土) 08:51:39.40 ID:uav4BFwf
俺は、唯識的視点は、基本好きなんだが、もっとざっくりやって
ほしかったねw

特に阿頼耶識はいただけないww

767 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 08:52:21.82 ID:JQtxwuja
>>764
仏教が否定する基体というのは常住の存在としての基体ね
アラヤ識は常住じゃない

768 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 08:54:20.61 ID:6gJfSiFh
>アラヤ識は常住じゃない


ちゃんと、理路整然と説明してやれば?

769 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 08:55:53.90 ID:JQtxwuja
ごめんこうむるw
それこそWiki見た方がはやいよ

770 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 08:57:13.48 ID:6gJfSiFh
ははははw
唯識で不親切ていうのも・・・・w

771 :パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/05/10(土) 08:59:05.10 ID:uav4BFwf
>>767 それも散々、やったけどw( 宝珠の常套句だからww)

「・・・・・は、常住ではないから、仏教でいう基体にはあたりません」

「個別識別性を有する時点で、それは我だよ」w
Aさんの阿頼耶識とBさんの阿頼耶識は、違うでしょ?
違う業が薫習? してるんでしょ? (言葉忘れたw)

ww これ以上はやめとこうねw  蒸し返しになるしw

772 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 09:02:51.35 ID:65EFmm4E
>>763
>無我というのは一切において自分というものを認知しないこと
>例え痛みであっても消滅するもの

自分というものを認識するからこそ、「無我」「無我」と喚いている。

懸命に生きている者(生活者、健常者)は、我など意識しない。文字通り
「無我の境地」を達成している。

痛みは消滅するが、「無我」という自意識は、2000年以上も消滅しない。
諸行無常という言葉とは裏腹に、釈迦仏教は常住を説いていることになる。

773 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 09:03:09.75 ID:JQtxwuja
それは仮名人としての我と、アートマンとしての我を混同しているからだよ

774 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 09:03:44.37 ID:6gJfSiFh
なるほどw外道故にまともに説明不能てかw納得w
ポンコツ宝珠ならバービーの勝ちだw

775 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 09:03:45.36 ID:nGtZ7e0b
そして!無自性だから無我ってだけのことだが、
決して!無我とか無常という言葉に意識を向けたり、拘ったりしないで欲しい。
無我とか無常というのは自然に湧く感性的なものであり、
詩とか短歌とか俳句とか絵画をイメージしてもらえればいい。

776 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 09:04:44.79 ID:6gJfSiFh
772隠居日本支部長は「チェチェ」「主体」が重要らしいぜw

777 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 09:06:51.07 ID:1Zmy2bCQ
>>654
> さて、「解脱」が、あるのか?   という問い に回答する有資格者
> は、このスレにいるのか?ww
解脱とは単に苦悩から離れた状態をいうのだから、解脱があるか無いかと問われたら理論的には「ある」ということになる。

「輪廻が苦悩である」という前提認識があるから
人為的に「苦悩から離れる」ことを意図する必要が生じる。
その為に、「執着を離れる」
その為に、「執着が無意味であることを知る」
その為に、「世の理を知る」
のが仏教。

> ただ、本当に 無分別智を習得して、全てを等価に
> 認識できる者がいるのか? となると、甚だ疑問だw
> 少なくとも現代においてはねww

「無分別智」は科学の領域では得られているよね。
端的に言えば、世界において「○○である」は科学。「○○すべき」は宗教。
仏教は「苦悩から離れる方法論」として、科学を個人に還元しようとしただけ。
はなっから「輪廻を苦悩である」と感じていない人は、極論すれば既に解脱しているのであり、その状態から逆に世界=存在を理解しようとするのが現代哲学。


と言えないだろうか・・・

778 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 09:07:37.81 ID:kA6fqQCV
>>772
冷静になれよ
無我を説くのに自分を認識する必要があるってのは思い込みだから

779 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 09:08:30.64 ID:JQtxwuja
>>772
すべてを把握するということは把握しないのも同じことだからね
すべてとはすべてであるとしか言い様がないが。
そういう意味では、諸行無常も無限遠においては常住とつながっているのかもね
だから、人にも到達できるんだろう
生しか知らない人もいつかは死ぬように

780 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 09:08:59.11 ID:65EFmm4E
>>773
アートマンをしきりに否定しているのは、釈迦のアートマンであることに
気付こうねw。釈迦が死ねば、否定も出来ない。

781 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 09:09:54.10 ID:6gJfSiFh
777とバービーなら、バービーの意見の方がまともだな。

782 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 09:10:01.14 ID:kA6fqQCV
あほくさ
目が前向いてんだから自分以外しか見えないでしょうに
我々の現実が無我

783 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 09:11:36.69 ID:kA6fqQCV
>>780
そうやって気付いたのはあんたで釈迦でない
ほんと頭わりいなあ

784 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 09:16:45.14 ID:nGtZ7e0b
解脱するということを、別の言い方をするなら、
『虚を落とす』これが仏教の真の目的。
もちろん肉体面でなく、心理面・精神面。
人にもよるが少々キツイ程度。
苦行と比較すると、そうとうリーズナブル。

785 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 09:17:17.37 ID:65EFmm4E
>>778
>無我を説くのに自分を認識する必要があるってのは思い込みだから

我を認識しないのに、一体どうやって「無『我』」が説けるのかね。
完全な論理矛盾。釈迦が「自意識過剰」だっただけ。

786 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 09:18:22.89 ID:kA6fqQCV
>>785
ほれあんたの目の前 自分がいるか?

787 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 09:24:00.65 ID:65EFmm4E
>>782
>目が前向いてんだから自分以外しか見えないでしょうに

見えると「感じている」のは「我」。さもなければ、「見える」という概念は
成立しない。

788 :パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/05/10(土) 09:27:07.10 ID:uav4BFwf
>>777 www  何やら、「基体問題と西哲の関連」というお題からは
かなり乖離してしまったが、w

>「無分別智」は科学の領域では得られているよね。

と、言ってしまうと仏教徒さんたちは異論を唱えそうだがw
→「現象に対して価値判断を持ち込まない・・・・という科学の基本スタンスにおいては
妥当するように思えるねw」

科学は、ただ現象を記述するだけw

>仏教は「苦悩から離れる方法論」として、科学を個人に還元しようとしただけ。

これは面白い視点だと思うが、仏教徒さんたちは、拒絶反応起こしそうな気がww
特に仏教に神秘的な何か を投射したがる奴はww

789 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 09:27:53.45 ID:kA6fqQCV
>>787
そう 見てるとき自分の目が見えない
ちゃんとできてるがな
無眼鼻耳舌身意 無我が

790 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 09:32:10.00 ID:nGtZ7e0b
つまり、心理面・精神面の変化が肉体面に影響をあたえる仕組み。
虚が落ちた当初は一時的に肉体に脱皮感があり、心が安定する。
しかし、心の安定の維持が困難。割と揺れ動く。

791 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 09:32:22.79 ID:6gJfSiFh
アートマンとは「チェチェ」「主体」であるとw780は言っているw

792 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 09:32:35.88 ID:JQtxwuja
科学は現象を一般化するのであって、記述しているわけではないと思うが。
一般化においては多分に捨象している
落下運動にしても、空気抵抗を無視して、あるいは排除して
そこになんらかの法則性があるだろうという期待なしには求められないからな
実験やったことがある身としては文系はあまりに楽天的というか
科学への童心じみた憧れがあるとやや不安になるなぁ

793 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 09:34:52.93 ID:6gJfSiFh
777のおかしいところは、主題が
>「輪廻が苦悩である」という前提認識があるから
人為的に「苦悩から離れる」ことを意図する必要が生じる


というところだなw
バービーの意見の方がまともだな。

794 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 09:35:45.41 ID:kA6fqQCV
>>787
ちょっとそれおかしいんですよ
二人称視点が一人称視点でできてるってのが

795 :パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/05/10(土) 09:43:33.57 ID:uav4BFwf
>>792 「記述」という表記が気に入らなかったかな?ww

あくまでも、現象にたいして価値判断を導入せず、ありのまま捉え、
そこに一般的に妥当する、高度な普遍性を有する法則の確立を目指すもの
・・・・・という程度の意味だがw

科学に対する童心じみた憧れ?w
そんなもん、持ってるのはここでは隠居くらいのもんだよww

796 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 09:50:47.54 ID:6gJfSiFh
隠居の「チェチェ」はモノを見るたびは、隠居脳内では、
「我はこれを見る」と感じるらしいですw

797 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 09:52:32.82 ID:1Zmy2bCQ
>>745
> 観察、とは分別である。
> 対象に蟠るから観察するのである。
> 蟠らないならどうして観察出来ようか。
> 分別をやめたら、どうして蟠れるだろうか。

これは言葉尻だね。
腹が減るというとき、胃袋はカラであるが、胃袋は人体の一部であり不可分でしょう
主体と客体が分別されていなければ認識はあり得ない、というのは誤りで、主体と客体を分別しない認識、つまり「主観による意味付け」をせずに観察をすることはあり得る。
自分は全体内の存在であるがさしあたりその存在は留保されており一義的な全体の把握、それが如実知見じゃないのかね。
自分に対して世界は何か、から離れて、単に世界とは何か、というときという意味で。

798 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 09:53:18.61 ID:JQtxwuja
いや、価値判断は導入されているよ
ただ科学のよいところは、再現性によって正しさを保証し
それゆえによって反論を受け入れる余地を設けているという点。
何度も出すようだが、たとえば、磁気についての方程式は
磁極子が発見されなかったという点においては真実がありのままに
表象されているものではない。だが、それが現象を予測する上で
機能しているという意味において正しい。
同様に、科学的な真実はひとつの解釈であって真実をそのまま
写したものではない。あくまでみなしにすぎない。

799 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 09:56:36.59 ID:JQtxwuja
換言するならば、一枚の紙をどのように破ろうと
それを再構成すれば元の紙の形を復元することができる。
だが、別の破り方をしても同様のことができる。
どう破るかはそれを使うものの利便性によって決まるのであって
この破り方が正しいと決定できるものではない。

800 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 09:57:47.20 ID:nGtZ7e0b
仏教理屈において関連があるのは事実性というだけのものであり、
科学とは無関係と思ってもらっていい。
感性的なものが大部分を占めるわけで、音楽でいうならソウルミュージック
のような魂の叫び系ということになる。

801 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 10:02:01.07 ID:6gJfSiFh
799はバービーの追撃に応対できそうにもなさそうだな。
きちんと回答できる知識があれば、唯識の次元でも決着つけられるだろうに。

802 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 10:07:47.04 ID:1Zmy2bCQ
>>750
> 「涅槃」というのは、そもそも仏教において「言語論理の超越」を前提と

いや、論理の先にある。論理を理解できないなら瞑想でも座禅でもするしかないんじゃない?(A)

> 俺の問いは、その涅槃に至るのは誰か? ということw
> Aさんは、解脱したが、Bさんは凡夫のまま・・・・  ということだよね?
> そこには、必然的に「個の概念が必須」なのw

違う。論理であるということは科学であり事実であり、主体が誰であれ等しく適用されている法則なの。
私が科学としての存在論・認識論である、というのはそういう意味。
そもそも
> それ以前の矛盾状態

というのは無い。
ただ、仏教は宗教であるから、すがり付く者を導かなきゃならない。(B)
それが「滅苦を求める」執着を持ちその上で「どうすべきか」を求める人を対象にするから初期設定として矛盾を孕んでいるように見える。
西洋哲学は科学であり「どうあるべきか」の視点ではない。既に「どうであるか」の視点だから、そもそもに矛盾が無い。
そういう意味。

ちなみに
論理を理解できないなら瞑想でも座禅でもするしかないんじゃない?(A)
というのは仏教が宗教だから。
仏教は宗教であるから、すがり付く者を導かなきゃならない。(B)
故に、理屈が分からない奴にも救いの道を示さなければならない、それが瞑想や座禅ではないだろうか。

803 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 10:10:26.04 ID:2Y0/BBye
>>797
如実知見に思考は有り得ない。
見たものが答えなのだから思考の必要が無い。
如実知見に「自分」も有り得ない。
事物事象に「自分」は無いのだから。
それは自己から「自分」なる妄想が消えうせた時に始めて判る。
全ては妄想であり幻だったのだと、何も思えなくなる最後の際に判って忘れ、
真実をただ如実知見するに至る。
得るものは当然何も無い。

804 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 10:13:28.29 ID:6gJfSiFh
802 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 10:07:47.04 ID:1Zmy2bCQ
>>750
> 「涅槃」というのは、そもそも仏教において「言語論理の超越」を前提



バービー対する上手い突っ込みにはなっていないなw

805 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/05/10(土) 10:20:57.31 ID:Qvrf8uk1
>>697
> 言葉が主体の相対的な距離によって認識され、把握され、授受する? 呵呵。ご冗談を。

いやいや私は冗談を書いたつもりはない。
先ずもってこのお題は即効に解せることもなかろう?
何故なら道元にしてもこのお題は難問だった故に、なおのことであるましょうぞ、。
道元は後にその意味が分かる。

でも貴殿は凄いですね。
私に反論する、というのは一応は私の書き込みを解釈してくれたのですね。
私はまるっきしレスポンス頂けないのかと思ってましたけど、
それなりに反論があるのは喜ばしいことであります。

このお題については西洋哲における衰退と絡めて、またゆっくりと私は書き込み入れていきます。
「言葉」についてですね。
道元の軌跡を追うごとく、私もそのように学びとうごじゃりまふ。

806 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 10:21:31.20 ID:6gJfSiFh
797と803は観点の差だろうな。勝劣つけらずか・・・

807 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 10:27:53.54 ID:nGtZ7e0b
理屈、思考をさんざん凝らすがいい。
そして疲弊すれば自然と意味というものは止む。
残るものは感性。
仏教の良さはその事実性。
理屈や意味に良さがあるのでなく、歌声が単に『いい』のである。

808 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 10:32:54.97 ID:1Zmy2bCQ
>>788
お、理解してくれて嬉しいですね。
つまり数日前からこのスレに来て再三言ってるのはらそういう現代哲学に対しての神秘主義世俗坊主の増上慢に如実知見を促している、と見ていただいてかまいません。

809 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 10:33:15.37 ID:2Y0/BBye
感性は思いに過ぎない。
良し悪しも分別に過ぎない。

810 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 10:34:24.68 ID:2Y0/BBye
>>808
思考が与したら如実知見ではない。

811 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 10:35:02.77 ID:1Zmy2bCQ
>>793
> 777のおかしいところは、主題が
> >「輪廻が苦悩である」という前提認識があるから
> 人為的に「苦悩から離れる」ことを意図する必要が生じる


> というところだなw


ん?輪廻が、という言い方がピンと来ないなら「生が」と言い換えてもいいよ。同じことだから。

812 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 10:38:22.57 ID:6gJfSiFh
空想嘘の道元の軌跡を追うごとく、私もそのように学びとうごじゃりまふ。
でっかw?机w

813 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 10:39:07.31 ID:nGtZ7e0b
>>809
感性に思いや意味は存在しない。
虚を通り過ぎれば、素直に感性を受け入れることになる。
無分別の観点はいい。あと少しだ。ガンバレ!

814 :パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/05/10(土) 10:44:30.01 ID:uav4BFwf
>>798
>いや、価値判断は導入されているよ

俺がいってるのは、科学には「善悪」等の認識判断はないでしょ?  ってことだよww

>>802 wwwww
っていうかw  論点理解できてますか?w

俺が言ってるのは、「仏教というのは、無我を大前提として出発するわけだが、
そこには常に「誰が」解脱するの? という「個の概念を払しょくできない矛盾」
を内包してるわけw これは輪廻に関しては「誰が輪廻するの?」とも同等の問題
なわけだが、仏教はそれに対する『論理的回答を提示できてないわけ』・・・
だから、『そこは各自が確認してください』と、論理的解説を放棄して
各個人の行に委ねてしまってるわけw」

それを「論理的に無矛盾である」と言うなら、どうぞ解説してみてくださいw
今まであまたの宗門、仏教学者がなしえなかった大業績になりますよwww

815 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 10:45:55.80 ID:6gJfSiFh
798、802だとバービーの圧勝かw

816 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 10:47:25.69 ID:1Zmy2bCQ
>>799
つまり涅槃に至る道筋は、論理(科学的な理解)の他に瞑想や座禅やらもあって、論理はそのひとつに過ぎない、ということを否定するつもりはないよ。
ただ、先に述べたように論理は言語により共体験できるのに対して、座禅や何かはあくまで個人的な個別の体験であり共有できるかどうか私には分からない。
論理という破りかたは出来るが、他の破りかたが果たして実際にあるのかどうか、それは分からないな。あり得るということは否定しないけど、それが何だというのか。
少なくとも論理で涅槃に至ることを否定できるものではない。

817 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 10:51:40.18 ID:1Zmy2bCQ
>>806>>803
同じことを違う表現をしているのかも?

818 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 10:53:00.34 ID:nGtZ7e0b
めんどくさいから言っちゃうけど、
最後は命を捨てる程度の覚悟が必要。
苦手を克服するって意味だけどね。
少し克服するだけでもメリットはある。自信がつく。
まぁそのうちたどり着くと思って気長に行うべし。

819 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 10:53:01.72 ID:6gJfSiFh
816は白黒付けられんテーマだな。
802の回答は意味不明であるな。

820 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 10:53:42.47 ID:1Zmy2bCQ
>>810
>>808
> 思考が与したら如実知見ではない。

判断という意味の思考ならそうだろうね。

821 :パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/05/10(土) 10:56:57.82 ID:uav4BFwf
>>816

>少なくとも論理で涅槃に至ることを否定できるものではない。

大分、以前に「二十年座った君」という御仁がいて、彼はその論理による
解脱を試行していたw (彼が成功したかどうかは、わからんがww)

この論理的洞察・・・・・これは、仏教においては非常に重要な要素であると
思ってるよ、俺は。
他の「とにかく信じましょう」からスタートする宗教と一線を画すものだと
思ってるw
ただ、問題は、「それで最後まで行けるのか?」ということw
少なくとも、今までは「論理だけで」到達した・・・というものは
いないように思えるがw
とことん突き詰めていったどっかで、「ジャンプ」することが必須なように
思えるんだがねw
仏教というのは、論理的矛盾の内包性を特性とする。
だからこそ、公案のような方法論が生み出されてきたのでは?w

822 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 10:57:07.93 ID:2Y0/BBye
>>813
>感性に思いや意味は存在しない。

非情である、とするならそれは私の論である。
しかし感自体は業の内であり、受けただけなら性にはなり得ない。
感が感性に為り得るには認識が必須なのであり、認識が無いなら感性にはなり得ない。
感覚は意根に統べられているので思いを離れて感覚は為し得ない。
無分別に感覚は無い。どうして感性など有り得ようか。

823 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 11:00:04.33 ID:6gJfSiFh
>だからこそ、公案のような方法論が生み出されてきたのでは?w


ここは外れだな、公案は脳の高速回転の応対の能力開発だな、この域ではもはや、涅槃不要、無用。
こういう次元で。俺はハッタリ禅と連中を苛めているんだがなw

824 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 11:02:04.90 ID:2Y0/BBye
>>818
無分別に「めんどくさい」は有り得ない。
面倒は思いなのだし、無分別には分別の思いが無い。
どこに面倒とやらが有り得ようか。

825 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 11:03:59.55 ID:nGtZ7e0b
>>822
あのねぇw無分別は認識なわけよ。
それと、難しく考えないほうがいいよ。
事実性のみ追ってね。
心の引っ掛かりとはつまり苦手。
苦手を事実性で克服しきれば到達できる。

826 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 11:05:38.42 ID:JQtxwuja
>>814
そうだね
科学には共同体に必要的な価値判断も、個人の身の処し方についての価値判断もない。
科学は主に物質世界の運動法則を説明するための価値判断しかないから。
だから、仏教と科学を同じ天秤で測ろうというのはそもそも
重さと長さを同列に論じるような愚を犯している。
それらはせいぜい重さと長さが違うことを示すことを論じることしかできないのに。

827 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 11:06:29.23 ID:6gJfSiFh
824と825なら、
824の方が正解に近いだろうな。

828 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 11:06:43.95 ID:1Zmy2bCQ
そろそろ寝ます。
またね。

829 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 11:10:01.20 ID:2Y0/BBye
>>825
>あのねぇw無分別は認識なわけよ。

石ころに認識は有るかな?
もし有るのなら石が痛がったり愚痴で騒がしくなったり大変である。
そんなオカルトは道理の上から聞いたことが無い。

830 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 11:10:39.67 ID:JQtxwuja
>>816
涅槃は論理ではないから
論理によって指し示すことしかできないよ
理解は涅槃ではない
道路標識を見て、目的地をめざすことはできても
道を歩くことはできないようなもの

831 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 11:12:30.01 ID:nGtZ7e0b
めんどくせーw
つまり、『めんどうくさい』そのものが無分別。
それをどうこう言うのが分別。おわかり?w

832 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 11:13:16.65 ID:2Y0/BBye
>>830
涅槃は目の前に見えている。
見えてはいるが、見ている事実と思いによってそれは見えない。

833 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 11:14:48.12 ID:nGtZ7e0b
>>829
君は石か?五感はないの?

834 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 11:15:20.12 ID:2Y0/BBye
>>831
老婆親切は無分別に非ず。
無分別に一切の見識は有り得ない。
面倒くさいは面倒くさくないとの二項相対。
故に分別に過ぎない。

835 :パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/05/10(土) 11:16:23.77 ID:uav4BFwf
なんか、daio-が遊んでほしそうなんだが、時間がないんでオチww

>daio-
また今度、時間があるときおちょくってやるから、待ってなwww

836 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 11:16:24.83 ID:2Y0/BBye
>>833
五感は君か?

837 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 11:18:43.47 ID:6gJfSiFh
>んか、daio-が遊んでほしそうなんだが、時間がないんでオチww



真面目に返答してやったんだから、感謝しろよw

838 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 11:19:20.54 ID:nGtZ7e0b
>>834
君はどこに向かっているんだw
無分別に拘り過ぎ。とりあえず、それ、捨ててね。

839 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 11:20:15.86 ID:6gJfSiFh
825 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 11:03:59.55 ID:nGtZ7e0b
>>822
あのねぇw無分別は認識なわけよ。



ここで、彼の敗北、後は、負けたくない反応でしょうw

840 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 11:23:23.25 ID:2Y0/BBye
>>838
>無分別に拘り過ぎ。とりあえず、それ、捨ててね。

仏教の言う涅槃は無分別の事。
それを捨てたら仏教ではなくなる。
そして煩悩の超克は分別を捨ててから答えがわかる。
それを否定するなら最早仏教でも仏法でもない。
そもそも仏道の目的は涅槃を自己に証する事である。
それを否定すれば破仏法となる。

841 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 11:23:36.87 ID:nGtZ7e0b
ロジックに意味はないよ。それは思考の迷路。

842 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 11:25:59.27 ID:2Y0/BBye
じゃあ、なんでもいい。

843 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 11:28:21.07 ID:nGtZ7e0b
>>840
固定観念は常に自己を縛る。
仏教というものがあると思ってる証拠。
仏も菩薩も凡夫もないのが事実性!
君は無分別がつまり理解できていないということを宣言している。

844 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 11:30:32.27 ID:2Y0/BBye
>>843
門の説明者に「門を語るのは矛盾だ」と言ってる様なもの。

そもそも無分別に理解など有り得ない。

845 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 11:38:22.97 ID:nGtZ7e0b
無分別とは分別しないということ。
分別しないのは誰?
無分別=無対象ということじゃないぞ。
無対象は単に無であり、後ろに分別をつける意味がないだろw

846 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 11:45:50.87 ID:2Y0/BBye
>>845
一般的な哲学や宗教は大抵「人間中心」に考えられている。
君の考察も「自己中心的」そのものなのがその証左でもある。
まるで、有情の為に非情が在るかの如くに自己中心的である。
それが一切の誤謬を生み、一切の苦悩を呼び込んで苛まれるのである。
仏教はそう考えない。有情とは数多ある非情の中にあって始めて現象しているのであると観る。
人を構成する部品の多くも非情である、と言うより、そもそも情に実体が無い。
無我故に。だから考えも元々無い。故になんでもいい、となる。

847 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 11:52:05.35 ID:5xR6vr0i
知らぬが仏ってのは仏教の教えだったんですね

848 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 11:52:39.69 ID:nGtZ7e0b
>>846
情に実体がないから情はゆれ動く。
断じて無ではない。勘違いするなよ。
君は何でも無の方向にもっていこうとする。
ならば、考えるのをやめなさい。考えさえも無にすればいい。

849 :657:2014/05/10(土) 12:03:10.32 ID:D6G5/d2U
仏教は科学ではない。
神秘が入り込むのだよ。それをよくもまあ、今日までここのスレ参加の
3割が9割方かはしらんが、誤魔化してきたものだ。

さぞその根性で、執着で頭おかしくなっただろうな。

どうやって誤魔化してきたか。
超簡潔にいえば、悟らなくてはわからないみたいな言いまわしでだ(爆笑)
これが、神秘でなくなんであろう(爆笑)

いや私は、はじめから神秘主義者なので、むしろ矛盾していないのだ(笑)

科学は、自己修正する事にポジティブというのか、
そもそも科学はそれが科学なんだ。

ここの仏教徒は神秘(自分のわからない事とでもいっておこうか、)
を拒否して、かといって科学でもなくどうにもならんな。

850 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 12:25:48.57 ID:JQtxwuja
こもれ話なんだが

サマタ(定)の修行は心の訓練としてはいいが
長時間座りたいのならそうすればいい
だが、修行とはこれらの姿勢とはまったく別物。
心を観察することが智慧である。

サマタ瞑想にいろいろ種類があるのは我々が生計を立てる方法に
いろいろあるのといっしょ。

訓練されていない心は不安や心配事で満たされている
そのため瞑想実践によって心に静寂がうまれたとき
私たちはたやすくそれに執着してしまい、、心の静まった状態こそ
瞑想のゴールであると勘違いしてしまう
しばしばサマタ瞑想の実践で欲や怒りを根絶できたと思ってしまう人がいるが
それらは後になって息を吹き返し、あなたを確実にうちのめしてしまう
だから静寂な状態にはまっている人のほうがタチが悪い
ただ、智慧が生じてくるには集中力がしっかり確立してないといけず
集中力というスイッチで智慧はその結果として生じてくる光のようなもの。

人は彼の治癒力や心を読む力、千里眼などさまざまな超能力について
語るが、彼はこれらの話を聞いて、悟りとは程遠い事柄への関心と
超能力への見当違いな畏怖心を笑った。

851 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 12:27:13.09 ID:JQtxwuja
つづき
座る瞑想をすることでもし心が静まり、定に入ることができたなら
それはあなたにとってとても有益な道具になるだろう
しかし、同時にサマタにとらわれないようにしなければならない
ただサマタをうるために座るのであったとしたら、喜や楽は得られるかもしれないが
そんなものは時間の無駄。修行とは座って、心を静め、それによって得られた
サマタを用いて心と身体をありのままに観察すること。
でなければ、心を静めても、平安になっているのはサマタをしている間だけになる
観察には二つのレベルがある。
一つは注意深く、体験の表面的な感覚をとらえつづけること。
もう一つは、集中して自らの内面に耳を傾けること。

仏陀は二種類の修行方法を教えた。智慧を通じた教えとサマタを通じた教え。
前者はシンプルで理解しやすく、ものごとを手放し、あるがままにしておくので
多くの努力を必要とすることなく実践することができる。最終的に解脱へと
人を導いてくれる。後者はその人の経歴次第で多くのサマタを必要とする。
厳格であり、非常に長い時間座らなければならない。
この定が正しく使われるのであれば、高校を卒業して大学に行くようなものになる。
両者も同じ解脱に到達しなければならない。

852 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 12:28:24.87 ID:JQtxwuja
さいご
えー、以上、タイの森林派の高僧の発言の大略です。
こういうことを言っている人もいるというふうにまあ受け取ってください。
金科玉条にしろなどとはいいません。
最後の発言は、在家と出家の区別って感じですかね。
神秘的な体験をしたい人はサマタにはまるんでしょうけど、ここにいる人が
とても厳格な決まりを守って修行しているとは思えませんので、
前者の方をやればいいんじゃないですか?
ネット以外にもいろいろ調べれば、今までの議論の不毛さが分かると思います。
くれぐれもへんな薬に手を出さないでください

853 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/05/10(土) 14:00:17.34 ID:Qvrf8uk1
>>697のつづき
>いやいや私は冗談を書いたつもりはない。
>先ずもってこのお題は即効に解せることもなかろう?

人が読書したり経典を解釈しようとする心の動きとはどういうものでしょうか?
本を読むという主体と、書物という客体における相対的な解釈といえます。
そのように学校教育では成されてきましたし、そのように訓練を受けてきました。
で、この相対的解釈について、少し例示してみます。

@日本では教室の掃除は生徒がやるのが普通です。→問題との同一
Aアメリカでは、専門の掃除人がいて、生徒は掃除することはない。→問題との対立
Bインドではカースト制がありますから、生徒はやらない。身分の卑しい者が掃除をする。→問題との対立
(つづく)

854 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/05/10(土) 14:01:13.32 ID:Qvrf8uk1
(つづき)
問題との同一と、問題との相対についての違いについて例示しましたけど、これについて書いたのが↓です。

>言葉というのは、言葉を授受する自分と、その言葉との相対的対立があるのが一般的です。
>どう解釈するかは、その対立関係において解釈される。
>しかしこれじゃあ駄目なんだね。まったく言葉ってのが分かっているとは言えない。>>626

しかしこれは非常にややこしい問題です。何故なら私達はそういうふうに教育を受けてきましたし、
そういうふうに訓練もしてきました。
これの続きはまた後ほど。今は「違い」だけ書き込みしました。

855 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 14:38:23.67 ID:mvcWVyY/
 
> アラヤ識は常住じゃない

唯識(ゆいしき)
//ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98
…諸存在は無常であり、時には生滅を繰り返して最終的に過去に消えてしまうであろう
それら諸存在は「空」であり、実体のないものである(諸法空相)
唯識は大乗仏教の空 (仏教)の思想を基礎に置いている

(阿頼耶識は常住ではないからこそ)

煩悩障(自己に対する執着)
所知障(外界のものに対する執着)
の二種の障害を根絶することによって
阿頼耶識が変化を起こす(転識得智=てんじきとくち)
これがすなわち、汚れを離れた領域であり、思考を超越し
それを得たものは解脱身であり
仏陀の法と呼ばれるものである(大円鏡智=だいえんきょうち)

と衆生を引導するが故に、仮名の空を以って説いた

856 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 14:56:45.67 ID:1Zmy2bCQ
>>814
> 俺が言ってるのは、「仏教というのは、無我を大前提として出発するわけだが、
> そこには常に「誰が」解脱するの? という「個の概念を払しょくできない矛盾」
> を内包してるわけw これは輪廻に関しては「誰が輪廻するの?」とも同等の問題
> なわけだが、仏教はそれに対する『論理的回答を提示できてないわけ』・・・

つまり西洋哲学がイデアを離れて現代哲学に至ったような過程が仏教に無かったということ?

> だから、『そこは各自が確認してください』と、論理的解説を放棄して
> 各個人の行に委ねてしまってるわけw」

ああ、それが瞑想や座禅ってわけか。

> それを「論理的に無矛盾である」と言うなら、どうぞ解説してみてくださいw

しかしそれは縁起ということで解説されてるのではないの?すなわち色⇔空ということが説明しているのがそこではないのかな

857 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 15:04:30.86 ID:1Zmy2bCQ
>>821
> とことん突き詰めていったどっかで、「ジャンプ」することが必須なように
> 思えるんだがねw

>>735に示したように飛躍があっては論理は破綻するからそれなら最初から論理など不要になるでしょ。
飛躍なく解説できるから論理が初めて意味をもつのであって。

> だからこそ、公案のような方法論が生み出されてきたのでは?w

考案については>>823に同意。

858 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 15:08:40.24 ID:1Zmy2bCQ
>>830
> 涅槃は論理ではないから
> 論理によって指し示すことしかできないよ
> 理解は涅槃ではない
> 道路標識を見て、目的地をめざすことはできても
> 道を歩くことはできないようなもの

涅槃に至る道筋は論理であり得る、と言ってる。

859 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 15:08:54.23 ID:VHRnx4Yr
瞑想や禅の目的は人によって様々だよね。
内省だったり、今後の判断・行動に活かす為に
行うという人もいるだろうし、
オカルト目的な人もいるだろうね。

瞑想や禅を通じて客観的に物事を見られるようになって
その場その場の判断力が増した人もいるだろうし、
魔境に堕ちたり却って心の状態が不安定になった人もいるだろうね。
心の奥深くにアクセスする事もあるから人によってはパニック起こしたり
ストレスになって却ってしない方が良いケースがあることも確か。

860 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 15:10:09.04 ID:mvcWVyY/
 
>> だから、『そこは各自が確認してください』と …
>> 各個人の行に委ねてしまってる

> それが瞑想や座禅ってわけか

//home.att.ne.jp/delta/myrobalan/mulama.html
第二十六章 十二の鎖の環(十二因縁/十二縁起)の考察
1.
無明の暗闇に覆われて
6.意訳
「誤ったあり方を掴んで離さない」渇愛によって
誤った見解に固執すること(見取)
自己に固執すること(自己や所有物を実体的にとらえること・我語取)などの固執・掴むこと(取)も生じる
(無明・渇愛によって輪廻を繰り返している)
11.
無明の停止は(輪廻の滅は)
止(サマタ禅定)と観(ヴィパッサナー智慧)を通して生じるのである

861 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 15:30:18.40 ID:JQtxwuja
>>858
兵法書を学んで、杓子定規にそれを使うのであれば
おそらく相手にこてんぱんにやられると思うのだが。
煩悩は獰猛な牛のようなもの
そいつを飼い慣らすのに、いちいち本を読みながら戦ってたら
角で一突きにされて即死になると思うんだが
道筋をきちんと知っておくことは大切だけど、実践は
定石通りにはいかんでしょ、相手は自分だし、出し抜こうとするんでは?
予想通りいくだろうとたかをくくっていると痛い目みると思う
本に書かれてあるようなことはわかりやすい形で提示されているだけだよ
直接指導にしても、道の右よりいれば左にいけと言われるし
左にいれば右に言われる。どこにいるか分からん人には考えてたことと
ちがうということだってあるだろう
だから、安易に権威にひれ伏されるのを危惧して
いちいち本を紹介するのは嫌だったわけ
答えは自分で捜すしかないでしょ

862 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/05/10(土) 15:46:51.76 ID:Qvrf8uk1
>>854のつづき
>問題との同一と、問題との相対についての違いについて

これについて簡単な説明が公案です。
「隻手の音声」を例示するなら、問題の同一化において楽勝に解ける公案です。

つまり公案を白隠と共有することにおいて、無音の音は聞ける。言葉が単純にツールであることが理解できよう。
この場合は音が聞こえるかどうかは問題ではなく、問題は「共有」なのだ。

恋人が「愛してるかどうか」確認するのは、その言葉の意味よりも、言葉における背反性を確認しているのだ。
ここにおいて言葉の意味はさして重要ではない。
重要なのは「問題の同一」なのだ。
同一というフィルターを通してしか彼女の真意を掴むことはできないだろう。

言葉をどう受け止めるか。ではない。
そのようであれば全ては錯誤でしかないだろう。

863 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/05/10(土) 17:52:21.13 ID:Qvrf8uk1
>言葉をどう受け止めるか。ではない。

先ず言葉とは何かを確認する為に定義することが大事ですが、
しかしこの定義というのもアヤフヤです。何が正しくて何が誤りかは簡単には言えない。
最大公約数的なものを一応のコンセンサスとして定義する訳ですが、
むしろ定義することは出来ない。といった方が正しいかもしれませんね。

それは何故かといいますと、言葉を受け止める人それぞぞれの意見が違うからです。
そして言葉を論理体系付けたとしても、それは一人の考えです。

しかし人は、そういった学術書なりを読んでいくうちに、「それが自分の考え」だと錯覚を起こすのです。
ですから私が毎度言ってるように、言葉というのは理解するもんじゃないですね。
それは借りモノですから他人の考えです。

仏法とは自己解決です。これなくば「言葉を知った」とは言えない。
道元は宋より帰国し、これを悟ることになる。
それは今の永平寺に色濃く反映されておるようですね。
この続きは後ほど。

864 :657:2014/05/10(土) 18:49:44.00 ID:D6G5/d2U
>>863
>仏法とは自己解決です。これなくば「言葉を知った」とは言えない。

いや、自己解決は仏法に限らない。

865 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 19:06:38.73 ID:2Y0/BBye
>>848
有も無も状態なのであり、それは二項相対に過ぎない。
無は有の一状態であり、有も無の一状態である。
無があればこそ有は認識出来る訳で、有も無があればこそ認識可能なのである。
故に、無に依存しない有は有り得ず、有に依存しない無も有り得ない。
されば有無など元々無いに等しいのである。
何処に無などあると言えようか。

866 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 19:18:23.35 ID:2Y0/BBye
>>863
>それは何故かといいますと、言葉を受け止める人それぞぞれの意見が違うからです。

人の思いに拘るからそうなる。
仏はそれが間違いの元だと教える。
暗闇は誰が見ても暗闇なのであり、閃光は誰が見ても眩い光なのである。
その事実に不要な思いを取り付けて事実以上にしてしまうのが思いである。
思いとは、端的に言えば思考である。
思考が全ての妄想の根源なのでもある。
仏はそれを主としてはならないと教える。

867 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/05/10(土) 19:26:59.97 ID:Qvrf8uk1
哲学においての論理学というのは、合理的な考え方の法則を体系化していく学問です。
何らかの証拠とか、その前提や仮定から、真実とかを導きだす方法論です。
しかし言語自体の定義自体を確立することも困難なうえに、
その方法論、ならびにその結論まで到達することは困難であることは明らかであります。
つまり端的に言うのであれば、結論の出ない学問なのであります。

で、このスレにおいて「構造主義・ポスト構造主義」の話が出てきましたけど、私は正直その話は知らない。
古い人間ですから、もしその構造主義においてコメントがあるならどうぞ。

論理学においての行き詰まりにおいての近代論理学も発展したようですけど、
これについても詳細は私は知らない。

私の中では、もう既に西洋哲学というジャンルは、ある程度未完において終わってる気がします。
というか未完で既に完成されているのかと思います。

868 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/05/10(土) 19:35:42.57 ID:Qvrf8uk1
>>866
そうですね。

論旨は
@問題との同一(共有)→印哲
A問題との相対→西洋哲
この違いを明らかにすることにおいて、西洋哲と印哲の違いを明確化したのです。

869 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 19:59:51.00 ID:tt72PmXX
> >言葉をどう受け止めるか。ではない。
> 先ず言葉とは何かを確認する為に定義することが大事ですが、

言葉は言葉であってはならない。言葉なれば全ての発言者は言葉を失う。

言葉はそれを越える事が前提である。これは決して意識される事なき暗黙の了解である。

根拠は言葉の起源に拠る。

太初(はじめ)に言葉ありき。言葉は光なり。

人は言葉によって光からそれを受けとる。言葉は光なり。なれば言葉とは、其の様々な沙汰は何を意味するか?

言葉は季節である。季節における、日輪である。月である。花鳥風月である。

一体、言葉を紡ぐ人間は、何を希求するのだろうか?受けとる側に何を要請するだろうか?

感応道交なり。共鳴、完全なる一体、ツーカー。赤穂浪士の山川なり。

一切の発言者の最終目的である。このオメガーなしに言葉‐発言のアルファーはない。

言葉における交わりとは陽月の如くである。間に一切の介在も許さざるもの。
宇宙空間の間(ま)である。間は信頼において歓喜となり、闇の関係性において下降となれり。

間とは行間なり。行間とは言外の一切なり、これに拠りて、全て言葉のやり取りが規定さる。

言葉そのものによってではない。

来るべきは日蝕か、三日月か。または闇夜か。

870 :657:2014/05/10(土) 20:04:09.10 ID:D6G5/d2U
>>868
違う。
>>865-866
そのように言うと大層に聞こえるのだが、

それは科学者の態度なのだよ。そう言った方が解り良いだろ。

で、ここの仏教者もどきは、なぜ科学者を拒むのだ(笑)

おまけに神秘主義者も拒む(笑)

871 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 20:05:39.14 ID:fzA7dW2v
簡単な事を難しく言葉で解説する。
簡単な事を比喩(言葉)で意味不明に解説する。
言葉は意思の疎通に無くてはならぬものであるが、ひねくり回しての言葉遊びには
意味が無いという事です。
言葉遊びの言葉は人の心に響かない。人の心に響かない言葉で遊ぶのが趣味な人もいますから
まあ、傍観して響く言葉だけ拾えば良いかと。w

872 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 20:15:28.77 ID:kA6fqQCV
そういや難しい事をさらっと易しく面白く解説したのが
ファインマン物理学で学生のころよく読んだな

873 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 20:20:12.44 ID:2Y0/BBye
>>870
>ここの仏教者もどきは、なぜ科学者を拒むのだ(笑)
>おまけに神秘主義者も拒む(笑)

勝手な妄想に過ぎない。
その妄想は「科学」と言う大義名分を盾に「自分の意見」に異を唱えられて繰り出してるに過ぎない。
神秘主義についても同じ。
我々仏法者も同じ様に語りはするし、仏の教説を引く事もある。
しかし、それを大義名分に盾として自己を守る事はしない。
反論はあって当然だし、理解出来る方が稀なのだから。
人の思いは人の数だけあり、結論を出そうと思えば人の数だけ結論が出てくる。
当に無尽蔵と言えなくもない。
それを踏まえた上で、仏法者は反論有りきで法を「お話」として対話の如くに説く。
我々に出来る事は精々啓蒙位までなのであり、説得など出来様が無いでのある。
蒙昧を啓いて「啓蒙」なのだから批判や反論があって然るべしなのである。

874 :657:2014/05/10(土) 20:30:31.55 ID:D6G5/d2U
>>871

>簡単な事を難しく言う人間は阿呆。
>難しい事を簡単に言う人間は賢い。(>>693)

また。ここに戻ったのか(爆笑)

違う。お前より、机氏のほうがましだ(爆笑)

お前は、体験していないからだ。
机は体験に解放が無く、偏った体験で語るからダメなのだが、
人としてはお前より誠実だ。

875 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 20:30:41.87 ID:tt72PmXX
>>873
> 門の説明者に「門を語るのは矛盾だ」と言ってる様なもの。
> そもそも無分別に理解など有り得ない。
> そもそも無分別に理解など有り得ない。
> そもそも無分別に理解など有り得ない。

(笑)

痴れものは『我々仏教者』ではあるまい。『我々』を盾に仏教を『矛』にするなかれ。

軽薄な口を閉じよ。

876 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 20:35:07.81 ID:fzA7dW2v
>>874
>お前は、体験していないからだ。
何を?w

何でも構わんが、人の体験など2ちゃんの書き込みで分かるのか?
偉い人間もいたもんだw

877 :657:2014/05/10(土) 20:42:15.78 ID:D6G5/d2U
>>876
そうか、それはすまなかった。
君の体験や君の誠実さは

>簡単な事を難しく言う人間は阿呆。
>難しい事を簡単に言う人間は賢い。

と言わしめた、ここまで良いか。

返答を待つ。

878 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 20:42:24.38 ID:tt72PmXX
難しい事を易しく言う=相手は軽く勘違いするw(頷くふりをする)

879 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 20:46:04.09 ID:fzA7dW2v
返答を待つってww

簡単な事をひねくり回して意味不明にしたり難しく解説するのは阿呆と言わず何と言うのだ?
私の体験?何だそりゃ?そんなものと関係なく真実を語っているだけなんだけど?w

880 :657:2014/05/10(土) 20:53:38.16 ID:D6G5/d2U
>>879

お前は女だな。 

しかもキチガイだ。

お前のような女を机氏は欲に負けて(爆笑)抱いても、私は抱かない。
穢れるからだ(爆笑)

>簡単な事をひねくり回して意味不明にしたり難しく解説するのは阿呆と言わず何と言うのだ?

よし、その話しを具体で、例え話でよいから話して下さいませよ。

君が嘘をついていないのなら、君の例え話から私もはじめよう。

881 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 20:57:14.77 ID:fzA7dW2v
今度はネカマ認定かよwww
勝手に言ってろw
どっちがキチガイだかw

2ちゃんの書き込みで個人の体験すらお見通しの神通力をお持ちだから
まあ、スゴイお方なんでしょうなあ(大爆笑)

882 :657:2014/05/10(土) 21:00:34.93 ID:D6G5/d2U
>>881

詫びろ、私にたいしてではなく。 自分に詫びろ。

>まあ、スゴイお方なんでしょうなあ(大爆笑)

そこの女、詫びろ。

883 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 21:03:46.13 ID:fzA7dW2v
今度は「詫びろ」コールですか?w
ハイハイ、ごめんちゃいねw 自尊心を傷つけましたか? ヘタレな自尊心など捨てたほうがマシですよ〜w

884 :657:2014/05/10(土) 21:05:26.28 ID:D6G5/d2U
>>883

そこの女。

病院ではどういった診断をもらっている、うん。

885 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 21:17:41.61 ID:aDI0nD7C
仏教の議論白熱してますな!

886 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 21:18:25.55 ID:aDI0nD7C
仏教の議論、白熱してますな!

887 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 21:18:59.88 ID:kA6fqQCV
こぴぺ



  きちがいの兆候


1 自分は正しいんだいいんだという、実はその根拠がない、
2 従いすべてに能書きが付く、反対されればされるほど鋭利に精妙になる、
3 それでもっていっぱいになっているから、人のこと他のことが見えない、
4 自分正しいという以外いやそれ自身もふくめて物語の中、
5 ゆるやかに回転する堂々巡りが次第に早くなる、
6 回路が焼き切れてついには発狂、

 以上のことがあります、うっかりしていました、こういう人にはどんな形でも手を付けてはいけない、助長し追いやるだけです。
 仏教にはきちがい多いです、いろいろ見てきました、実際と思想観念とをごっちゃにして入れ揚げる−いい気になっちゃうからです、どうかよくよく気をつけて下さい

888 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 21:19:09.04 ID:VHRnx4Yr
∧_∧
( ´・ω・) みなさん、お茶でも飲んでマターリして下さい。
( つ旦O
と_)_) 旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦

889 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 21:43:58.72 ID:tt72PmXX
>>887
> こぴぺ
>   きちがいの兆候
> 1 自分は正しいんだいいんだという、実はその根拠がない、
> 2 従いすべてに能書きが付く、反対されればされるほど鋭利に精妙になる、
> 3 それでもっていっぱいになっているから、人のこと他のことが見えない、
> 4 自分正しいという以外いやそれ自身もふくめて物語の中、
> 5 ゆるやかに回転する堂々巡りが次第に早くなる、
> 6 回路が焼き切れてついには発狂、

(爆笑)

お前はつまり簡単に言い替えきれる事しか体験してないのだな。


だから易しく言い替えて当然か?

890 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 22:20:56.45 ID:aDI0nD7C
ああ、無常

891 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 22:24:22.76 ID:xBkQ7ipU
朝鮮人に乗っとられたん?

【速報】四国のお遍路は【 八十八か所ではない 】事が判明!!!数字「88」に隠された意味がヤバイ…
http://www.news-us.jp/article/396717281.html

892 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 23:05:01.78 ID:rYgNnYba
人類は、そして恐らくは他のすべての動物も、その発生以来、専ら五感の知覚に
より、「有無」を「一義的に」判断することによってのみ生存している。例えば、
目に見えるこの大地が存在しなければ、すべての人間も他の動物も、一瞬にして
奈落の底であり、絶滅する。そもそも発生すら不可能である。釈迦の「無」は、
この生物界の「法の中の法」に真っ向から違背する巨大な誤りである。

日常生活での経験から帰納すれば、あまりにも自明ではないか。いかに偉い宗教者
でも、目の前に見える飯が果たして存在するか、などと考えて食う者はいない。
釈迦も例外ではなかったはず。

中村元博士も、「空とは無ではない」と声を大にして注意している。誤解し
ている釈迦信者がそれほど多いということである。釈迦信者は、いい加減で
戯論を止めよう。限りある一生の時間の、途方も無い時間の浪費である。

893 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 23:13:50.61 ID:GrKpfxUo
ここの住民のほとんどは釈迦が好きなんです
まぁ宗教板にはほんと変な人がいるね
だれとは言わんが

894 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 23:19:57.12 ID:rYgNnYba
>>893
釈迦が好きなら、釈迦のこの途方も無い誤りを是正すべきであろう。何時までも
釈迦の恥を曝し続けるのは、釈迦に対する名誉毀損ではないのかね。

895 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 23:22:28.66 ID:2Y0/BBye
>>875
理解が分別である事をお忘れか。

896 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 23:26:12.44 ID:2Y0/BBye
>>892
この世界に於いて生命は主人でも絶対でもない。

897 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 23:27:14.13 ID:fzA7dW2v
ゴータマの人間像を想像すると尊敬できる人のような気がしますねえ。
何より良いのが静かで激昂しない人であったろうという事です。
また、少し残念なのが、仏教教団は門戸が開かれていたとはいえ事実上金持ちが大半で
貧乏人は数少なかったという事実。所詮、教団運営上の経営重視路線かよ、と冷めた感情にもなります。
まあ、しかしゴータマは人間性が良かったであろう事は想像できます。超現実主義者であり、我は無い〜
なんて声高には説かなかったでしょう。超現実主義だから説法が変幻自在で対機説法と言われるのでしょう。
A氏に説く事とB氏に説く事が正反対で矛盾していても現実の問題が解決すれば全てOKという感覚でしょうw
そんな説法は情報通信が発達している現代では不可能でありえない事だから、懐かしい羨ましい感じがするのでしょう。

898 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 23:31:21.68 ID:rYgNnYba
>>896
生命によって世界を認識しなければ、そもそも、世界は存在しない。

すべての人類が、同時に死に絶えたと仮定したとき、この世界は存在するか。
その存在は、一体誰がどうやって証明するのか。

899 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 23:34:03.40 ID:2Y0/BBye
>>897
無我じゃ困る人か。

900 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 23:34:32.85 ID:tt72PmXX
>>895
> 理解が分別である事をお忘れか。

『智』の否定をしてるのか?

901 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 23:35:43.55 ID:2Y0/BBye
>>898
太陽系や銀河系は生命とやらが作ったとでも言うのか?

902 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 23:36:57.45 ID:fzA7dW2v
>>899
無我で我は無し〜で良いんじゃなですか?w
しかし、隠居氏に賛同して、そう言うのは誰だ?と問いたくなりますねえw
主張するところは隠居氏と私は殆ど同じですねえw

903 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 23:41:36.97 ID:2Y0/BBye
>>900
智は分別に非ず。
智も慧も有無に非ず。

904 :神も仏も名無しさん:2014/05/10(土) 23:48:17.60 ID:2Y0/BBye
>>902
では自我なるをよく知るとする君は誰?

905 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 00:04:41.58 ID:9Hh5Uv2o
>>901
生命によって知覚しない限り、存在するとは言えない。

そうではないと言うのなら、何時から存在するかを証明しなければならない。
その証明が不可能なら、結局、知覚時に存在した、としか言えない。

906 :パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/05/11(日) 00:17:14.09 ID:2YansJP3
>>856
>しかしそれは縁起ということで解説されてるのではないの?すなわち色⇔空ということが説明しているのがそこではないのかな

仏教でいう「縁起」という語彙は、射程範囲が広すぎて解説にならないんだよw
いわゆる「すべての根本原理」みたいなもので、どんな難問でも、「それは縁起による」
と回答すればOKwwwww

>>857
>>735に示したように飛躍があっては論理は破綻するからそれなら最初から論理など不要になるでしょ。

例えば、絵画においても基礎的な技法の習得は意味があるでしょ?
素人が絵画を学ぶにあたって、確立された基礎技術を学ぶことは決して無意味なことでは
ない。
しかし、それによって歴史に残る名作が描けるわけではないw

仏教における論理性というのも、そういうものでは?
俺は、必要条件ではあるが、十分条件ではない・・・と思うんだがねw

さらに補足しておくと、「公案」というのは、
ある行者が言うには、「頭を真っ白にするもの」  www
ということらしいw

俺もそうだと思うよw あれらは、はなから論理性を欠いているw
つまり解答自体が存在しない問いであり、どのような解答を出すか
が問題なのではなく、そこにたどり着く過程こそがポイントw
だからこそ、それを観る師匠の存在が必須であり、こんな掲示板で
時々、公案だしてお師匠さんごっこをやりたがるバカがいるが、
そんなのは論外だと思うねwww

一言で言ってしまえば、思考の無意味さを了解させるツールでしょ?ww
俺はそういうものと思ってるよw

907 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 00:31:02.77 ID:D4mT7miT
>>892
無我と空は矛盾しないんじゃないの?

908 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 00:34:03.17 ID:BhNs+fk/
>>905
アホ在家はどうした

909 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 00:46:35.01 ID:juv9l0Ky
だから魂が仏で、世界が空というのは、この魂が意識に反映させた世界を観ているから実体がない。
実体が無くても生きている限り有るのだから無ではない。
この魂に過去生の業や、今生の行為が蓄積していくので、無我において修業する。
とド素人の推測、すいません・・・・・・

910 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 00:46:52.28 ID:HZusVqTa
>>906
道元師は「現成」が既に公案であると言い、この世界の一切が仏法なのだと言う。
それは見方を変えれば「諸法」は「実相」と言う事でもある。

911 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 00:51:12.40 ID:Ps4H0e6u
>>905
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E9%96%93%E5%8E%9F%E7%90%86
観測する主体が無い状態でアレコレ言えない、言う主体が無いのだからw
観測する主体が無ければ、思考すらない。
微小世界では観測すれば観測されたことで被観測体が変化して正確に観測できない〜等、
観測するものがいてはじめて色々言えるのですねえ。観測するものがいなければ、まさに無です。

912 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 00:56:50.78 ID:+xPRWcB0
>>911
釈尊はそれを教えてるんだがw
石ころに観測など無い
だから苦楽も無い
生死も無い

913 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 00:59:24.83 ID:Ps4H0e6u
何かしらの事で人類が滅びて、人類以外にも生命全体が滅びて、地球付近で
観測主体がいなくなれば、ものはあっても無に等しい。何故ならばあってもあると
認識できるものがいないのだからw

914 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 01:01:36.07 ID:1xqmKzdO
>>898
それは「俺が死んだら世界は存在するのか、それを誰が俺に証明するのか」と問うているのと同じ。

915 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 01:01:54.75 ID:+xPRWcB0
無分別なればなんでもいい

916 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 01:35:43.69 ID:AeIo2qum
>>912
教えていません、にしたい。
石ころは観測している。
苦楽がある。
生死がある。

なぜなら、山がなだれを起こしたとしてそのエネルギーに石ころもご一緒しているな。
なだれは何かのエネルギーを受けて起きたのだ。

君はなだれで家屋を失い、泣いている。
泣くというエネルギーに変換されだとしても、そもそものそもそも
エネルギーのあれやこれやにだ。

「僕らはみんな生きている、生きているからうれしんだ、かなしんだ♪
みんなみんな生きているんだ、友達なんだ〜♪」

>>915
そこで、石ころと君は無分別に握手した(爆笑)

それがどうした。

つまらんのう。 釈迦はそないなこと教えたんか。

917 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 01:54:27.34 ID:+xPRWcB0
涅槃に分別は無い

918 :パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/05/11(日) 02:03:28.74 ID:2YansJP3
また、やってるのかい?www

「最初の観測者(人間)が、誕生するには、それ以前に地球が存在している
ことが必須。なぜなら、地球が存在していなければ、その最初の観測者が
誕生できないから。 ということは、観測者が存在していないのに地球は
存在していたことになり、→『存在に観測者の有無は無関係』 である。」

はい、終了www  いい加減に頭の悪い議論はやめんかいw
いまどき、人間原理など持ち出すアホはおらんぞww

919 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 02:10:23.90 ID:AeIo2qum
>>917
どう考えても、いかに悟ろうが、生死がある以上
分別はある。
分別なく生きていきている君が、死ぬ瞬間に
屁理屈ではない分別を感じるはずだ。
人生いろいろあって、なにもかも常ならんで、分別できないとしても
死ぬというのは、いかようにも、正直なところ分別でないのか。

920 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 02:12:32.66 ID:+xPRWcB0
>>919
生死は概念に過ぎず思いに過ぎない
事物に生死など元々無い
人は事物ではない、とでも言うのか
人も事物の一種に過ぎない

921 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 02:25:58.39 ID:+xPRWcB0
>>919
仏教の目的は一切の憂いから解脱する事である
即して仏道の目標は涅槃を自己に証する事である
それによって一切の憂いから超克出来るのである

元々概念でしかない死を憂い畏れる、それが無明の一つなのである

922 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 02:35:27.44 ID:AeIo2qum
>>920-921
君は今、自分の両手の指全部をへし折る事ができるか。

沈んでいった船にのっていた子供らの御遺体の共通は、
指が折れていたそうだ。
脱出しようと、もがき苦しむあり様の、生きようとするあり様の・・・。

生死などないのにね。 これで満足か。

923 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 02:40:15.61 ID:BtMj8g2a
【政治】米国に限定せず「密接な国」攻撃も対象=集団的自衛権、防衛出動を緩和 [5/10]
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1399731102/

924 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 02:45:09.32 ID:+xPRWcB0
仏教の議論に詭弁論証で挑む自体が間違っている

925 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 02:54:56.35 ID:9Hh5Uv2o
>>918
両者同時に発生したと考えるべきだろう。何故なら、観測前の地球(太古の地球)
の絵は、単なる想像画に過ぎないのだよw。

926 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 02:58:55.09 ID:AeIo2qum
>>921
>元々概念でしかない死を憂い畏れる、それが無明の一つなのである

では、少し譲るとして、
釈迦は生死を概念化することで、憂う事や恐れることを乗り越えろと、なぜ言ったのか。

いつまでポイントをずらせば気がすむのかね。

概念化に意味があるとするなら、
むしろひとりひとりの生を大事にできると考えたからではないのか。

927 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 03:06:10.64 ID:+xPRWcB0
>>926
釈尊の出家の動機は恐怖からの克服である
他者の幸不幸など後回しの話であり、あくまでも
自分主体に生滅のことわりに悩んで道に救いを求めたのである
そこに一人一人の生の大事小事などの考えは無かった筈である

その後、恐怖していた通りに釈迦族は滅亡をしている
人間に於ける死の盲執と恐怖を超克した釈尊が勝者たるのもこれに由来し
釈尊の残された言説は不死の法として今に伝わる

928 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 03:08:08.98 ID:9Hh5Uv2o
>>920
生死は概念ではない。何故なら、死者には概念は一切生じないから。
感覚器官、思考器官、記憶器官、運動器官の一切が消失した死後を、
生時のそれで思考するのは、全くのナンセンス。

929 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 03:10:36.89 ID:+xPRWcB0
>>928
そんな不可知論をどうやって知りえたのか、それこそナンセンスである

930 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 03:12:42.24 ID:AeIo2qum
>>927
前半は、釈迦の話しでなく、君の事だな。

後半の釈迦族の滅亡も、君の潜在的な恐怖心を代弁している。

最後の
>人間に於ける死の盲執と恐怖を超克した釈尊が勝者たるのもこれに由来し
>釈尊の残された言説は不死の法として今に伝わる

は、それまでの話しと何の脈略も無く唐突に現れているぞ。

931 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 03:22:56.85 ID:9Hh5Uv2o
>>929
死者に聊かでも感覚、思考、記憶、運動があったら、死体を火葬・埋葬することは
殺人罪になるよ。脳死の判定も許されない。火葬中に「熱い」と叫ぶ死体はいないw。

932 :パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/05/11(日) 03:33:26.15 ID:2YansJP3
>>925 wwwwwwwwwwwwwwwwww

>両者同時に発生したと考えるべきだろう。

は〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜??????www

地球と人間が、同時発生????
んじゃ、その発生時に人間はすでに「観測可能な状態で誕生」したわけだwwww

地球誕生時に人間はすでに現在のような形態を有していたわけだw
いや〜〜〜〜、知らんかったわww 
隠居は、創造論者だったんだwwwwww

933 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 03:37:43.92 ID:2hQnOpGu
>>930
四苦八苦が出家の動機、とは一般的には考えられている
四苦八苦は全て憂いである、憂いは畏怖や恐怖の別の面でもある

>>931
心を離した仮説をも想像できないのは精神の病持ちだからか?
自分の「生きてる実感」に固執し過ぎてやしまいか
火葬の豪火に燃やされるのが怖いか?死ぬのが怖いのか?
恐れようが恐れまいが人はやがてその時を必ず迎える
永遠に人である事は出来ないのだから、そんな詰まらん事にビビってないで
今を大いに楽しめば良いと思うがどうか、それが出来ないのはそう言う病に苛まれてるからではないのか
それ故のカタルシスを仏教批判・釈迦批判で満足したいなら好きなようにすればいい

934 :パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/05/11(日) 03:39:01.63 ID:2YansJP3
地球誕生時に、それと同時に人間が現在のように「観測可能な状態」で
誕生するということは、当然、その原因があるわなww

創造主の存在を認めるわけだw  進化論否定かwww

この隠れキリスト教徒めがwwww

935 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 05:58:53.72 ID:pJpEKCrM
>さらに補足しておくと、「公案」というのは、
ある行者が言うには、「頭を真っ白にするもの」  www
ということらしいw


ウーーん、違うな。トーレニングだろうw
>そこにたどり着く過程こそがポイントw
だからこそ、それを観る師匠の存在が必須であり、

過程?んなわけねだろうwハッタリの仲間だな。

こんな掲示板で
時々、公案だしてお師匠さんごっこをやりたがるバカがいるが、
そんなのは論外だと思うねwww


それは正解、故に否定しかしてやらない、それしかやりようねえだろう?w

936 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 06:11:24.60 ID:qk+o8Tp6
>>903
その様なものは『理解』の定義一つだ(胸中三寸)。お遊戯だww

937 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 12:13:16.61 ID:ZhCjfYS3
死を迎えれば無意識の状態が無限に続くが意識が無いので
何の恐怖もない。生きている時の死の恐怖とは脳が見せる
幻である。幻覚、幻聴は脳に酸素を汲々するための映写器
のようなものなのだ。勿論この世事態が。それは地球の自然活動が弱まってエネルギーを使わない
から人類が誕生した。勿論マグマや大噴火が起これば人類は必要ない。隕石に
よるエネルギーが恐竜という生物を絶滅させた。それは
草や木が爆発で半減したからである。当然消費している
恐竜は必要ない。

938 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 12:48:10.60 ID:J6cNmx1Y
>>911
それは観測者が観測することによりこの世界とかかわっていく
ということを表しているだけで
この世界の有無には関係ないんじゃないかと
観測者がいなければこの世界は無い
とでもいいたそうだけど
観測者こそは未来とその結果を予測しその行動を選ぶ
という、君の否定する 分別そのものの存在だろう?

939 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/05/11(日) 13:16:50.89 ID:SHV3b/oV
>>869
>根拠は言葉の起源に拠る。

言葉の起源というのも難しい。
例えば「歩く」という言葉を事例に出すなら、その前提として「歩いてない状態」があるだろう?
「歩いてない」というのは、歩いている状態を前提としなかればその意を喪失してしまう。というような
矛盾を含むものが言葉という。そういう言葉自体の定義をせねばならんでしょうね。

このように言葉自体を根拠とする論理構築それ自体において矛盾性を含み、
やがて西洋哲学の衰退ということになってくる。

真面目な哲学者ほど真剣になって深く考えたりするもんだから、哲学者はやがて気が狂うだろう?
とか、世間一般ではそのようなイメージを有していたんだね。

そういう経過を経て、そしてニーチェが登場する。
ニーチェ論の正誤は二義的である。
重要なのは、彼において西洋哲を考える切っ掛けを作ってくれた。ということだね。
図らずもそれは印哲に接近したかのような印象さえある。
それをどう解釈するかは人それぞれだろう?

言葉(言語)の矛盾性は西洋哲・印哲に共通している。
また人が思考する、というのが言葉(言語)に依る。というのも避けられない。
なんとしたことか?根本的命題がここにあるではないか!!
こういった興味ある話しを少しづつ書き込みしていきます。期待していいです。

940 :コレ悟りかよ!?w:2014/05/11(日) 13:24:52.01 ID:MjRUED4+
>>934
進化論は間違いです。
生命が宇宙を創造したのです。

その最初の生命をキリスト教では神と呼び、仏教では仏と呼びます。
これがご隠居の生命教とわが教団の最新の見解です。

941 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 17:23:09.91 ID:juv9l0Ky
仏、法、僧は神の展開なのですよ。
地球というプログラムは、人間世界において、このように見えている。
しかし展開では違うのですよ。
しかも、この仏=魂は、輪廻しているのです。
この神の世界から消滅するのが仏教でしょう。

942 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/05/11(日) 17:25:45.06 ID:SHV3b/oV
>言葉(言語)の矛盾性は西洋哲・印哲に共通している。

例えば「自分探し」というフレーズが一時期流行ったことがある。本当にそんなこと出来るのか?

自分というのは認識の主体であって、自分というのはけして知り得ないものである。というのが一般的だ。
何故なら認識の主体は認識の対象には成り得ないからだ。
これは最もポピュラーな哲学的結論なのだ。
もしも仮に自分が認識されたとしても、認識している主体は何処にあるのか?
認識の主体とは自分のことなのだ。

つまり自分というのは、何処まで追い掛けても、たえず自分からすり抜けてしまうのだ。
自分というのは知り得ない。知り得ないことこそが本質的なものと考えていい。

で、実はこのことをハッキリ見てとることができれば、実は自分という存在から距離を置くことができる。
距離を置くとは、つまり自分に翻弄されることもなくなる、という意味で捉えて良い。
このようにして、自分と対極である世界というのを冷静に見つめる目をもつに至る。
つまり、解脱というのはこのような論理体系を有している。

で、私がここまで書くと人はあることに気づくかもしれない。
「禅とは自省」することではないかと。しかし私はこのように言うであろう
「言葉には必ず矛盾性があるのだ」。と

943 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 17:33:39.04 ID:juv9l0Ky
>>942
そのとおり!
仏教は対象化だけでなく、感官の制御をして、主体の解脱を促すのです。

944 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 17:36:56.25 ID:Ps4H0e6u
>>938
>観測者がいなければこの世界は無い
>とでもいいたそうだけど

存在論を語っているのではありませんよ。
観測者がいなくても存在しているでしょう。
しかし、観測者がいないで存在していてもその存在を観測するものがいないのだから
ただ存在しているというだけですねえ。
宇宙を考えたりするものがいないのだから、ただ存在するだけ。
しかし宇宙は広い。地球以外にも知的生命体は有る可能性の方が遥かに大きい。
確実に有るとも言える訳で、そうなると観測者は地球人だけとは限らない事になる。

それと、私は分別肯定派で無分別否定派ですw

945 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 18:02:53.18 ID:AeIo2qum
>>942

>自分というのは認識の主体であって、自分というのはけして知り得ないものである。というのが一般的だ。
>何故なら認識の主体は認識の対象には成り得ないからだ。

ならね、

>>939
>例えば「歩く」という言葉を事例に出すなら、その前提として「歩いてない状態」があるだろう?
>「歩いてない」というのは、歩いている状態を前提としなかればその意を喪失してしまう。

机氏のこの話はおかしいのだよ。
西洋哲学が行き詰っているのではなく、君の頭が行き詰っているのだよ。

君は歩き始めた時、歩けないということを前提にして歩いていないのだ。
認識の対象にしないで歩いただけだ、君は。
前提はなかったのだ。

認識の主体と言うのは、前提などない。


歩ける 歩けない、
つまり歩けないから歩けたり
歩けるから歩けないのではない。

別の話しなのだよ。 西洋哲学はそのような混乱はない。
だから科学することができたと言っても良い。

946 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 18:13:19.38 ID:AeIo2qum
ここのスレ人のある方々に対して思っていたのだが、

苦にかんしてもそうなんだ、勘違いしていないかな。

君は楽を感じるから、楽と言う前提があるから苦を感じたのか。

よく考えたまえ。

楽の状態があるから苦を感じたのか。

違う。

苦を、わかりやすくする為に取りあえずでも、肉体で考えて御覧。

(肉体と精神は関係している)

君が海でおぼれそうな時、その苦しみは楽があるから苦しいのではないだろ。

947 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2014/05/11(日) 18:21:09.66 ID:SHV3b/oV
>>945
>君は歩き始めた時、歩けないということを前提にして歩いていないのだ。

歩き始めた以前は「歩いていなかった」。
つまり「歩く」とは「歩いていない」という相反において成り立つ概念なんだよ。
これは論理学の基礎的なものです。

勿論私は、このようなビギナー段階を書き込みするつもりはないよ。
中学生の授業をしている訳ではないのですから。
もっとアカデミックな内容です。
ですからそれなりのレスポンスでなければ、私はスルーするかもしれません。

948 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 18:22:35.82 ID:AeIo2qum
生き物というのは、生きようとするそれが大前提だ。

理屈ではなく、生きようとするのだ。

楽があるから苦しいのではなく、

生きようとする、呼吸しようとする、

生を阻害される、呼吸を断たれる、それを苦しむのであって、

楽があるからではない。

949 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 18:38:27.58 ID:AeIo2qum
>>947

>もっとアカデミックな内容です。
>ですからそれなりのレスポンスでなければ、私はスルーするかもしれません。

爆笑、机氏がいつもいつもあまりに幼稚なのでレスしていのだが。

>歩き始めた以前は「歩いていなかった」。
>つまり「歩く」とは「歩いていない」という相反において成り立つ概念なんだよ。
>これは論理学の基礎的なものです。

概念として成り立つ。

それがどうした。 リンゴ3個とみかん2個はたすことはできるか(爆笑)
りんごとみかんをたすことなどできない。
しかし抽象概念として5個になるのだよ。

苦と楽も概念しているのだ。

しかしな、ここに君の行き詰まりがある。
りんごとみかんは、物質であり抽象化は簡単である。
しかしその実態はいまだ科学実験室でも足す事などできないのでないか(笑)

まして、精神分野の苦と楽だ、たしかに概念化するのはアホでもできるが
実態としては、無関係である。
苦は苦であり。
楽は楽である。

950 :938:2014/05/11(日) 19:38:03.50 ID:J6cNmx1Y
>>944
失礼しました(^^ゞ
わしも観察者はいたるところに居てこの世界にかかわってると
おもってます

951 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 19:41:41.74 ID:XO12Tmo7
『私』なんかねーよ、バーカという釈迦なら、私をどう定義するだろうか?
私=便宜上の呼称でいい?

952 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 19:50:44.32 ID:XO12Tmo7
『私』がないなら誰が輪廻すんねん、バーカ、バーカと釈迦は言う

953 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 20:08:09.77 ID:XO12Tmo7
>>948
生き物は生きているだけで心地よしの境地がある。
チラ見するだけでそれは喜びに変わる。
これ基本。

954 :十牛図の悟り:2014/05/11(日) 20:29:58.01 ID:lWu8EYto
自分で自分を見ることによって悟る。
 
十牛図を見ればそれがわかる。まず最初の出会いはB見牛である。
牛はもう一人の自分であり、唾棄すべき自分である。
 
次の出会いはG人牛倶忘である。
これこそが本来の自己、霊魂に他ならない。
 
理屈では悟れない。理屈を超えたところに悟りがある。
だからこそ、止行、観行がある。
自分では自分を見れない、と言っているうちは、凡夫でしかない。

955 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 20:31:32.74 ID:XO12Tmo7
故に言葉のロジックにより生なんかねーよ、バーカ×3と釈迦に言われようが、
生というものは有る。苦とは肉体的、精神的圧迫であり外圧によるものである。
ただし、精神的圧迫に関しては気にならない(=滅)までもっていける。
手っ取り早いのは外圧から離れる(接触しない)だが、離れられないなら
対峙する以外、滅にはもっていけないのである。

956 :十牛図の悟り:2014/05/11(日) 20:41:15.10 ID:lWu8EYto
自分では自分を見れない、と言っているのは中論か。
しかし、すでに有無の話で、中論のカン違いを指摘しておいた。
もはや中論を根拠にした主張は成立しない。
 
止観の実践において、自分で自分を見ることがありえる。

957 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 20:45:40.36 ID:4SYnT2Ki
魂を信じると終了(知識として)
有象無象の平凡カルト

958 :十牛図の悟り:2014/05/11(日) 20:49:01.46 ID:lWu8EYto
>>955
出世間は外圧を避ける方法のひとつだと言える。
経済的に可能なら、ニート、引き籠りが最良の方法かもね。
ただし、気が緩み、悟りが遠のくかもしれない。
ほどほどの苦は必要だろう。

959 :十牛図の悟り:2014/05/11(日) 20:53:46.12 ID:lWu8EYto
>>957
魂を信じろとは言わないが、
神や魂の存在を前提にして、理論構築をした方が真理に近くなる。
たとえば、プラトンは真理に近く、
霊魂を否定したアリストテレスは真理から遠ざかる。

960 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 20:59:57.07 ID:SYMbjiLe
test

961 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 21:00:28.59 ID:4SYnT2Ki
理屈抜きにしたり理論構築したり支離滅裂だな
病院で診察受けて来い

962 :十牛図の悟り:2014/05/11(日) 21:07:06.31 ID:lWu8EYto
このスレはむしろ、無我を信じる有象無象が多すぎ。
 
無我を信じているはずなのに、このスレに書き込み、
相手を罵り、自分の考えが正しいと果てしなく争っている。
ここは我利我利亡者の巣窟ではないか。

963 :大智度論 五道輪廻:2014/05/11(日) 21:10:12.96 ID:58c+wkVk
菩薩は、天眼を得て衆生の五道に輪転して、その中に迴旋するを観るに、天中に死して人中に生じ、
人中に死して天中に生じ、天中に死して地獄中に生じ、地獄中に死して天上に生じ、天上に死して餓鬼中に生じ、
餓鬼中に死して、また天上に生じ、天上に死して、畜生中に生じ、畜生中に死して天上に生じ、天上に死して、
また天上に生じ、地獄、餓鬼、畜生も、またかくの如し。
欲界中に死して色界中に生じ、色界中に死して欲界中に生ず。 欲界中に死して無色界中に生じ、
無色界中に死して欲界中に生ず。 欲界中に死して欲界中に生じ、色界無色界もまたかくの如し。
活地獄中に死して黒縄地獄中に生じ、黒縄地獄中に死して活地獄中に生じ、活地獄中に死してまた活地獄中に生じ、
合会地獄乃至阿鼻地獄もまたかくの如し。炭坑地獄中に死して沸屎地獄中に生じ、沸屎地獄中に死して炭坑地獄中に生じ、
炭坑地獄中に死してまた炭坑地獄中に生じ、焼林地獄乃至摩訶波頭摩地獄も、またかくの如く、展転してその中に生ず。
卵生中に死して胎生中に生じ、胎生中に死して卵生中に生じ、卵生中に死してまた卵生中に生ず。胎生、湿生、化生もまたかくの如し。
閻浮提中に死して弗婆提(ふばだい)に生じ、弗婆提中に死して閻浮提中に生じ、 閻浮提中に死してまた閻浮提中に生じ、
劬陀尼(くだに)、鬱怛羅越(うったんらおつ)も、またかくの如し。

964 :十牛図の悟り:2014/05/11(日) 21:11:22.85 ID:lWu8EYto
>>961
このスレは、お前みたいのが多いね。
相手の話を理解するのではなく、表面的な言葉だけにかみつく。

965 :大智度論 五道輪廻:2014/05/11(日) 21:11:51.72 ID:58c+wkVk
>>963
四天処に死して三十三天中に生じ、三十三天中に死して四天処に生じ、四天処に死してまた四天処に生じ、
三十三天より、乃ち他化自在天に至るまで、またかくの如し。梵衆天中に死して梵輔天中に生じ、
梵輔天中に死して梵衆天中に生じ、梵衆天中に死してまた梵衆天中に生じ、
梵輔天、少光天、無量光、光音、少浄、無量浄、遍浄、阿那跋羅伽(あなばつらが、無曇天)、
得生、大果、虚空処、識処、無所有処、非有想非無想処も、またかくの如し。非有想非無想天中に死して阿鼻地獄中に生じ、かくの如く展転として五道中に生ず。
菩薩は、これを見おわりて大悲心を生ずらく、『われは、衆生に於いて、為に益する所無し。世楽を与うといえども、
楽極まれば則ち苦なり。まさに仏道、涅槃の常楽を以って、一切を益すべし。云何が、而も益せん。まさに大精進を懃めて、
乃ち実の智慧を得べし。実の智慧を得れば、諸法の実相を知らん。余の波羅蜜を以って助成し、以って衆生を益せん』、と。
これを、菩薩の精進波羅蜜と為す。
(参考:つばめ堂通信、龍樹「大智度論」、第十六之上、五道輪廻)

966 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 21:14:36.70 ID:4SYnT2Ki
>>956
くだらね
見えないのに有るや無いとかいう
言葉遊び 見解を捨てろということだろが

967 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 21:16:04.64 ID:4SYnT2Ki
>>962
で あんたはここで何やってる?

968 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 21:16:36.44 ID:XO12Tmo7
>>958
達磨は究極のニートかもしれない。
ニートは恐怖に対峙することを知らないと思う。故に悟り無理。
ただし、人に対しては対峙しない方がいい。ろくなことにならない。

969 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 21:17:16.29 ID:SYMbjiLe
>>934
>創造主の存在を認めるわけだw  進化論否定かwww
>この隠れキリスト教徒めがwwww

創られた者が、創った者を判るわけないだろう。茶碗もソフトも、その製作者
を判別できないが如し。

進化論とは、知覚した自然環境に適応して「生きる」ための努力の歴史。

煩悩も分別も有無の判断も、「生きる」ために不可欠な生命の機能。「排除
すべき異物」などではない。

この不可欠性に思い至らなかった釈迦やイエスは、まさに無明の典型であった。
生物としての欠陥品である。

970 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 21:32:06.59 ID:XO12Tmo7
俺わりと高所恐怖症だから断崖絶壁の夢をたまにみる。
夢と認識した時点で自ら一気に飛び降りるとおもしろい現象を体験できる。
極度の高所恐怖症なら或は一気に悟ってしまえるかもしれない。
実体験以外でどこまでという気もするが、やる価値はあるよ。

971 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 21:44:43.19 ID:SYMbjiLe
>>946
>君が海でおぼれそうな時、その苦しみは楽があるから苦しいのではないだろ。

人間は、酸素によって「生きる」という楽があるから、酸素の供給が絶たれると
苦しいのである。例外なく、必死で酸素を吸おうとする。やはり相対的である。
人間が魚であれば、海中で溺れない、即ち地上に上げられることが苦であるw。

すべての苦は、「死への恐れ」から生じるといっても過言ではない。例えば、
村八分が苦しいのは、生存に必要な物資やサービスの供給の停止の恐れによる。

972 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 21:56:22.60 ID:9L7bdsUY
現れの本質は空である。このことに気付く以前なら
ID:SYMbjiLeさんのような見解になるとは思う。
かつての私がそうだったから。

973 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 21:58:34.05 ID:SYMbjiLe
>>956
>止観の実践において、自分で自分を見ることがありえる。

観察主体と客体とが同一だから、観察の正さの担保は「ゼロ」であるw。観察
自体がナンセンスで、初めから成り立たない。

我を見ている我は、もう一人の我、そのもう一人の我を見ているのは、さらに
もう一人と我、と無限に連続し、結局は、我の主観に過ぎない。

974 :パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/05/11(日) 22:03:01.24 ID:2YansJP3
>>969 wwwwwwwww また得意の論点ずらしかいw

地球誕生と同時に人間も誕生したと言ったよな? お前はw
その時点でもう進化論否定なのw  それさえもわからないくらい科学に
疎いの? このバカはwww

進化を認める・・・・ということは、(ざっくりいうと)
単細胞生物から始まって、段階的に高度な生物へと形態を変容し、
その過程で「知覚認識機能も身に着けていく」・・ということを受容することw

ところが、お前は地球誕生と同時に「知覚認識機能を備えた」現在の人間が
誕生した・・・と、こういうわけだw
これはもう、科学分野では全く許容されない説なのw  わかる?ww
唯一、それを許容するのは、お前が大嫌いな「宗教の世界」だけなんだよwww
そう、キリスト教ねwww

そもそも、お前の大好きな「人間原理」の主張者も、キリスト教の牧師で
「神の存在証明」のために、それを使ったという歴史も知ってるよな?www

この隠れキリシタンがwwwwwww

975 :十牛図の悟り:2014/05/11(日) 22:05:08.19 ID:lWu8EYto
無人島へ行けば無くなるような苦楽が「空」になる。
逆に言えば、世間的なものが空。
それ以外は空にならない。
  
無人島で溺れたら苦しいだけ。たぶん死んでしまう。

976 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 22:05:32.69 ID:l/HQx36g
>>971
ワロタw

>酸素によって「生きる」という楽
生きることに苦を感じる場面に、多くの人が遭遇してると思うが?(´・ω・`)



なんつーか、もう、滅茶苦茶やなw

977 :パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/05/11(日) 22:09:15.04 ID:2YansJP3
しかし、「地球誕生と同時に人間も誕生した」・・・・などという
トンでも説を唱えるバカが、よくもまあ、
「釈迦は2500年前の古代人であり、現代科学の知見に基づいてその言動を
批判すべき」  などと言えたものだwwww

小学校の理科から勉強しなおしてこい、アホwww

978 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 22:12:11.01 ID:SYMbjiLe
>>974
単細胞生物も、知覚認識機能が無い、などとは言えない。細菌でも、同じ抗生
物質を継続的に投与すると、それを知覚して薬剤耐性を身につけるという、驚
くべき生存本能を有する。

979 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 22:16:54.03 ID:9L7bdsUY
>>987
そうです。単細胞生物もわれわれと本質は同じなのです。

980 :パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/05/11(日) 22:18:04.14 ID:2YansJP3
>>978 wwwwwwwwwwww

は〜〜〜〜〜〜?????
単細胞生物が、どうやって「地球の存在を知覚認識」するの????
そのシステムを是非ここに提示してくれww
間違い無くノーベル賞もんだぞww

それより、もう話がブレてるぞwww
地球誕生と同時に誕生したのは、単細胞生物なの?  それでいいの?ww
知覚認識機能を備えた人間じゃなかったのかよ?

はい、どっち?www

981 :十牛図の悟り:2014/05/11(日) 22:18:22.20 ID:lWu8EYto
>>973
だから自分で体験する以外にない。
その方法が四諦八正道、縁起の理法などになる。
 
我の連続は実際には生じない。
反省することは、自分自身を覗き込もうとする作業である。
この場合は二つの我が背景にある。
 
まず外部に向いた通常の我がある。次に夢の中に登場する我がある。
さらに魔境で出会うアラヤ識がある。もうひとつ霊魂がある。
合計四つになる。意識は、アラヤ識を除き、三つの我を体験できる。

982 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 22:20:38.33 ID:9L7bdsUY
われら生じては滅する有情のものは、海面の泡沫のようなものです。
その本質はすべて同じ海なのです。

983 :十牛図の悟り:2014/05/11(日) 22:29:45.94 ID:lWu8EYto
>>970
飛び降りた瞬間に夢から覚めたのと違う?
 
自分の場合は、映画のETにあったように、自転車に乗ったまま空中に
浮かんだことがある。気づいたら浮いていた。浮いたことに感動した ♪

984 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 22:33:06.01 ID:XO12Tmo7
人生とは夢ではないが夢のようなもんだ。
だから何事もそんなに気にしなくていい。
気になることが簡単なことならやってしまって片付ければいい。
心にわだかまりを残すことなく、あとは縁起フォースにおまかせする。

985 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 22:34:37.64 ID:9L7bdsUY
自分は4歳の時に、仮面ライダーになりきって、階段の上から飛び降りたw
顔面を強打し我に帰ったわけだが。。
40年の歳月も夢のごとし。

986 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 22:37:45.04 ID:XO12Tmo7
>>983
そうそう。浮くw俺の場合は想像上のUFOのような動きでジグザグに上下
したw

987 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 22:46:47.77 ID:4SYnT2Ki
もう手遅れだったんだね
すまんかった

988 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 22:48:20.45 ID:juv9l0Ky
>>981
体験する主体が我だということに気づけないんだろうね

989 :十牛図の悟り:2014/05/11(日) 22:50:35.83 ID:lWu8EYto
あまりにも苦しい時は、世間体を無視、思いっきり
退却するのも有りだろう。
自分の場合は、散歩をし音楽を聴いていた。
いまもモーツアルトをBGMにして毎日聴いている。
モーツアルトには癒し効果がある。

990 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 22:54:06.01 ID:XO12Tmo7
>>985
俺も子供の頃は飛びまくったよ。
たぶん高所恐怖症はその頃の刷り込みが入ってる。
無自性故の刷り込みは恐ろしいw

991 :十牛図の悟り:2014/05/11(日) 23:03:19.81 ID:lWu8EYto
>>985
笑っちゃ悪いけど笑ってしまった。
 
子供のころは、夢と現実が一体になっていたような気がするね。
その方がもしかして真理に近いと感じる今日この頃。

992 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 23:04:58.71 ID:XO12Tmo7
>>989
実際、暇以外の苦などあるのだろうかと思いつつ
音楽聞いたり、カキコしたりしてますw

993 :十牛図の悟り:2014/05/11(日) 23:16:12.08 ID:lWu8EYto
ヒマがあり過ぎるのもよくない。
小人閑居して不善をなす、というから気をつけないと。
いまは漢字の練習をしている。
パソコンばかりやってると、漢字を忘れるし、下手になるね。

994 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 23:21:08.53 ID:k2VIDHxU
安倍首相「有名な憲法学者」の名にポカン 「芦部信喜知らないって…」支持者もドン引き
http://fox.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1399805161/

995 :神も仏も名無しさん:2014/05/11(日) 23:23:28.02 ID:XO12Tmo7
>>993
漢字とか諦めの境地ですよw
根本は暇苦かも。暇だからいろいろやっちゃう。やがて欲望や貪りが…
まぁカキコさせてもらうのはありがたいことです。
他の人には迷惑この上ないことでしょうが…

996 :十牛図の悟り:2014/05/11(日) 23:40:48.83 ID:lWu8EYto
>>995
いえいえ、楽しかったですよ。
ほかの方も、絡んできた方も、今宵はよい夢を見ませふ。
外には満月(8/15)に近づいた月 オチ

997 :十牛図の悟り:2014/05/11(日) 23:53:43.40 ID:lWu8EYto
8/15じゃなくて5/15だったw。
満月前後の月見は毎月やっている。楽しみのひとつです。

998 :神も仏も名無しさん:2014/05/12(月) 00:00:21.37 ID:gU0ozdp0
>>973
>観察主体と客体とが同一だから、観察の正さの担保は「ゼロ」であるw。観察自体がナンセンスで、初めから成り立たない。

自我とはゼロであると、自ら答えを出している

999 :神も仏も名無しさん:2014/05/12(月) 01:15:44.45 ID:DXVAs1FH
>>998
「無我」などと、対象化できない我を対象化する釈迦のほうが、「有我」論者だね。

1000 :神も仏も名無しさん:2014/05/12(月) 01:18:36.43 ID:DOkwv3v+
鶴は1000年

1001 :1001:Over 1000 Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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