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親父の通夜の時の話をしてみようと思う。

1 :愛と死の名無しさん:2009/12/27(日) 22:37:39
先日、親父が死んだ。
60歳だった。
今の平均寿命から考えると、少し早い死だったと思う。

2 :愛と死の名無しさん:2009/12/27(日) 22:40:15
死因は肝硬変⇒肝臓癌と言う王道。
自分が物心ついたころから毎晩酒をたらふく飲んでいた結果だろう。
一度肝硬変で入院したあとも、
酒をやめずに飲んでいた。
まぁ、当然と言えば当然の結末なわけで。

3 :愛と死の名無しさん:2009/12/27(日) 22:44:53
で、通夜の話をする前に、軽くうちの家庭環境を話しておこうと思う。
俺が小学校入る頃までは
家族構成は親父、おふくろ、兄、祖母、俺の5人家族。
祖母は小6の頃に他界した。

親父は小さいながらも自分の会社をボチボチやっていた。
俺が小学校に入る前くらいまではそこそこ景気もよく
会社は繁盛していたみたいだった。

けれども、いつの頃からか暗転。
小学生ながらもうちが目に見えて貧乏になっていくのが分かった。


4 :愛と死の名無しさん:2009/12/27(日) 22:48:18
貧乏自慢をするつもりはない。
自分よりももっと過酷な生い立ちを持っている人は多いと思う。
うちは、貧乏といっても、兄貴も俺も普通に高校(公立だが)
を卒業するまでは面倒見てもらっていたのだから。

でも、自分も結婚して、子供ができて思うのだが、
子供を育てるのには相当金がかかるもんなんだなと思う。


5 :愛と死の名無しさん:2009/12/27(日) 22:51:10
景気が悪くなろうが、会社が傾こうが、
親父には関係なく、毎晩飲んでいた。
外で飲むこともあったし、自宅で夕食を採るときは必ず晩酌していた。
昔の頃の記憶なので定かではないが、
普通に大瓶3本+ウィスキーやら焼酎やらを飲んでいたと思う。
兄貴や、俺も、酔っ払った親父の相手をさせられていた。

6 :愛と死の名無しさん:2009/12/27(日) 22:53:34
二日酔いの時は、布団の中で
「冷たい水を注いできてくれ」
と言うことも多々あった。

俺も高校を卒業するまでは、そんな行動がよく分からなかったが、
大学に入学して、ある程度酒が飲めるようになると
親父の気持ちも少し分かるようになった。

結局、親父は肝臓癌で死んだ。
肝硬変で入院したにもかかわらず、
毎晩酒を飲みすぎた結果であり、
好きなことをして死んだのだから本望だろう。


7 :愛と死の名無しさん:2009/12/27(日) 22:54:55
じーちゃん(親父の親父)は肺がんで死んだ。
じーちゃんはタバコが好きだった。
うちの実家はばーちゃんがタバコ屋をしてたせいで、
当時、3〜4歳くらいだった俺に
「タバコを持ってきてくれ」
と、こっそり言っていた。

見かねた親父はじーちゃんに
「早く死にたいなら、タバコを吸ったらいい」
と言ってた。
親父が肝硬変で入院した後、
「早く死にたかったら、酒を飲めばいい」
と言ってみた。
笑って聞いていたけれど、本当にその通りになった。
自分は、子供にそんなことを言われないようにしようと思った。


8 :愛と死の名無しさん:2009/12/27(日) 22:56:31
俺もビールが好きなのだが、
親父も同じだった。
特にスーパードライが好きだった。
きっと、たいして味も分かってないくせに、
「これが一番旨い、一番絞りは甘すぎる、ラガーは云々・・・」
と酔っ払ってよく言ってた。

棺おけの中に入った親父の唇を湿らすのには
水ではなく、スーパードライで用をたした。
生きてたら「ぬるい!」とぶーたれてただろう。

9 :愛と死の名無しさん:2009/12/27(日) 23:01:27
話が行ったり来たりで分かりにくくて申し訳ないが、
もう少し書き綴ろう。

貧乏な家庭だったが、兄貴(4歳年上)が大学に入学する頃に
新規事業?として、カラオケ屋を始めた。
東京の私立大学(世間一般的に名前を出しても恥ずかしくないほどのレベル)
に行き、一人暮らしを始める兄貴への学費や仕送りのことも考えて
始めたみたいだが、これが大当たり。
カラオケのブームにも乗って、がっぽりともうけたらしい。
けれども、それもつかの間、
逆に自分が大学に入学する頃には借金だけが膨れ上がっていた。
今思えば、単純に親父には商才が無かっただけなのだろうと思う。
あまりにも計画がなさすぎる経営だったからなぁ・・

10 :愛と死の名無しさん:2009/12/27(日) 23:08:14
でも、まぁ、なんとか自分も無事大学を卒業して
(学費。生活費はバイトでなんとかした)
就職。

数年働いて、結婚。
子供もも生まれて幸せを感じていた頃に親父が突然入院。
ある日半泣きのおふくろから
「お父さん、肝臓がんが末期で、もう長くないって・・・」



11 :愛と死の名無しさん:2009/12/27(日) 23:09:51
日曜日の午後で、子供と一緒に公園で遊んでいる時だった。
頭が混乱して、何を言ったかは覚えていない。

親父が死ぬ1週間くらい前までは、うざいと思うくらい
頻繁に携帯にメールが届いていた。
入院してて退屈なんだろうと思って、
娘の写真を添付して返信してたりした。

そのメールがパタリと止んだ。
電話にさえ、出なくなった。


12 :愛と死の名無しさん:2009/12/27(日) 23:13:29
おそらく、この頃には、親父は自分の運命が分かっていたんだろう。
癌の告知はされていたのだけれど、
末期であることや、余命については話されていなかった。
けれども、分かったのだろう。
急に不安になった。

週末を利用して、兄貴の家族と一緒に親父のお見舞いに行くことにした
兄貴も、俺も実家を離れていて
飛行機を利用してでしか、実家には帰れないところに住んでいた。


13 :愛と死の名無しさん:2009/12/27(日) 23:14:19
病室に着く。
親父と対面。
そこには酸素吸入マスクをつけられ、
目こそ開いているものの、意識があるのかどうか分からない。
呼びかけに対しても反応を示すこともない
変わり果てた姿の親父がいた。

こんなに悪くなっているとは思わなかった。
後悔の念と、原因がつかめそうでつかめない罪悪感のようなものも感じた。

主治医から説明を受ける。
説明が下手くそな医者だった。

結局、状態はかなりやばいってことで、
それをオブラートに包むように、自己防衛をしつつ
なんだかんだ言うから、義姉&嫁(看護師)がイライラ。
なぜか、冷静にそれを見つめてた。
自分は冷たい人間なんだろうかとも思った。


14 :愛と死の名無しさん:2009/12/27(日) 23:17:55
朝から何も食べてなかったので
兄貴と義姉、うちの家族で近くのうどん屋へ食事をしに行った。
その間に、親父は死んだ。

あっと言う間もなく、あっけなく。

死んだ親父を見て「親父!親父!」と叫ぶ兄貴を見て、
ドラマの一場面みたいだけれど、
実際はこんななんだ・・・とわけの分からんことを考えてた。
色んなことが頭をよぎるけれど、
不思議とこの時は涙も出ないし、
悲しいと言う気持ちもあまりなかったように思う。

15 :愛と死の名無しさん:2009/12/27(日) 23:19:38
がっつーんと悲しくなったのは
自宅に親父を連れて帰って、
娘と一緒に話しかけていた時。

生前(俺も兄貴も結婚する前)
「お前らの子供に女の子ができたら、ものすごく可愛がって、じーちゃん、じーちゃんて言ってもらう」
って言ってたことを思い出した。
まだまだやりたいこと沢山あっただろうな・・・
そう思うと涙がこらえきれなくなった。
色々なことが一段落して、育った海沿いを散歩していると
公園で孫娘をブランコに乗せている近所のじーちゃんの姿をみたら
また、泣けてきた。
きっと、こんなことをしたかったんだろうな。

16 :愛と死の名無しさん:2009/12/27(日) 23:22:09
通夜の晩はかなり飲んだ。
皆、適当な時間には眠ったのだけれど、
最後まで兄貴と二人で、親父の枕元で悪口を言いってやった。
翌日、話すと、大半は俺が悪口を言ってたみたいだけれど。

親父のことを好きではなかった。
お世辞にも尊敬できる親父ではなかった。
もちろん、感謝はしている。
けれども、幼い頃からの思い出の中にある
一つ一つの彼の行動について
大人になった今、考えると
なんとも身勝手で、自分たやりたいことだけやってる。
そんな風に思えて仕方がなかった。


17 :愛と死の名無しさん:2009/12/27(日) 23:23:34
よく親父と言い合いになったことがあった。
「お前より、兄ちゃんの方が勉強してた」
いや、そんなことない。
俺の方が絶対努力してた。
で、そういった言い合いをする度に、
俺は認めてもらってないんだな・・・と言う気持ちになっていた。

自分も親になった今、色んなことを含めて考えると、
親父のことを嫌っていたひとつの原因はここにあるのかもしれない。
自分を認めていない。
おそらく親父的には、そんなことは考えていない発言なんだろうけれど、
一言
「お前の方が勉強してた」
の言葉がほしかったのだと思う。

18 :愛と死の名無しさん:2009/12/27(日) 23:25:15
子供を育てるのに、道徳やら勉強やらは二の次でいい。
ただ
「世界中で一番愛しているのはお前だよ」
と言うことを感じさせてやることができれば
真っ直ぐに育つ。。
それは兄弟でも隔たりなく
全て平等に。
人は誰もが認められたいと思って生きている。
生まれてからは両親に、
それから恋人に
夫・妻に・・・
会社の上司に・・・・
友人に・・・

そうやって認められることこそ生きている証だと思うし、
それは単純に嬉しい。
誰でもそうだと思う。

19 :愛と死の名無しさん:2009/12/27(日) 23:30:55
で、通夜の時の話なんだけれど、
兄貴は実家を離れて、最近家を購入したらしい。
そんなに収入もないくせに、住宅ローンでヒィヒィ言ってるのを聞く。
受験を控えた子供もいるからとにかくお金が無いらしい。

遺伝なのか、兄貴もビールが好きなのだけれど、
ビールは高くて飲めないから、晩酌の時は必ず発泡酒を飲んでいたらしい。
そんな時、親父から電話があって、
「ビール飲めないなら、ビール券送ってやるからそれで買えばいい」
って送られてきたらしい。
ちなみに、何度も言うけれど、うちは結構貧乏な方なので、
親父からしてみれば、ビール券も結構大切なものだと思うんだよね。
(肝臓壊しているのに毎晩飲んでるし)
まぁ、カラオケ屋やってたから、付き合いとかで
もらったりする物なのかもしれないけれど。
とにかく、それを兄貴に2万円分くらい送ってやったんだって。
でも、兄貴はそれは使わずに、
新しく建てた家に親父がに遊びに来たときに、
それでスーパードライを買って一緒に飲もうって決めてたらしい。
でも、結局それは果たせなかった。
兄貴の家に遊びに行く前に親父は逝った。

20 :愛と死の名無しさん:2009/12/27(日) 23:33:09
そのビール券は、通夜の時に使われた。
「にぎやかなのが好きだった親父からのおくりものです。飲んで騒いでください」
通夜に来てくれた方々に向けての兄貴の一言が響いた。

そんなことを想いながら、
今夜はスーパードライを飲んだ。
辛口だった。

以上。
長々とスマソ
酔っ払いのたわ言だと思ってもらえればいい。

21 :愛と死の名無しさん:2010/01/31(日) 12:58:11
通夜は一番辛い
骨になってしまうとなんとなく諦めつくんだが

22 :愛と死の名無しさん:2010/07/05(月) 18:07:41
test

23 :愛と死の名無しさん:2011/05/18(水) 20:21:31.54
孫の顔見せてやりてぇな
いや嫁の顔だけでもいいわ

24 :愛と死の名無しさん:2011/09/29(木) 15:42:57.79
今は大丈夫ですか?

25 :愛と死の名無しさん:2011/09/30(金) 15:08:40.16
>>1 羨ましい、俺は親との関係最悪
せめて、子供とはこうなりたくない 絶対に

26 :愛と死の名無しさん:2011/10/22(土) 22:33:13.31
ホントかよ!

27 :愛と死の名無しさん:2011/12/22(木) 00:58:46.11
親父との思い出ってなんで忘れられないんだろうな

28 :愛と死の名無しさん:2012/02/15(水) 10:18:15.60
あげ

29 :愛と死の名無しさん:2012/10/02(火) 08:04:50.09
今日の夕方から通夜なんですけど何か気をつける事とかありますか


30 :愛と死の名無しさん:2012/12/01(土) 00:43:53.17
>>29棺の番すんの?

31 :愛と死の名無しさん:2012/12/01(土) 14:53:37.27
通夜番は
線香の御守り

32 :愛と死の名無しさん:2012/12/01(土) 15:24:46.85
なるほど

33 :島本町で凄惨なイジメを受けて命からがら逃げ出した元島本町民さんへ:2013/04/01(月) 21:49:49.01
名前:大阪府三島郡島本町で壮絶なイジメを受けて廃人同様になった島本町民
大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて、
心も身体も壊されて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。精神病院へ行っても、ちっとも良うならへん。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。
そればかりか、イジメに加担する教師もおった。
 誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメは
なかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
 
名前:大阪府三島郡島本町で凄惨なイジメを受けて命からがら逃げ出した元島本町民
>>大阪府三島郡島本町で壮絶なイジメを受けて廃人同様になった島本町民さんの言う通りや
大阪府三島郡島本町で壮絶なイジメを受けて廃人同様になった島本町民さんも早う島本町から逃げ出す方がええで
大阪府三島郡島本町みたいな腐った町は陥没して地球上から消滅したらええんや

>>大阪府三島郡島本町で凄惨なイジメを受けて命からがら逃げ出した元島本町民さんへ
「20世紀少年」で、『ともだち』が人類を滅亡させようと企てたのも、小学生のときに受けた陰惨なイジメ(葬式ごっこ)が
原因だった。『大阪府三島郡島本町みたいな腐った町は陥没して地球上から消滅したらええんや』と思う気持ちはよく分かる。

34 :愛と死の名無しさん:2013/11/10(日) 06:09:05.16
昭和の白黒写真は父が撮ったものです。 。教員の傍ら自分でカメラを買い(当時の教員給与の3か月分)自分で焼き付け現像もしており、PCの無い時代の合成写真も楽しんでいました。

35 :愛と死の名無しさん:2013/11/10(日) 06:09:47.68
昨日朝、父が亡くなりました。享年86歳。当日は大往生、苦しまなくてよかった眠るように座ったままとむしろほっとしていたしその他でもバタバタした。してましたが一息つくといろいろ思い出が湧き上がってきますね

36 :愛と死の名無しさん:2013/11/10(日) 06:10:36.16
直系とか家系にはこだわらないけど(と言うか大した血筋ではない)祖父が
「俺からの家系図を作ってみせると」いう意気込みで静岡に家を建てた意気込みは継承したい。

37 :愛と死の名無しさん:2013/11/10(日) 06:11:06.66
直系の跡取りとして通夜を見事にこなしたいが…。
義妹がしっかり段取りしてくれてありがたい。

38 :愛と死の名無しさん:2014/03/26(水) 15:20:31.96
毒母が亡くなりました。
死に目にも葬式にも行かなかった。
あんなに軽蔑していた母なのに、亡くなってしまうと、わずかな良かった事を思い出して泣いてしまった。
今はもうお骨になってしまっているだろうけど、やはり駆けつけて手を握っていてあげたら良かっただろうか。
結婚してることすら知らなかったはずだけど、旦那と娘に会わせてあげたら良かったかな。
一人で死なせてしまった。母は何を思って死んでいったんだろう。
母にも散々ひどい扱いされたけど、母の再婚相手はもって嫌い。
この人が居なかったら母と絶縁まではしてないと思う。ずいぶんいじめられたし、私の人生には不要な人。
だけど母がなくなる時にそば居てくれたんだから、少しは感謝しなきゃならないのかな。嫌だな。
もう考えるの疲れた。

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